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::: 高津教会 説 教 :::


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Name   fujimoto
Subject   十戒(6)「父と母を敬え」
十戒(6)「父と母を敬え」       
     出エジプト20:12

 出エジプト20:12にある第五の戒めは、実際には数節さかのぼった5節〜6節に始まっています。「あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神、わたしを憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである」。
 もちろん、これは神様の祝福が代々続くことを意味していますが、しかし、一歩下がって考えると、家族の影響の大きさをも教えています。神さまは人間生活を家族単位で組まれました。子どもにとって最大の影響を与えるのが親であるとしたら、遺伝学的にも、物理学的にも、社会学的にも、心理学的にも、霊的にも、親の祝福と罪との両方を、子どもの世代は否が応でも引き継ぐことになります。これが人間社会の法則だとすれば、そこへ正しく導いてくれるのが第五の戒めです。

1)この戒めに含まれる第一の要素はしつけ、訓練です。
 最近、「しつけ」という言葉は、あまり好まれることがありません。しかし、親の権威に対する服従は子どもの成長過程で不可欠な要素です。イエスが十二歳になられたとき、両親と共にエルサレムにのぼります。帰路、少年イエスは両親の一団から離れてエルサレムにもどっていきます。イエスさまは、本来の家族と一緒にいるよりも、神殿に父の家に関心があったのでしょう。心配した両親は、12才のイエスを神殿で見つけて、しかりつけたに違いありません。注目すべきは、その記述の後で、「それからイエスは、一緒に(親と)下って行かれ、ナザレに帰って、両親に仕えられた」とあります(ルカ2:51)。
  ヘブル5:8「キリストは御子であられるのに、お受けになった多くの苦しみによって従順を学ばれた」と記され  ています。そこには、幼児の時に、成長過程の中で、しつけや従順を学ばれたことも含まれています。子どもは元来自己中心なものです。子どもは自分が神となって、好き勝手にまわりの世界を動かしてみたいと思います。しかし、世の中はそうはいかないこと、もしそれを無視してわがままを通せば痛い思いをするのは自分である、ということを教えるのは両親の責任です。
 先日、動物の番組を見ていました。アフリカのサファリで、キリンのお母さんの出産場面でした。生まれてすぐに、お母さんは、赤ちゃんキリンの上に行って、蹴飛ばします。大丈夫なんだろうか、そんなことをしたら死んじゃう、っておもうんです。しかも、何度も蹴っています。よろけながら、いったん立ちが上がると、お母さんの蹴る足をよけるように、元気に飛び跳ねていきました。
 解説の方が説明していました。キリンに自分を守る方法があったら、逃げる以外にない。大自然の中に産み落とされて、すぐに自分の足で立って、危険から逃げることを学ばなければ、生き延びることは所詮できない、というのです。大自然の厳しさを教える最初の存在は、愛するお母さん、だというわけです。親は経験から知っているのです。この世界の難しさを。ですから、親は子どものわがままを抑えてでも、様々なことを教えていくのです。

2)子どもはわがままですが、親もわがままです。
 旧約聖書で父親は子どもに対して絶対的な権限を持っていました。家の中で子どもにとって、父親こそが法律なのです。エフタが自分が最初に見たものを神への捧げ物とするという愚かな誓いを立ててしまったとき、彼は自分の誓いにこだわりました。誓いを立てて、勝利を得て、村に戻り、最初に見た者は、娘でした。彼は、娘を生け贄として殺して、神にささげます。旧約聖書は、はたして彼にそのようにする権利があるかないか、少しも疑問を投げかけません。新約聖書の観点から言えば、明らかに、どう考えても、親のわがままです。親のやり過ぎです。しかし、旧約聖書の人びとが生きた、いまから4000年前の世界では、それが疑問視されることもなかったのかもしれません。
 ですから私たちは、十戒のこの5番目の戒めをあらためて新約聖書に照らして考えるのです。エペソ6:1−4。ここに、決定的に重要な教えが加えられています。一言で、「やりすぎてはいけない」
 しつけることは大事でしょう。訓戒を与えることは大切です。しかし、6:4は、両親にやりすぎないように警告を与えています。子どもをいからせたり、腹を立てさせたり、苛立たせたりしてはなりません。パウロの言いたいことは明確です。父たちよ。子どもを矯正しすぎたり、従うことを困難にしてはなりません。父親たち。子どもを怒りに駆り立ててはいけません。
  子どもたちに従うべき戒めがあるだけでなく、両親にも従うべき戒めがあるのです。もし、母親、父親が自分の感情をコントロールできないならば、どうして子どもにそれを要求できるでしょう。どの子どもも両親から三つのことを学ぶといわれます。一つは現実概念です。いったいこの世界は、宇宙は、いのちの法則はいかなるものか、ということです。
 二つ目は神概念、神様がいかなる方であるかということ。クリスチャンの精神科医が良く言うことがあります。「完璧主義の両親の周りには、情緒不安定の子どもがいる」。情緒不安定だけでないでしょう。そこには霊的不安定が加わります。
  一言で言えば、親たちは、子どもが最初に神を見る、明かり窓なのです。親という明かり窓を通して子どもは、神様を見るのです。完璧主義という明かり窓からは、完璧主義の神様が見えるでしょう。慈悲深いという明かり窓からは、慈悲深い神様が見えるでしょう。
 第一に、親は子どもに現実概念を、第二に神概念を、そして第三に、自己概念を与えます。親が子どもを矯正しすぎたり、怒りに駆り立てたりすると、この第二と第三の概念が大きくゆがみます。度を超えた厳格さはかえって子どもを傷つけます。いつでも認めてもらえず、切り捨てられ、がみがみ言われ、否定されていたら子どもはどうなるでしょう。神様を見る目が歪んでいくだけではありません。自分を見る目が歪みます。自分が価値のない、評価されない、捨てられてもおかしくない自分に見えてくるでしょう。

3)互いに
 訓戒は、エペソ5:21に始まります。「キリストに対する畏れをもって、互いに仕え合いなさい」。神が与えてくださった家庭像です。家庭の主人はだれでしょうか。家庭の責任者はだれでしょうか。それはイエス・キリストです。神の家族像は、夫婦に始まります。イエスさまが家族の中心にいて、それぞれがキリストに仕え、そしてお互いに仕える、という構図で、夫婦像が描かれています。そして出てくるのが、親子像です。子どもが親の権威に従うのなら、親は子どもに愛され、尊敬されるような親でしょう。
 2,3世代前は、父親が理不尽な暴君のようでした。エフタのような父親がいたに違いありません。しかし、現代で多いのは、家庭内での権威・責任を放棄してしまう父親像です。仕事に夢中、家族の幸せに夢中、自分のことで手一杯、父親も母親も責任のなすり合い、親になれない親たち。家族関係の一部分が壊れていれば、残りの部分も痛手を負います。「子どもたちよ。両親に従いなさい」という部分の前の歯車がきちん回るためには、その前の歯車(夫婦の歯車)がきちんと回っていなければなりません。そして、その歯車の軸に、神さまがおられることが、本来の姿です。それがうまくいっていないのに、親子の歯車だけ回そうとすると、うまく回るわけがない。私もまた、大きな反省をもって、このことを語っているのです。

 2つの小さな蒸気船が、同じ時間に港を出発して、河を下りました。2隻が並んで航行しているうちに、だんだん互いを意識して、ついには競争になりました。一隻が遅れはじめ、燃料の石炭も底が見えてきました。出発したときには、航行に充分な石炭を積んでいたんですが、今ではレースをするにも充分ではありません。遅れた船の船長は、頭が熱くなって、積み荷をいくつかとってを燃料にくべました。なんと石炭ではなく、積み荷でもけっこう行けるのを発見します。次から次へと、運んでいるはずの積み荷を燃やして、船は加速して、とうとうレースには勝ちます。しかし、気がついてみたら、大事な積み荷は一つも残っていませんでした。
 考えさせられる話ですよね。特に家族像ということを考えると。私たちの家族が船だとしたら、そこには大切なものが、かけがえのないものがたくさん積んであるのです。かつて、家族みんなでそれを意識して、がんばっていたのでしょう。そのうち、家族の誰かの頭が、他のことで熱くなります。すると、何を燃料に走り始めるのか。何を犠牲に突っ走るのか。それはきっと、家族という船が積んでいる大切なもの。それを使い切って、勝利をしても、それは勝利ではない。

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DATE: 2006.09.29 - 08:59

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