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::: 説  教 :::


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Name   T・Y
Subject   4/14 サムエル(8)なぜサウルが王に選ばれたのか? Tサムエル9:1〜2、10:1〜13
☆聖書箇所 Tサムエル9:1〜2 10:1〜13

<Tサムエル9:1〜2>
1ベニヤミン人で、その名をキシュという人がいた。キシュはアビエルの子で、アビエルはツェロルの子、ツェロルはベコラテの子、ベコラテはベニヤミン人アフィアハの子であった。彼は有力者であった。
2キシュには一人の息子がいて、その名をサウルと言った。彼は美しい若者で、イスラエル人の中で彼より美しい者はいなかった。彼は民のだれよりも、肩から上だけ高かった。

<Tサムエル10:1〜13>
1サムエルは油の壺を取ってサウルの頭に注ぎ、彼に口づけして言った。「【主】が、ご自分のゆずりの地と民を治める君主とするため、あなたに油を注がれたのではありませんか。
2今日、私のもとを離れて行くとき、ベニヤミンの領内のツェルツァフにあるラケルの墓のそばで、二人の人に会うでしょう。彼らはあなたに、『捜し歩いておられた雌ろばは見つか
りました。あなたの父上は、雌ろばのことはどうでもよくなり、息子のためにどうしたらよいのだろうと言って、あなたがたのことを心配しておられます』と言うでしょう。
3そこからなお進んで、タボルの樫の木のところまで行くと、そこで、神のもとに行こうとベテルに上って行く三人の人に会います。一人は子やぎを三匹持ち、一人は円形パンを三つ持ち、一人はぶどう酒の皮袋を一つ持っています。
4彼らはあなたにあいさつをして、あなたにパンを二つくれます。彼らの手から受け取りなさい。
5それから、ペリシテ人の守備隊がいるギブア・エロヒムに着きます。その町に入るとき、琴、タンバリン、笛、竪琴を鳴らす者を先頭に、預言をしながら高き所から下って来る預言者の一団に出会います。
6【主】の霊があなたの上に激しく下り、あなたも彼らと一緒に預言して、新しい人に変えられます。
7これらのしるしがあなたに起こったら、自分の力でできることをしなさい。神があなたとともにおられるのですから。
8私より先にギルガルに下って行きなさい。私も全焼のささげ物と交わりのいけにえを献げるために、あなたのところへ下って行きます。私があなたのところに着くまで、そこで七日間待たなければなりません。それからあなたがなすべきことを教えます。」
9サウルがサムエルから去って行こうと背を向けたとき、神はサウルに新しい心を与えられた。これらすべてのしるしは、その日のうちに起こった。
 10彼らがそこからギブアに行くと、見よ、預言者の一団が彼の方にやって来た。すると、神の霊が彼の上に激しく下り、彼も彼らの間で預言した。
11以前からサウルを知っている人たちはみな、彼が預言者たちと一緒に預言しているのを見た。民は互いに言った。「キシュの息子は、いったいどうしたことか。サウルも預言者の一人なのか。」
12そこにいた一人も、これに応じて、「彼らの父はだれだろう」と言った。こういうわけで、「サウルも預言者の一人なのか」ということが、語りぐさになった。
13サウルは預言を終えて、高き所に帰って来た。

☆説教 なぜ、サウルが王に選ばれたのか?

さて、今日のみことばを見ていただきたいと思いますが、ものすごく大切な所で、あと20分でざ〜っと行きます。ついて来ていただければと思います。

前回「カリスマか王政か」と題してお話をいたしました。
サムエルという祭司、そして士師、指導者が年老いた時に、
その子どもたちも同じように祭司の仕事に就くわけですけれども、
どうにも子どもたちでは間に合いませんでした。(***Tサムエル8:3)

そこで民は、「近隣諸国のように、私たちの国にも王を与えてください」(***同8:5〜6)と言います。
サムエルは「自分が退けられた」と嘆きますが、神さまは
「いや、退けられたのはあなたではない。民が退けたのはわたしだ」(***同8:7)
という風に、神による統治を退けたかのように描かれています。
それはそうなんだろうと思います。

しかし、カリスマだけでは国は統率できない、という話をしました。
なぜならカリスマというのは、一代限りですから、その人物が年老いていきますと、もうそれを継ぐ人物がいない。
ですからどうしても、制度というものが大切になります。
教会もそうです。
牧師やある信徒のカリスマに頼らなければいけない場合もありますし、
しかし教会の制度によって教会が支えられる、という事実もあります。

で、歴史的なそういう事情は神さまもよく分かっておられました。
ですから神さまは、王を立てることを受け入れられました。(***同8:9、22)
神さまの思いは一つです。
それはカリスマ指導者であろうが、制度に依拠した指導者であろうが、その人物が遜って、
「主よ、お話しください。しもべは聞いています」(***Tサムエル3:9,10)
と言うならば、それはカリスマによる政治であっても、制度による政治であったとしても、
わたしは変わらずにあなたがたを祝福する、というのが神さまのみこころでありました。

で、今日がメインです。神さまが選ばれたイスラエル第一代目の王がサウルです。
今日はそこを先ず見ていただきたいと思います。
ちょっと映します。9章の1節2節なんですが、ちょっと1節は長いんですね。

1)神はどのような方を選ばれたのでしょう。

【画面:Tサムエル9章1節「彼は有力者で」2節「キシュには〜その名をサウル」「美しい若者で」「彼は民のだれよりも〜高かった」に緑のハイライト】

<Tサムエル9:1〜2>
1ベニヤミン人で、その名をキシュという人がいた。キシュはアビエルの子で、アビエルはツェロルの子、ツェロルはベコラテの子、ベコラテはベニヤミン人アフィアハの子であった。彼は有力者であった。

***キシュという人がいた。そのキシュをず〜っと辿っていきますと、こういう子がいて、最後に「彼は有力者であった」というのは、隣(2節)に出て来るサウルが有力者であったのではない。サウルの父親のキシュが有力者であったと。

2キシュには一人の息子がいて、その名をサウルと言った。彼は美しい若者で、イスラエル人の中で彼より美しい者はいなかった。彼は民のだれよりも、肩から上だけ高かった。

というのが、サウルに記されている、イスラエル第一代目の王さまとして、神さまが選ばれたサウルについて説明されている唯一の描写です。
この描写を聞いて人々は納得するのか?
この描写をサウル自身が喜ぶのか?いやいや、とんでもないですね。
国を治めるという段階で、自分がイケメンであったということや、或いは民の誰よりも背が高かったということがいったい何の意味があるのか、というのは、サウル自身にとっても大変な不安材料になります。

そして9章の21節にありましたように、ベニヤミン人とありますけれども、
<Tサムエル9:21>
21サウルは答えて言った。「私はベニヤミン人で、イスラエルの最も小さい部族の出ではありませんか。私の家族は、ベニヤミンの部族のどの家族よりも、取るに足りないものではありませんか。どうしてこのようなことを私に言われるのですか。」

ベニヤミン部族というのは、イスラエル十二部族の中で最も小さな部族です。
その中で顔が美しいとか一番背が高いとか、それしかないのか?
つまり彼は一代目の王さまに神さまは選びますが、教育も実績も軍人として軍隊を率いた、そういう経験も、民を守ったという実績も何一つないんですね。

これ後に出て来ますが、ちょっと聖書を見てみます。こういう言葉が出て来ますね、
10章の27節に。ちょっと映しますね。彼が王になった時に、こうありますでしょう。

【画面:Tサムエル10章27節「こいつがどうして〜黙っていた」に緑のハイライト】
<Tサムエル10:27>
しかし、よこしまな者たちは、「こいつがどうしてわれわれを救えるのか」と言って軽蔑し、彼に贈り物を持って来なかった。しかし彼は黙っていた。

これ、愚か者、よこしまな者のことばとして書いてありますけれども、私(藤本牧師)は逆にごくごく常識的なことば。
このイケメンがどうやってわれわれを救えるのか?
これは実はサウル自身が一番重く受け止めていたことである、という所から今日は話を始めていきたいと思います。

私たちも同じですね。
例えば会社で役職に指名されたとか、学校で何かの立場に選ばれたとか、
もっと根本的に言えば、神さまがあなたを選んでキリスト者となしたと。
「なぜ私のような者が選ばれて、神さま、あなたの栄光を現すというのですか?」と言う。
「私にどういう資格があり、どういう実績があるんですか?」と言った時に、
サウルと同じように、何にもないです。何もない。
何かの資格、何かの教育、何かの実績があるから、今日この礼拝に招かれている、という方はお一人もいらっしゃらないです。

皆さんだって、洗礼を受けられる前に考えたことはあると思うんです。
「なぜ私が洗礼を受けられるのか?」って。
先生が親が「そろそろ洗礼を受けたらどうか」と、「そこまで真面目に来ているんだったら、洗礼がふさわしいんじゃないかな」と。
「ほんとにふさわしいのかな?」と――この疑問が今日の説教の第一番目です。

ですからサウルが王に選ばれるということと、私たちがキリスト者として選ばれるということ、或いはみなさんが会社や学校で何かで選ばれるということは、
何か似たようなレベルの話だと思ってください。いいですか。

2)神はサウルに否応なしに油を注ぎます。

ちょっと飛びますね。10章を映しますね。
【画面:Tサムエル10章6節全文「【主】の霊が〜変えられます」、
9節「神はサウルに〜その日のうちに起こった」に緑のハイライト
7節全文「これらのしるしが〜おられるのですから」、
10節「神の霊が〜預言した」、
11節「キシュの息子は〜預言者の一人なのか」、
13節全文「サウルは〜帰って来た」にオレンジのハイライト】

10章の6節から見ていただきたいと思います。映しますね。
<Tサムエル10:6〜13>
6【主】の霊があなたの上に激しく下り、あなたも彼らと一緒に預言して、新しい人に変えられます。

***油を注いだ時に、サムエルはサウルに言います。

7 これらのしるしがあなたに起こったら、自分の力でできることをしなさい。神があなたとともにおられるのですから。

***そうして彼がギルガルに下って行った時に、神は9節サウルに新しい心を与えられた。

9 サウルがサムエルから去って行こうと背を向けたとき、神はサウルに新しい心を与えられた。これらすべてのしるしは、その日のうちに起こった。

 10彼らがそこからギブアに行くと、見よ、預言者の一団が彼の方にやって来た。すると、神の霊が彼の上に激しく下り、彼も彼らの間で預言した。

と10節に記されています。
その日のうちに、実際神がその霊をサウルの上に下らせ、今までなしたことのないような出来事が起こる。
11節を映していただきますと、ここにありますよね。
以前からサウルを知っている人たちはみな言うんですね――

11以前からサウルを知っている人たちはみな、彼が預言者たちと一緒に預言しているのを見た。民は互いに言った。「キシュの息子は、いったいどうしたことか。サウルも預言者の一人なのか。」

***いや、そんなはずはない、と(以前から知っている人たちは言った)。

否応なしに油を注がれる――神さまの賜物はいただけるんですね。
もう少し平たく言いますと、洗礼を受けて讃美歌を歌うようになったとか、
洗礼を受けて聖書を読むようになった。
洗礼を受けて、どうして祈ったらいいか分からないのに、なんとなく祈るようになった。
洗礼を受けて讃美歌が好きになった。
洗礼を受けて教会に行くようになって、格別に十字架のことを考えるようになった。

え、今までそうだったの?今までそうじゃないですね。
確かに彼は変わった、新しい人に変えられたみたいだと、周囲も自分自身もある程度自覚するように、私たちは動いているわけです。
皆さんが新しい年度に新しい仕事を引き受け、新しい役割を果たすようになり、
最初は「そんな、あんな奴にそれができるのか?」と言われながらも、
周囲もまた冷ややかな目で見て、様々な励ましの言葉、或いは忠告を与えてくれ、
しかし、《否応なしに神があなたをそこに指名するのなら、その力は与えられる》――そう思うべきなんですよ。

私たち自身は何の資格もなく、実績もない。
でも神さまが選んであなたをそこに遣わすのであれば、神さまは必ずあなたにその力を下さる。
そう信じてないと、やっていくことができないような試練が、私たちには沢山あるんですよね。
●でも《その神さまの力、賜物というのは、自然に私たちのものとはならない》――これが非常に大切です。

7節をもう一回見ていただきたいと思うんですが、7節にこうありますね。
【画面:Tサムエル10章7節全文にオレンジのハイライト】

7これらのしるしがあなたに起こったら、自分の力でできることをしなさい。神があなたとともにおられるのですから。

これが今日の鍵の言葉になります。
《これらのしるしがあなたに起こったなら、自分の力で全力を尽くしなさい。神があなたと共におられるのですから。》

実際にこの9節に、「新しい心が与えられ、これらすべてのしるしは、その日のうちに起こる」んですよ。
その日は、確かに10節にあるように、彼も預言をするんです。
だけどサウルは自分の力でできることを、これから先、預言者として成長するように、神の賜物に合わせる努力をしないんですね。

聖書の先を読みますと、この日、周囲の人々は、彼が預言したことに驚きを禁じ得ません。
でも聖書、今日読んだ最後を見て行きますと、13節――

13サウルは預言を終えて、高き所に帰って来た。

と書いてあるじゃないですか。
旧約聖書の後半に行きますと、高き所に偶像が据えられ、エルサレムの神殿の他にイスラエルの周辺には沢山高き所があり、偶像崇拝を人々はしていたという意味で、高き所はマイナス・イメージです。
でもここでは、まだ神殿はない。祭司がいけにえを献げるのは高き所と決まっているわけです。
サムエルも高き所でいけにえを献げていました。

サウルは、神の霊が激しく下り、預言者の一団と共に預言をした(Tサムエル10:10)ならば、暫らく預言者の一団と共に過ごせばよかったのだろうと、私(藤本牧師)は思っています。
聖書にはそう具体的に書いてありませんけれども、
でも彼は何にもしなかった。
その日、不思議に起こった現象があったわけです。そして感動したんです。周囲も驚きました。
でも、彼はいつもの自分に戻って行く(同10:13)わけですよ。

これ洗礼に例えたら、よく分かりますよ。
いきなり洗礼の日に水を垂らされ、祈ってもらって、みんなにおめでとうと。
自分自身も水を垂らされた、「これは洗礼の象徴です。聖霊が注がれることの象徴です」と言われるけれども、そんなことでキリスト者になれるのかと思いますよね。
なるんですよね。なぜなら、神はあなたを新しい人に変える(Tサムエル10:6)、と書いてありますから。

ところが変わらない。そう簡単に変わらない。
それはサウルを見たらよくわかります。
彼は突然恍惚状態になって、預言者の一人のように預言を始めます。
周りも驚いて、「あんなサウルを見たことはない、いつどうやって預言者になったんだ?」と言います。
それは神の霊が下ったからです。

しかし大切なことは、彼が毎日、その霊に沿って生きていくかと、
一度限りのことではない、毎日聖書を読み、週ごとに礼拝に行き、或いは毎日祈り、
いただいた賜物を自分のものとして全力を尽くして、新しい人に成長して行くのか、行かないのか?
サウルは賜物を用いたのは、一回限りでいつもの自分に戻って行きます。
自分の力でできることを何でもしなさい。全力を尽くしなさい。
なぜなのか?――それは7節の最後にありましたよね――神があなたとともにおられるのですから。
これが、サウルはできませんでした。
《神があなたとともにおられるのですから》――確かにあなたには教育も実績も、実践も経験も、賜物もないかも知れない――でも神があなたとともにおられるのですから、
《その日以降、あなたは全力を尽くして、その賜物を自分のものとしなさい。》

その日というのは、入学式みたいなものです。
入学式の日は晴れ晴れと、「入学おめでとう」と式に参加しますけれども、
いつまで経っても、その学校の学風が身に付かないという場合も、それは多々ありますよね。
つまり「その日」というのが初日で、その初日はその日だけなんですが、
それから後、自分に与えられた力と、神がいつもあなたと共にいる、という現実を捉えて、
自分に与えられた使命を何とか全うしようとする努力を、私たちは往々にしてしない。
すると、神はあなたを任命し、あなたを指名し、あなたをその場に遣わし、あなたに可能性を授けたのに、あなたはそれを何もしなかった、ということになってしまうんですね。

13節に、先程申し上げました。「サウルは預言を終えて、高き所に帰って行った」と。
ま、いつものように帰って行ったんですね。
いきなりやって来た神の賜物におびえたのか?
そのまんま預言者になるということが、自分では想像もつかなかったのか?
王にこれからなって行く、なんて到底信じられなかったのか?
彼はなるべく普通でありたい、と願ったんだろうと思います。

16節をちょっと見ていただきたいと思いますが、これは最初の段階では読んでないんですけれども。
【画面:Tサムエル10章16節「サムエルが語った〜おじに話さなかった」にオレンジのハイライト】
<Tサムエル10:16>
16サウルはおじに言った。(***おじさんが聞くんですよね。何かあったのかと)。
「雌ろばは見つかっていると、はっきり私たちに知らせてくれました。」しかし、サムエルが語った王位のことについては、おじに話さなかった。

本当はおじに話すべきだったんだろうと思います。
遠慮もあったのかも知れないけれども、自分はこれから特別な人生にどうやら導かれようとしている、ということを周囲にも話すことによって、きっと彼の自覚も高まったに違いない。
でも彼は、顔は美男子で、背は高くて、しかしそれ以上に何も持っていない自分ということに圧倒されるがあまりに、
新しく与えられた立場や任命や使命のことには、なるべく触れない、という姿勢を取りました。
言うなれば、神が与えてくださった新しい自分を、彼は生かそうとせずに、初日の新鮮さはすぐに消えて、ただのサウルに戻って行きました。

洗礼を受けたクリスチャンの多くがこの問題を抱えます。
神さまが与えてくださる祈りの賜物、聖書を学ぶ力、聖霊に心を向ける信仰、そういう賜物を全力で用いないどころか、初日から一歩も前に進もうとしない方も実は沢山いらっしゃいます。
そうすると、何にも進んで行きません。
サウルはいつまで経っても、サウルのままです。
できることは何でもしなさい(Tサムエル10:7)という、そのできることが沢山あるのに、
その人はその人のままである。

さてそうしますと、最後に、最初に申し上げた問いに戻ることができます。
最初の問いは、イスラエルの第一代目の王として、神はなぜこの美男子を選んだのか?
美男子以外に何か特筆することが一つもない。
神はなぜ第一代目の王として、このサウルを選んだのか?
後にですね、神さまは「わたしはサウルを王に任じたことを悔いる」と仰います(***Tサムエル15:11)。
だとしたら、神さまは間違えたのか?
最初にサウルを選んでおいて、後で「ああ残念だ。あんな奴、選ばなきゃよかった」ということは、神さまは間違えて選んだ――そうかも知れない。

しかしその間違えは現代に至るまで、大変すばらしい反面教師として残っている。
神さまが悪いのではない。
サウルには優れた王になる資質を、神さまは与えられたんです。
であるがゆえに、神さまはあえて優れた業績も、賜物も、背景もないサウルをあえて選んだ。
背や顔はどうでもよかったんでしょうね。
でもあえて何にもない者を選び、その事実のゆえに、サウルは全面的に神に信頼し、神が共におられることを実感し、できることは何でもするような人物になるように、サウルを選んだ。私たちを選んだ。

ところが、彼は何一つしない。
そして私たちも何一つしないなら、私たちもまたサウルと同じような方向へ足を進めていきます。
再来週、それを見ていただきたいと思いますけれども、サウルは反面教師として、私はあえて神は彼を選んだんだろうと思います。
もしサウルが、毎日神さまに向かって「お話しください。しもべは聞いています」と言っていたならば、全然違う人物に彼はなっていた。
まさに彼こそが、第一代目の王としてふさわしい人物になっていたはずなんですね。

☆お祈りをして終わりにいたします――藤本牧師

恵み深い天の父なる神さま、私たち自身も「なぜ私のようなものがキリスト者になったんだろうか?洗礼を受けることによって、私の何が変わったんだろうか?」と同じような質問をしながら、何も変わってないじゃないかと、人に言うことを避け、自分で自覚しないように、自分を今までの所に戻してしまうような愚かな傾向があります。

でもあなたは、確かにサウルに莫大な賜物をお与えになり、彼を新しい心に変え、与え、新しい人物へとあなたは造ってくださいました。もし私たちがそうであるとしたならば、神さま、どうか私たちにもキリスト者となった自覚を与えてください。神の子どもとなり、あなたに対して、「アバ父よ」と「天のお父さま」と何でも話しかけることができる、そして主イエス・キリストと共に、私たちに必要なものをすべて与えることができるお方があなたであるという信仰に生きることができるように、私たちを励ましてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。

☆感謝のお祈り――戸塚伝道師(※WMさんお休みのため)

7これらのしるしがあなたに起こったら、自分の力でできることをしなさい。神があなたとともにおられるのですから。
(Tサムエル10:7)

神さま、4月第二の聖日こうして共にあなたの前に集まり、あなたを礼拝することができました恵みを心から感謝いたします。御ことばをありがとうございます。何の資格もない者を、あなたは私たちに心を留めてくださり、私たちを導き、救いへと私たちを招いてくださったことをありがとうございます。すべての罪を許し、神さまの子どもとさせられ、聖霊を心に宿す者となり、永遠のいのちが与えられた天国の市民、やがて復活のからだで神の国に仕えるすばらしいお約束を与えてくださったことをありがとうございます。あなたの恵み、そしてあなたから与えられている賜物、それを今日私たちの力で、神さまと共に生かすようにと語ってくださったことをありがとうございます。

サウル王さまの姿は私たちの姿かも知れません。あなたがどんなにすばらしい恵みを与えてくださったのかも知らずに、それらを無駄にしてしまうような道を採ってしまうような者かも知れませんけれども、どうぞ私たちを憐れんであなたの救いのすばらしさを教えてください。そしてそれらを生かすことができるように、導いてくださることをよろしくお願いいたします。神さまが共におられるほど、どんなにすばらしいことなのかをもう一度教えていただき、あなたの力によって神さまの恵みを生かす道へと、私たちを導き続けてくださることをよろしくお願いいたします。

感謝を込めて、あなたにささげものをさせていただきました。あなたの尊い御用のためにお用いくださいますように。迎えました新しい一週間の上に、今日ここに集うことができなかった愛する一人ひとりと共に、神さまの豊かな恵みが伴いますように、あなたの恵みを待ち望み続けます。この礼拝の時を感謝して、愛する救い主イエスさまのお名前によってお祈りいたします。アーメン。

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DATE: 2024.04.14 - 20:41
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