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::: 高津教会 説 教 :::


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Name   T・Y
Subject   4/25説教「パウロ(21)誓願を立てたパウロ」使徒の働き18:18〜21
☆説教
今朝はパウロの21回目。誓いを立てたパウロなのですが、パウロの第2次伝道旅行でもう10回伝道している、その10回の集大成の18節から21なのだということを心に留めながら、ちょっと説教は日頃よりも5分ほど長いかもしれない、それからよほど聖書を注意深く読んで話について来てくださらないと、メッセージの趣旨が分からないかもしれないという前置きをもってお話を始めたいと思います。

恐らく、この読んでくださった個所で、一番気になる聖句、18節から始めるのがいいと思います。18節お読みします。「パウロは、なお長らく滞在してから、兄弟たちに別れを告げて、シリヤへ向けて出帆した。プリスキラとアクラも同行した。パウロはひとつの誓願を立てていたので、ケンクレヤで髪をそった」。

1)誓願を立てる、とはどういうことでしょうか?

これは、旧約聖書でユダヤ人の間に行われていた一つの儀式です。神さまにどうしても自分の願い事を叶えてほしいというときに、あるいは自分自身を神さまの前に聖別する必要があると決意を持つときに、誓いを立てる。私たちも時に神さまに誓いを立てますよね。

旧約聖書には、それらに関して明確な規定が、民数記6章の1−5節に記されていますが、ちょっとご覧ください。交読する。
1節「主はモーセに告げて仰せられた」。
2節「『イスラエル人に告げて言え。男または女が主のものとして身を聖別するため特別な誓いをして、ナジル人の誓願を立てる場合、」
3節「ぶどう酒や強い酒を断たなければならない。ぶどう酒の酢や強い酒の酢を飲んではならない。ぶどう汁をいっさい飲んではならない。ぶどうの実の生のものも干したものも食べてはならない。」
4節「彼のナジル人としての聖別の期間には、ぶどうの木から生じるものはすべて、種も皮も食べてはならない。」
5節「彼がナジル人としての聖別の誓願を立てている間、頭にかみそりを当ててはならない。主のものとして身を聖別している期間が満ちるまで、彼は聖なるものであって、頭の髪の毛をのばしておかねばならない」。

ここにナジル人とありますが、それは特別な人種ではない。それは、特別な願い事を主の御前にしている人、あるいは何かのために自分自身をもっぱら神さまのために聖別しているときに、男でも女でも頭にカミソリを当ててはいけない、つまり、散髪せずに髪の毛を伸ばしたままにしておきなさい。そうしたら、長く髪の毛を伸ばしている男性を見たら、周囲の人々は、ああ、あの人は今、神さまに特別な願い事をしているんだ、とわかるのですね。

私たちクリスチャンはこういう習慣はありませんが、しかし時に、断食をして1年2年、あるいは数カ月強い願い事を祈り続ける人もいらっしゃいますでしょう。

パウロがケンクレヤで髪を剃った、というのは、その断食期間、その誓願期間に一つの区切りを迎えたということです。ナジル人として、一定期間誓願を立てていて、それに区切りをつけたということは、ケンクレヤで第二次伝道旅行は終わったということです。

パウロは、コリントで腰を据えて伝道していました。18章11節に「そこでパウロは、1年半ここに腰を据えて、彼らの間で神のことばを教え続けた。」とあります。前々回学びました。衰弱して、恐れを抱きながら、コリントに来たパウロですが、そこでアクラとプリスキラという、同じようにローマから避難してきた夫婦に出会い、話をしているうちに元気を回復し、そしてイエスさまから励ましのことばを受ける。これが10節、「わたしがあなたとともにいるのだ。だれもあなたを襲って、危害を加える者はいない。(こんな町にもと、あなたは思うだろうが、)この町にも、わたしの民がたくさんいるから。」と、伝道の実りは大きいと主に励まされて、コリントにパウロは一年半滞在しました。
          
その一年半後にパウロはシリヤに向かって船出をします。それが18節に書いてあります。そしてケンクリヤに来た時に髪をそる。
18節「パウロは、なお長らく滞在してから、兄弟たちに別れを告げて、シリヤに向けて出帆した。プリスキラとアクラも同行した。パウロは一つの誓願を立てていたので、ケンクレアで(誓願を解いて)髪を剃った」。
髪をそったパウロは19節にエペソに着きます。エペソをちょっと見ますとね、
19節、「彼らがエペソに着くと、パウロはふたりをそこに残し、自分だけ会堂にはいって、ユダヤ人たちと論じた」。
20節、「人びとはもっと長くとどまるように頼んだが、彼は聞き入れないで、」パウロは振り切って、そこから船出をします。

ということは最初からエペソには長く滞在するつもりはなかったのです。そして、
22節「それからカイザリヤに上陸して、-----というのは、エペソからもうパレスチナの港カイザリヤに、船で行ってしまいます。------エルサレムに上り、教会にあいさつしてから(そもそも出て行った)アンテオケ(の教会)に下って(戻って)行った」。

つまりコリントが最後の伝道の地で、そこを出てケンクレヤで髪をそったパウロは一気に船でエルサレムに戻ってしまうというくだりの中で、自分の第2次の伝道旅行を区切りをつけるかのように、パウロは髪をそるということは、誓願を解くのです。

2)では、いったいどんな願い事をもって、彼は誓願を立てていたのでしょうか?

これが大きなポイントですが、実際のところ、私たちにはわかりません。しかし、私たちは、パウロがナジル人となってまで、神に願ったことを想像できます。もともと第二次伝道旅行は何を目的にしていたのでしょうか?それは、とっても困難な事を目的としていました。それは、エルサレム会議の結論を諸教会に伝えるためでした。
     
エルサレム会議は大論争を決着するために開かれました。ちょっと15章を見てください。だいぶ前ですので、簡単に復習しておきたいと思います。
1節にこう始まります。「さて、ある人々がユダヤから下って来て、兄弟たちに、『モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない。』と教えていた」。
2節「そしてパウロやバルナバと彼らとの間に激しい対立と論争が生じたので、パウロとバルナバと、その仲間のうちの幾人かが、この問題について使徒たちや長老たちと話し合うために、エルサレムに上ることになった」。この論争が決着できないので、
6節「そこで使徒たちと長老たちは、この問題を検討するために集まった」。
7節「激しい論争があって後、ペテロが立ち上がって言った」。

当時のクリスチャンはほとんどユダヤ教からの回心した人びとでした。ですから、クリスチャンでも、すでに割礼を受けていますし、ユダヤ教の食事の習慣や、そのほかの規定を守りながら、そういうユダヤ教の戒律を全部キリスト教の中に持ち込んで、イエス・キリストを信じるクリスチャンなのです。

問題は、そういう律法的な規定を、クリスチャンになったギリシャ人に課すのかどうか、これが初代教会に巻き起こされた大きな課題でありました。

もし、ユダヤ教の戒律をキリスト教に持ち込んだら、いつの間にか、キリストの教えも、キリストの十字架と復活という福音の真髄も、ユダヤ教の律法主義の中に取り込まれていきます。
          
アンテオケで論争が始まり、決着する雰囲気がなく、当時のキリスト教会の有力な人びとが集まってエルサレム会議が開かれました。そこでも喧々がくがくの議論ですが、ペテロが立ち上がって発言したことばが15章の8節から11節です。これも読んでおきましょう。

15章8−11節を交読する。
8節「そして、人の心の中を知っておられる神は、私たちに与えられたと同じように異邦人にも聖霊を与えて、彼らのためにあかしをし、」
9節「私たちと彼らとに何らの差別もつけず、彼らの心を信仰によってきよめてくださったのです。」
10節「それなのに、なぜ、今あなたがたは、私たちの先祖も私たちも負いきれなかったくびきを、あの弟子たちの首に掛けて、神を試みようとするのです。」
11節「私たちが主イエスの恵みによって救われたことを私たちは信じますが、あの人たちもそうなのです」。

これはペテロのことばです。あの人たちと言うのは、ギリシャ人やローマ人のことで、つまりユダヤ人でない人々。ペテロは言いました。神は、人の心の中を見るお方だ。敬虔な、神を敬う心を持った人には、ギリシャ人であろうがローマ人であろうが、裕福な者であろうが貧しい者であろうが、日本人であろうが、教養のある人もない人も、宗教の背景のある人もない人も、何の差別もつけず、イエス・キリストを信じる信仰によって、その心をきよめて、罪を赦してくださった。ユダヤ人の先祖さえも追い切れなかった、厳しい律法を彼らの肩にかけてはいけない。11節「私たちが主イエスの恵みによって救われたことを、私たちは信じますが、あの人たちもそうなのです」と。だから戒律に戻るのは止めようと。

そうして、エルサレム会議は、この決定をパウロに託すのです。パウロとバルナバにゆだねて、諸教会へ送り出しました。パウロの使命は、このように、ユダヤ教の戒律主義からクリスチャンを解放し、なおかつ、ユダヤ教の戒律とは違う、キリストの十字架の福音を説くことでありました。でも、これは並々ならぬこと、困難を極めることであることがよくわかっていた。

頭で理解しても、慣れ親しんできたこと、生活に染みついていることは、身体の中で味わっていますから、そうそう変わらないのです。戒律を生きることが信仰なんだと、またそこに戻って行ってしまうということをパウロは意識しました。

ちょっと話はそれますが、私は今、福音賛美歌という新しい賛美歌集(500曲ぐらい)の制作に少しだけお手伝いをしています。日本のプロテスタントのキリスト教団で大きな教団で同盟キリスト教団というところがあります。それからJECAという福音キリスト教会連合のグループがあります。その2つにインマヌエルが集まって3つの教団で新しい讃美歌集を制作しています。音楽は私にはわかりませんが、賛美歌集の神学的なことを検討してほしい、ということで制作に加わっています。

先日委員会があって、取り上げてほしいという質問の一つは、18世紀の敬虔主義の賛美歌に、イエスさまを恋人のように慕う表現があるけど、行き過ぎではないか、礼拝の中で歌う讃美歌に入れるべきではないのではないかという質問でした。いや、そんな質問、これまでも何度も上がっていますよ、というお返事をしました。

ちょっと皆さん、インマヌエル賛美歌の60−63番を見てください。チャールズ・ウェスレーの作詞による、“The Lover of My Soul”(我が魂を愛するイエスよ)です。この詩に、兄のジョン・ウェスレーは抵抗を示しました。“The Lover”とは、恋人のことだからです。

つまり、私のたましいに恋をしているかのように愛を注いでくださるイエス・キリストというのは、キリストの尊厳、権威にそぐわないのではないか、と。

しかし、兄の助言を弟は無視します。そして弟チャールズの賛美歌を当時の人々は好みました。こんな弱い、こんなに罪深い私を、恋人のように大切に愛してくださる主イエスを賛美しました。ですから、メロディーだけでも、何種類もつけて歌われるようになって、日本のこの賛美歌集だけでも、4曲収められています。

しかし、後の人の中には、それが気に入らない人もいたのです。そして、チャールズの意図とは逆に、主語と目的語をひっくり返して、私の魂が愛しているイエスよ、と歌い変えてしまった人もいます。それが、賛美歌の64番「我がたましいの慕う主イエスよ」です。讃美歌ってある意味とても難しいのです。

16世紀のドイツ敬虔主義は、十字架の悲惨さをそのまま歌いました。ですから、それを訳すと、日本語でも「血潮したたる」と、声を合わせて賛美します。血潮滴るとは、これもよく考えると、血が滴っている生肉のレアの状態としか、そういう表現しか私たちは使わないです(笑)が、中世の人にしてみればあまりにも生々しい、おどろおどろしい賛美歌です。

あるいは私たちきよめ派には19世紀アメリカのリバイバルで生まれた躍動感あふれた聖歌があるのですが、17世紀のスコットランド詩篇歌に慣れ親しんだ人が聞きますと、あの讃美歌は軍歌のようだ、あまりにも勢いがあると、聞こえてしまいます。
  
このように、自分が慣れ親しんだ賛美歌というのは、実は時代風潮や文化があるんですよ。そしてそういう私が他の時代の文化の讃美歌を聞きますと、違和感を感じて、これは讃美歌的ではない、この歌詞はおどろおどろしくて美しくない、讃美歌というのは、読んで字のごとく、美しいという字が入っているでしょう、美しくなければならない、この表現は俗っぽい、この曲は軍歌のようだ、と自分の好みで切り捨てて行ったら、私たちは長い歴史の中で培われてきた、教会賛美歌の豊かさを味わうことはないでしょう。ですから、時代背景や作られた国、文化、信仰背景などを理解しながら、なるべく歌い慣れて行くということが大切なのです。

それくらいのこと、頭ではわかっているのです。でも、実際に歌ってみますと、しっくり来ないものは、来ないでしょう。それだけ、私たちは特定の賛美歌だけに慣れて、そこで育ってしまった。賛美歌は、それだけ、信仰生活に染みついているとも言える。しかし、声を大にして言わなければならないのは、福音の本質は、あなたが生まれ育った時代のメロディーにはない。賛美歌の本質は、私個人の好みを越えた豊かさを持っている、と。

さて、話がそれたように思いますが、ユダヤ人の食習慣、戒律の中で育ってしまうと、頭の中で福音はイエスキリストの十字架のみだと分かっていても、どこか裏側から、どんどん戒律主義が、律法主義が後ろから入ってくる。その事をパウロは意識していた。ですから第二次伝道旅行にあたってパウロが、ナジル人としての誓願のを立ててまで神さまに願っていたことがあるとすれば、

「どうか主よ。ユダヤ人のクリスチャンが福音の本質を理解してくれるように。福音とは、キリストの十字架と復活を信じる信仰のことで、それはユダヤ人の戒律とは無関係であることを、彼らが分かってくれるように。彼らが、ギリシャ人のクリスチャンに、自分たちの習慣を強要することがないように」。

「逆にギリシャ人・ローマ人のクリスチャンが、ユダヤ教からクリスチャンになった人びとの習慣をバカにしたり、けなすことがないように。そうして、全然違う習慣の中にいる両者が習慣的な違いを乗り越えて、一つの教会を創ることができるように」。

これこそが、パウロが立てた誓願ではなかったかと言われています。

3)この願いは叶えられたのか?

そう簡単ではありませんでした。私たちも5年間断食して10年間このことを控えて、そして神さまに誓いを立てて、もし叶えてくださるのでしたら、私はこれらすべてを神さまに捧げますと誓願を立てたら、必ずその通りになるのか?必ずしもそうではない。

18章22節には、「エルサレムで教会に挨拶をした」としか書いてありません。
22節「それから、カイザリヤに上陸してエルサレムに上り、教会にあいさつしてからアンテオケに下って行った」。
ですけど、状況が難しかったということは、21章に書いてある。ちょっと21章を見てください。実は先読みしてしまう訳ですが、第3回目の伝道旅行の終わりに、同じようにエルサレムに報告に寄ったときのことを、見ていただきましょう。

21章20−21節を、交読致しましょう。
20節「彼らはそれを聞いて神をほめたたえ、パウロにこう言った。『兄弟よ。ご承知のように、ユダヤ人の中で信仰にはいっている者は幾万となくありますが、みな律法に熱心な人たちです」。
21節「ところで、彼らが聞かされていることは、あなたは異邦人の中にいるすべてのユダヤ人に、子どもに割礼を施すな、慣習に従って歩むな、と言って、モーセにそむくように教えているということなのです」。

パウロはこのうわさを聞いてがっかりしたでしょうね。まだわかってくれていないのだ。割礼を施すな、ユダヤ人の習慣に従って歩む必要がないとパウロが言っているのは、ギリシャ人、ローマ人に対してです。ユダヤ人のクリスチャンであるならば、ユダヤ人の戒律を守っても良しとしよう、しかしそれが救いにかかわることではないと教えているにもかかわらず、当時のエルサレムの教会の中には、救われた人はたくさんいるのです。でもみんなとても律法に熱心なクリスチャンなのです。そしてパウロのメッセージを誤解して、パウロはユダヤ人でさえ戒律を無視するように言いふらしているという噂を流している人々が大勢いるのです。

実は、紀元50年頃から、ユダヤの民族主義運動がエルサレムで高まっていきます。それはユダヤ教だけでなく、エルサレム教会にも影響を与えていたといわれています。やがて、この過激な民族主義運動がローマ帝国支配への抵抗運動となって、紀元66年にはユダヤ戦争と呼ばれるローマ帝国への反乱が始まります。紀元70年にエルサレムは陥落して、それ以来、第2次世界大戦の後に至るまで、イスラエルと言う国はこの世界に存在せず、ユダヤ人は世界に散り散りばらばらになって行くわけです。その一番最初の発端が、大体紀元50年あるいは60年、ちょうどこの頃の時期、過激なまでに発展していったイスラエル人の民族主義運動で、エルサレム教会もその影響下の中にあった。

つまり、パウロは誓願を立てて、ナジル人となって、ユダヤ人クリスチャンとギリシャ人ローマ人クリスチャンが、一つ同じ福音に立って、交わることができるように祈り求めました。でも結果は、パウロが願ったような展開にはなりませんでした。
  
私たちも、たびたび、誓いを立ててまで、必死に食い下がって、神さまに願いごとを持って行きます。これが、神さまのみこころだと、山をも動かす勢いで、誓願を立てて、信じるのです。それがわがままな願いなら、実現しなくてもあきらめるでしょう。しかし、それが良きことなら、これだけ必死に命をかけて、誓願を立てて祈り願っているのに、実現しなかったらがっかりしますでしょう。失望しますでしょう。

しかし、パウロは、挫折しても、18章22節、あたかも何事もなかったかのように、アンテオケに帰って行きます。パウロはがっかりしたに違いない。しかし、パウロは絶望もしない、へこたれもしない。その秘訣を見て、終わりにしたいと思います。先ほどの18章に戻っていただいて、「とどまってください。」と懇願するエペソの人々に彼はこう言います。
21節「神のみこころなら、またあなたがたのところに帰って来ます。」と言って、別れを告げエペソから船出した。「神のみこころなら……」何とかして、エペソで伝道したい。でも、それは神さまのみこころ次第です。これがパウロの基本的な生き方です。

誓願を立ててでも、ユダヤ人クリスチャンと異邦人クリスチャンが同じ交わりにいてほしい。それは純粋な願いです。そして聖願を立てることは悪いことではない。私たちも同じように、断食をしたり、さまざまな祈りを積み重ねて、神さまどうかこの願いを聞き留めてください(と祈る)。でも、最後はそれもまた神さまのみこころ次第です。

自分の強い願いも、誓いの結果がなる・ならないも、すべて神さまのみこころにゆだねることができたパウロ。淡々と、エルサレムからアンテオケに帰って行くパウロ。

ある若い女性が、宣教会に出席して、宣教師たちの証しを聞きながら、自分もやがて大学を出たら宣教師になりたいという大きな志を得たという話を聞いたことがあります。彼女は祈って、祈ってその思いを育むのです。大学では聖書を専攻し、そして宣教団体の面接を通過し、とうとう宣教師になりました。宣教師として、アジアの国に派遣される、わずか2週間前のことです。お姉さんとそのご主人が交通事故で亡くなります。気がついてみたら、そこにはお姉さん夫婦の二人の小さな子どもたちが残されました。

両親はいません。姉の子どもたちを施設に預けることはできませんでした。里親に預けることができないと思った彼女は、すべての準備が整っていたにもかかわらず、宣教地に赴任することを断念します。この二人の小さな子どもを引き取り、改めて仕事を見つけて来て働き始めます。もう宣教師になる可能性は0でした。それは、自分は宣教師になりたいいという願いに神さまの「ノー」と言って扉を閉ざされた。自分は働き、お金を稼いで子どもたちを学校に行かせ、教会でも奉仕をし、宣教師たちを背後にあって支え、母国にとどまりました。それはそれは複雑な思いでした。でも、それ以外に道がなかったのです。
          
しかし、彼女の人生は最後に大きな祝福を得ます。姉夫婦の代わりに親となって、育てた二人の子どもたちが、宣教師になって行くからです。

人の願いは小さなものです。たとえ、ナジル人のような決意をもって誓いを立てて、忠実にその誓いを果たしたとしても、神のみこころに比べれば小さなものです。神さまのご計画は大きいものです。そして神さまの祝福は、乏しいことが絶対にありません。私たちの小さな願いが「ノー」と拒まれたとしても、神さまは私たちを拒んでいるのではない。このことだけはパウロが私たちに伝えたいことです。

自分がこの宣教地に行きたいと思っていた時に、扉が閉ざされていた。それは小アジアの第2次伝道旅行でした。自分はこの2者が一つとなって福音に立ってほしい。そのために聖願を立てて、儀式を守って忠実に生きて来た。しかし、結果、民族主義のゆえに、この二つは一緒になれない。自分の願いに「ノー」とおっしゃるイエスさまは、私に「ノー」とおっしゃるのではない。私を愛し、私を祝福するために、さらに大きな計画をお持ちである、その事を信じて、いつもみこころならばと、最後を締めくくることができるような人生を送ることができれば、あの箴言19章21 節

「人の心には多くの計画がある。しかし主のはかりごとだけが成る。」と前に進んで行くことができれば幸いです。

☆終わりのお祈り
「神のみこころなら、またあなたがたのところに帰って来ます。」と言って別れを告げ、エペソから船出した。(使徒18章21節)

恵み深い天の父なる神さま、誓願を立ててでもパウロはこのことを叶えてほしかったのでしょう。そしてその事が叶えられるなら、自分のいのちさえも惜しまないと思えるほど、その事を必死に願ったに違いありません。しかし人の立てる願いや誓願を超えて、あなたのみこころの壮大さ、また恵み深さをパウロはよくよく知っていたに違いありません。私たちも時に挫折致します。時にがっかりします。ああ、あれだけ祈ったのに、無理だったのか?と。

しかしあなたの「ノー」は私に対する「ノー」ではない。あなたは変わらずに私に恵み深く、磁悲深く、憐れみ深く、私の小さな願いを超えて、さらに大きな計画を実現してくださるお方である、ということを堅く信じて進んで行くことができるように、私たちを支えてください。イエス・キリストの御名によってお祈り致します。アーメン。


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