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::: 高津教会 説 教 :::


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Name   fujimoto
Subject   Uサムエル7:18−29(祈る勇気を得た)
07 礼拝 Uサムエル7b       2007.5.6
    Uサムエル7:18−29

 シリーズでサムエル記第二から学んでいますが、今朝は特に先週の説教の続きですから、復習をしておきたいと思います。ダビデは今、神さまが与えてくださった数々の祝福に感謝して、運び上った神の箱のために、神殿を建てようと願いました。ところが、神さまは「ノー」とおっしゃるのです。神さまが「ノー」と言われた理由を、私が悟るようになった経緯を先週お話ししました。私たちは、もらったらお返しをする、という常識的な人間社会で生きています。ダビデが神の箱のために神殿を建てたいと申し出たのには、そのような「お返し」的な発想があったのではないでしょうか。
 神さまは、ダビデのお返しに「ノー」とおっしゃり、ダビデにさらに大きな祝福を約束されました。「わたしは、あなたのために家を建てる」(11節)。あなたは神殿を建てなくても良い。わたしに恩返しするという立場に、あなたはいない。わたしの恵みはそんなちっぽけな物ではない。それがあなたにわかるように、わたしはあなたを祝福で圧倒する、そうおっしゃいました。
 その時ダビデは感謝の真髄を得ます。感謝はお返しではありません。18節――神さまの恵みを前にして、何もお返しする物を持っていない自分、小さく取るに足りない、神の御前に何の価値もない自分を悟ります。その上で、乞食の手のような感謝、ただ遜って恵みを受け取ることしかできない、という遜った感謝を主に差し出します。ただ「アーメン」といって、神の恵みをあるがままに受け止めるのです。
 さて、実は、今朝の説教は、この先週の説教と一つにしてお話ししたかったのですが、時間が十分ではありませんでした。一つにしたかった理由は単純です。18節の冒頭に「ダビデ王は行って、主の前に座し」とあるように、ここから彼の祈りがはじまるからです。

そして、もう一度、この祈りの中にダビデの信仰姿勢を3つのポイントで見ていきたいと思います。

1)すでに、お話ししました。
 18−19節にあるように、神の恵みに、所詮何一つお返しすることができない私たちは、「アーメン」といって、自分の小ささ、弱さ、かけだらけのこの姿を謙って認めて、主の愛を受け取ることです。

2)神さまの御前で、あるがままの小さな自分を見つめたとき、彼は主の愛の中に安らぎます。20節「神、主よ。このダビデは、このうえ、あなたに何を付け加えて申し上げることができましょう。あなたは、このしもべをよくご存じです」
 ダビデは「あなたは、このしもべをよくご存じです」といって、自分を包む、自分の人生を被う神の恵みに、自分のすべてをゆだねているのです。言い訳もありません。かっこつけることもしません。自分がどんな人間であるか、自分がどれほど取るに足らない存在であるのか、神は知っておられるのです。
 サウルという王様は、悲惨でした。聖書が彼について上げている特徴は、美男子で、彼の背丈はダレよりも頭一つ出ていた、ということだけです。そんなこと、王様に求められる能力と何の関係もありません。王としての自分の資質の足りなさ、能力のなさを一番知っていたのはサウル本人でしょう。彼は、なんとか、取るに足らない自分の本性がばれないように、人の目を気にして、仮面をかぶり続けて生きていきます。いつも人の目を気にして生きています。
 こんな話があります。俳優養成学校で学んでいた男が、就職雑誌の公告を見ていました。「ゴリラを演ずる人を求めています」・・おもしろそうだ。彼は面接に行きます。
 行ってみると、募集していたのは動物園だとわかります。動物園は、園内の改修と施設の充実にお金をかけすぎて、動物にお金をかけることができないのです。彼は、仕事をもらうことにしました。お金のためです。
 彼はゴリラの着ぐるみを着て、最初は背中を曲げて、手を引きずって歩くのもしんどかったのですが、それも板につくようになります。着ぐるみを着て、人間をだますのも結構おもしろいものです。ゴリラになりきった彼は、ある日、木に捕まって身体を揺すっていたとき、捕まっていた手がすべって、隣の檻に落ちてしまいます。
 ゴリラは仰天です。なんと、その檻にいたのはライオン でした。あわてたゴリラは、柵を上ります。それでも、いつかは飛びかかってくるだろうライオンを前に、パニックになって叫びます。「助けて。助けて。俺は、ゴリラじゃない、人間だ」
 その時、ライオンが、わーっと飛びついて、ゴリラを柵から引きずり下ろして、地面に組み伏せました。ライオンは、ゴリラの首にかみつきながら、言います。
  「バカ、そんなに焦るな。
 おまえも俺も、首になっちまうぞ」

 サウルは、王様の着ぐるみを着て歩いていたのです。結構板についた物だと、自慢げでした。しかし、敵がせめてくる度に、パニックになります。所詮、サウルの正体も、ダビデの正体も、私たちの正体も、そんなものなのです。
 神さまは、ダビデを家柄で選んだのでも、能力で選んだのでも、人徳で選んだのではありません。ダビデもサウルも、何者でもない、その家も何でもない、普通の人です。確かにダビデは、少年時代にゴリアテを倒して人気者になり、人々にもてはやされます。サウルにいのちをつけねらわれて、荒野を逃亡したときでさえ、彼は人気者でした。最終的に4百人の部下を連れて、荒野を逃げおおせます。今ではイスラエルの王です。
 しかし、それとて、神さまに着せていただいた王様の着ぐるみのようなものです。しかし、御前に座したダビデは、そんな自分を隅から隅まで知っておられる神の御前で、やすらいでいるのです。主よ、私はあるがままです。あなたの知っておられるとおりの私です。私は飾りません。これが私です。

3)神のみを見上げる
 22−23節
 一言で、ダビデは主を見上げて、主がいかなるお方であるのかを確認しているのです。あなたは大いなる方です。あなたこそ、神で他に並ぶ存在はありません。そのあなたが私たちを選んで、愛といつくしみを示し、恵みを施してくださいました。私たちを奴隷から、罪の縄目から、救い出してくださいました。
 これまで人生、これまでの歴史を振り返りながら、神さまが善にして、善をなしてくださる神であるかに、ダビデは心を集中します。神さまの御前に座すとき、自分の小ささと弱さを見つめて、遜るだけではありません。神さまの偉大さ、その憐れみの大きさを見つめて、その神さまが、私を民に加えていてくださる恵みを味わうのです。
 その時、ダビデの心の中に大きな期待がわいてきます。25節、お約束の通りにしてください。27節に、「このしもべは、この祈りをあなたに祈る勇気を得た」と記されています。こんな取るに足らない私が、祝福してください、なんて祈れるわけがありません。祝福をいただく資格も価値もないのです。それが、私を祝福してください、と祈ることができるというのです。
 私はダビデの表現が好きです。「祈る勇気を得たのです」。主の圧倒的な恵みを前にして、何一つ返すことのできない私たちは、ただ遜って、恵みを受け取るのです。そして、何の資格もない私を、罪から贖い、子どもとしてくださったその愛の御手の中へと、我が身をゆだねるのです。「主よ、あなたは私のことをすべてご存じです」。平安に、愛の御手の中に憩うことができます。
 そして、私たちは、神さまだけを見上げるときに、その愛に圧倒され、その優しいまなざしに励まされて、神さま、こんな私を永遠の愛で包み、祝福してください、と祈る勇気を得るのです。十字架を見上げて、その勇気を得るのです。
 10年ほど前の3月、いま、シオンキリスト教団の横浜教会の副牧師をしておられる、穂谷先生が、卒業を前にして、月曜日の夕方に、いきなり教会に来られました。玄関を開けてみると、手には菓子折の袋が。彼は、おもむろにそれを差し出して、「感謝のしるしなんです」と。「何の感謝?」
 高津教会の十字架に対する感謝でした。神学生としての4年間、土曜日に実習教会に派遣され、月曜日にそこから神学校に戻る。田園都市線を使っていた彼は、必ず十字架を駅のホーム越しに見たそうです。その十字架を見る度に、この祈る勇気を得たというのです。「私を祝福してください。私を用いてください。私を幸いへと平安へと栄光へと導いてください」。こんな資格も、価値もない、神様に対して後ろめたい気持を抱いているような私が、どうしてそんな祈りをする勇気を得るのか。十字架です。イエスさまが罪を赦してくださり、愛をもって子どもとして召してくださるのですから、祈る勇気を得るのです。

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DATE: 2007.07.07 - 23:25

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