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::: 高津教会 説 教 :::


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Name   T・Y
Subject   5/2礼拝と説教「パウロ(22)イエスの中へと浸される」使徒の働き18:22〜19:7
5/2礼拝と説教「パウロ(22)イエスの中へと浸される」使徒の働き18:22〜19:7

☆藤本先生からのお知らせ

●教会のファックスの番号が変わりました。044-571-9535

☆説教
使徒の働きの18章22節からの個所を今日は見ていただきまして、19章に少しまたぎます。ちょうどタイミング良く、ここはペンテコステの聖日に当たればよかったなぁと思うことが、わりとこれまでもシリーズを組んでおりますと、教会の特別な節目に私をいつも導いてくださるのですが、今回はそうではございませんでした。しかし、少しペンテコステのことを思いながら、今日の個所を一緒に読んでいただきたいと思います。

前回は18章22節で終わっています。22節と23節を声を合わせて読みます。「それから、カイザリヤに上陸してエルサレムに上り、教会にあいさつしてからアンテオケに下って行った。そこにしばらくいてから、彼はまた出発し、ガラテヤの地方及びフルギヤを次々に巡って、すべての弟子たちを力づけた」。

22節と23節は大きく分かれます。それは、22節で第2回の伝道旅行の終わりでありまして、つまり一番最後に寄港したのが、21節にありますエペソでありました。エペソにとどまってくれという、その人々の願いを振り切るかのようにパウロは、エルサレムに行って報告を致します。エルサレムの報告が終われば、そもそもの出発教会でありました、22節の最後、「アンテオケに下って行っ」て、そこにしばらく滞在し、もちろん様々な報告、証しをしましたでしょう。

しばらくしてから、23節、第3回目の伝道旅行に出て行きます。23節の中程に、「ガラテヤの地方およびフルギヤを次々に巡って、すべての弟子たちを力づけた」。その後、彼は19章の1節にありますように、エペソの教会に渡って行きます。このエペソの教会が先ほど申し上げました、第2回の伝道旅行の最後に立ち寄った場所です。

20節と21節をちょっとお読みします。「人々は、もっと長くとどまるように頼んだが、彼は聞き入れないで、『神のみこころなら、またあなたがたのところに帰って来ます。』と言って別れを告げ、エペソから船出した」。そして神さまのみこころでありました。エペソの教会、エペソの人々のもとに彼は帰って行きました。

パウロはエペソにわずかしか滞在できなかった。そしてすぐに、エルサレムに戻り、そしてアンテオケに帰る、その間に24節をご覧いただきますと、アポロという説教者がエペソに来たと書いてあります。
24節「さて、アレキサンドリヤの生れで、雄弁なアポロというユダヤ人がエペソに来た。彼は聖書に通じていた」。
25節「この人は、主の道の教えを受け、霊に燃えて、イエスのことを正確に語り、また教えていたが、ただヨハネのバプテスマしか知らなかった」。

雄弁な説教者で(旧約)聖書に通じていた(ユダヤ人)人物がいます。この人物は25節「この人は、主の道の教えを受け」とは、キリスト教の教えを受け、キリスト教に回心した。そして「霊に燃えて、イエスのことを正確に語り、また教えていたが、ただヨハネのバプテスマしか知らなかった」とあります。これはいったいどういうことなのか?今日も3つのポイントに分けて話します。

1)雄弁に、熱心にキリスト教を語りながら、ヨハネのバプテスマしか知らない(後で、聖霊を知らないという表現になっていますが)アポロ。

これは、エペソの教会の人びとも同じでありました。19章1〜2節をちょっと読みます。「アポロがコリントにいた間に、パウロは奥地を通ってエペソに来た。そして幾人かの弟子に出会って、『信じたとき聖霊を受けましたか。』と尋ねると、彼らは『いいえ、聖霊の与えられることは、聞きもしませんでした。』と答えた」。やっぱりです。アポロから伝道されたので、聞いていない。 

2節「信じたとき、聖霊を受けましたか?」とは、ちょっと唐突な質問です。でも状況は唐突でもないのでしょう。パウロはエペソの人々と話をする間に、何か違うなぁ、ちょっと違うんじゃないかなぁとそう感じて、「信じたとき、聖霊を受けましたか?」というものの言い方で問いかけをしたということでしょう。

答えは、聖霊が与えられると言うことも、聞いたこともないし、ましてや聖霊の中を生きて行くということもわからない。ああ、なるほど、聖霊のことを語ることのなかったアポロの影響なのでしょう。

恐らくキリスト教に回心したアポロは、聖霊の存在は知っていたと思いますね。『聖霊』ということばを聞いたことがないというのではないですね。もっと深い意味で、もっと大切な意味で、聖霊の中を生きる、聖霊に従って歩むということが分からなかった。このアポロはどういう風に考えることができるのだろうかという話を今日は致します。

しばらくしますと、5月24日、ジョン・ウェスレーという偉大な信仰者の回心記念日を迎えます。私たちホーリネスやメソジストもみんなジョンウェスレーの信仰に辿っています。ルター派がマルチン・ルターに辿るように、1700年代を生きたウェスレーに戻って行きます。(ウェスレーは)、18世紀イギリス、そしてその後のプロテスタントキリスト教界に最も大きな影響を与えた人物の一人です。私は今年、回心記念日の講演を、5月24日月曜日の、朝そして夜は違う団体で、2回頼まれています。それほど、ウェスレーの流れを汲む多くの教会にとって、大切な日なのです。インマヌエルでは回心記念日をしないのですが、ウェスレーの多くの教団特に日本キリスト教団は強いですね、5月24日、必ずウェスレーの回心記念日として礼拝をし、聖さん式を行うということをしています。

しかし、ウェスレーという人物は1703年に生れて、彼が回心したと言われている1738年に至るまで、彼は34年間の生涯を生きています。牧師の息子として生まれ、教会を牧会し、神学を学び、そして宣教師となって、アメリカまで行っているにもかかわらず、彼は35歳になるまで、自分が本当の意味でキリスト教徒ではなかった、本当の意味でキリストを知らなかったと言っているこのウェスレーは、アポロのような存在です。ちょっと詳しく説明させてください。

ウェスレーは英国国教会の牧師でありました。お父さんも、英国国教会の牧師で母親のスザンナは、ピューリタンの牧師家庭に育つのです。そして息子ウェスレーにとても厳しい家庭教育を施しました。
10才で、ロンドンの寄宿舎制の名門私立中学に入学します。家を離れ、そこでも熱心に聖書を読み、神を毎日礼拝します。
オックスフォード大学の専攻はギリシャ語と論理学でした。そして22歳、卒業と同時に、聖職者になるべく導かれ、按手礼を受けて牧師になります。
信仰に精進し、しばらくしますと、父の教会の伝道所をひとりで預かるようになります。

26才でオックスフォードに再び戻ってきて、学生たちを集めて、ホーリークラブという聖なる生活を追求するためのサークルを設立し、これは厄介なサークルで、(笑)大学の生徒たちには毛嫌いされて、あいつらは修道士のように聖なる生活を追求する輩なのだということで、メソジストというあだ名をもらいます。あまりにも几帳面、あまりにも厳格な彼らの生活を揶揄したようですね。学生のころから、刑務所伝道を始めて、恵まれない子どもたちに洋服を与え食事を与え、学校に教育を与えるという、学生の間でそういう組織を組み上げるのです。みんな週に一回病院を訪問します。みんな週2回断食をします。

あまりにも規律正しく、修道士のような生活をしていた彼ら、それでも満足できなくて、さらにきよめられることを求めて、ジョン・ウェスレー、弟の讃美歌作者のチャールズ・ウェスレー、そしてベンジャミン・インガムの3人は、大西洋を渡ってアメリカのジョージアに宣教師として約3年出かけていきます。大西洋の嵐に沈むばかりの船の中で彼は死の恐怖におののく自分を知って、戸惑います。ずっと自分は聖職者として身を清め、精進していながら、「自分は死に向かうことができる。自分の内側にそれほどの平安が宿っている。」と信じていた。しかし、大波大風に揺られている船を見ながら、自分は死の備えができていないのだと、とたんに不安が心の中でうごめき始める。船の中では、国教会の司祭の出で立ちで、さまざまな人びとに司祭として祈っている自分が、嵐一発で死の準備さえ
できていないことに戸惑ってしまいました。

さて、アメリカに宣教師として上陸してから、ドイツの敬虔派、モラビア派のシュパンゲンベルクと会話をします。大変な神学者でありました。そのときの会話が、ウェスレーの日誌に書き留めてありますので、それをちょっとお読みします。なるほどと思いますね。

彼は、「兄弟、それでは初めに質問させていただきます。あなたには、自分の内に確証がありますか。自分が神の子であるということを、自分自身の霊とともに、神の御霊は証ししていますか。」とシュパンゲンベルグは尋ねた。私は驚いてしまった。なんと答えてよいかわからなかった。彼はそれに気づいたのか、続けて「あなたはイエス・キリストを知っていますか。」と尋ねた。私は少し間をおいて、「主がこの世界の救主であるということを私は知っています。」と答えた。すると彼は、「確かにそうです。しかし主があなたを救われたということを知っていますか。」と尋ねた。私は答えた「主が死なれたのは、私をも救うためであったことを望んでいます」。それに対して、彼は「あなたは本当に自分自身を知っていますか。」と加えただけであった。「はい。知っています。」と答えたものの、それが空しい言葉であると自分では判っていた。

牧師の家庭に育ち、神学部に行き、牧師になり、聖なる生活を追い求めてサークルを作り、それでも飽き足らずに、刑務所伝道、断食、子どものための学校、最後はアメリカの未開拓の地に宣教師として出かけて行った彼でありますけれども、そこで問われたこと、「あなたはイエス・キリストの十字架があなたの救いのため、あなたの罪のためであったということが心から分かっていますか?」と訊かれたら、とたんに「そうであったことを望んでいます」。(と答えるウェスレーでした。)「自分自身本当に知っていますか?」と訊かれたら、「はい。知っています。」と答えたけれども、それが空しいことばであることを自分で判ってしまった。

これから2年半、ウェスレーはジョージアで宣教師として生活をします。だんだん、だんだんわかっていない自分自身をより厳しく締め付け、自分に対して厳しく、人に対して厳しく、彼は最後に絶望して行きます。

当時のウェスレーは、雄弁にキリスト教を語りながらも、聖霊を知らないアポロと同じでありました。聖霊を知らないアポロというのは、こういう存在です。

2)パウロは、それを『ヨハネのバプテスマに生きること』と表現している。
 
19章の3節をご一緒に読む。「『では、どんなバプテスマを受けたのですか。』と言うと、『ヨハネのバプテスマです。』と答えた」。
聖霊を知らない、聖霊が与えられているということを分かっていない、そのエペソの教会の人々のことを『ヨハネのバプテスマに生きる人々』という表現をします。

パウロの3節の質問「では、どんなバプテスマを受けたのか?」は、正確に訳しますと、「あなたがたは、何の中へと洗礼を受けたのか?」です。洗礼とは、『どっぷり浸る』という意味でもありますから、「あなたは何の中へどっぷり浸って生きているのですか?」です。

エペソの人々は、「ヨハネのバプテスマです」と答えました。4節をちょっと読みますね。「そこで、パウロは『ヨハネは、自分のあとに来られるイエスを信じるように人々に告げて、悔い改めのバプテスマを授けたのです。』と言った」。

4節の最後、つまり、バプテスマのヨハネの洗礼は「悔い改めのバプテスマ」だった。どういうことか?バプテスマのヨハネはどういう教えを説いていたのか?彼の教えていたことは徹底した悔い改めです。彼は、人々に向かって「まむしの末たち」という呼びかけをします。

「兄弟姉妹」ではない。「まむしの末たち」です(笑)。今日バプテスマのヨハネがこの講壇に立ったら、私たちに向かって「まむしの末たち」と言うのですよ。(笑)当時のイスラエルの人々はすごい人が来てしまった(と思うでしょう)。当時のイスラエルの人々は神の国がやって来て、自分たちが神の国に入れることを待ち焦がれていた。すると自分のDNA、自分がユダヤ人であることを誇りにするな、そもそもあなたがたはユダヤ人として生きていない。神は石ころからでもアブラハムの子孫を起こすことができる。だからあなたがたはユダヤ人として生きたいのならば、徹底して悔い改めよ。そしてユダヤ人のように律法に正しく生きなさい。取税人であったならば、余分に取っていた分をすべて返し、もしあなたが豊かな者だったならば、貧しい人にその着物を施し、神さまはもうすでに斧を木の根元においている。神の国がやってきたならば、その斧で一撃のもとに実を結ばない木(あなたがた)を倒すぞという説教をしたのです。

これは厳しいです。バプテスマのヨハネが講壇に立つ度に、終わりが近い、迫り来る危機、迫り来る終わりの時、そして神の裁きに耐えられず、滅び去っていく彼らの姿をバプテスマのヨハネはきれいに描いている。 
それを聞いた人びとは、「どうしたら救われるでしょうか」と尋ね、すると、必ず言うことは「悔い改めの実を結びなさい」。ひとことで言うと「罪の償いをしなさい」と教えられます。

こう言うと申し訳ないですけれども、そういう説教が巧みな牧師もいます。あの先生が地獄を描くと見事だねとか(笑)、果たしてあの先生は天国を描けるのだろうか。地獄を描くともうほんとに見事で、あたかも地獄へ行って来たみたいだ(大笑)。そしてもうすぐにでも、どこかで地震が勃発し、どこかで飢饉が起こり、どこかで戦争が起こる度に、この世界に世の終わりが近いという危機感をあおるような説教を得意とする先生もいらっしゃる。私は得意ではない(笑)。私の欠点であるかもしれない。でもそういうことが得意な先生についていますとね、いつでもバプテスマのヨハネのように、アポロのように、雄弁にキリスト教のメッセージを聞きながら擦り込まれていくのは、罪の償いをせよ(ということ)。いつでも、足りない自分を反省し、このままでは、世の終わりが来た時に、自分は天国に上ることができない(と宣言される)。自分が地獄の中でもだえ苦しむ姿を伝えられ、罪を捨て、(罪を捨てるということはいいですよ)、その罪の償いをしなさい(と擦り込まれる)。        

ヨハネのバプテスマを受ける、つまりヨハネの名の中へとどっぷりと浸されるならば、ヨハネによって示され教えられた事柄、つまり迫り来る神の裁きをいかに免れるか、悔い改めて神に立ち返り、罪の償いをしながら生きるようになれということを擦り込まれようにして説かれる。

ウェスレーにまた話を振りますと、彼はジョージアの滞在中に、一生懸命に牧会しながら、とっても厳しい信仰を実践して行きます。シュパンゲンベルグの「あなたはキリストがあなたの罪を赦されるということをわかっているのですか?」という言葉に、彼はドキッとして、自分の罪ではなくて、世界の罪、世界の救い主ならわかる、でも自分の罪が本当に赦されているかどうかわからないと思ったウェスレーは、なんと断食の回数を増やすのです。彼は自分にだけ厳しかったのではない。人にも厳しかった。

生まれたばかりの子どもを、水に浸して洗礼を施します。私は高津教会が滴礼で良かったなぁと思いますよ。正直、以前は多摩川で浸礼でどっぷり浸けていたのですけれども、ちょっとねぇ、あまりきれいじゃないですし、今頃でしたら、バーバキューの方々と一緒に・・・(大笑)。
浸礼で浸けてしまう洗礼方法をとっている教会は割と難しいのですね。礼拝中に洗礼を受ける人も授ける私も水の中に入らなきゃならない。そしてちょっと長めの讃美歌を歌っている間に、急いで着替えて出て来なきゃならない。女性の方で浸礼ですと、頭の髪の毛まで全部濡れますよね。そして準備室にドライヤーを用意して一生懸命乾かしているうちに電気が飛んだりするのです(大笑)。

ウェスレーは生れたばかりの子どもに浸礼をしちゃうんです。耳をふさいで鼻を押さえて水の中に浸ける。親たちはそんなことを、やってほしくないです。この寒い中でそんなことをしたら子どもが病気になっちゃう。(笑)しかし、「これが正式な方法です」(と言って授ける)。

自分に厳しい人は実は人にも厳しいです。ウェスレーはソフィーという女性と恋愛をします。ところが自分の思いが煮え切らないうちに、ソフィーがほかの男性と結婚してしまうのです。ウェスレーは心の中でわだかまりが残った。悔しさが残った。そしてなんと彼がとった態度は、ソフィーを聖餐式から閉め出すのです。これが裁判になる。そりゃ、裁判になりますよ。ソフィーという人物は、当時のジョージア州の、今もオグレソープ大学という大きな大学がありますが、州知事オグレソープの姪御さんですよ。その姪御さんにあなたには聖餐式を授けないと言うのなら、えらいことですよ。

ウェスレーはしばらくすると、英国に帰って自分の日誌を出版します。それはアメリカジョージア州での自分の行動を弁明するためです。どうしてソフィーを聖餐式から締め出したのか?振られたから(笑)….それは言えない。それでまた理由をつけて、ソフィーはこの半年間罪の告白をしていなかった。そりゃ、していないでしょう。あなたと恋愛していたのに、どうして罪の告白ができますか?でもそれを理由に彼は聖餐式から締め出して行くのです。

奇妙な人物になって行きます。とっても真面目。とっても立派な生活。そして誰の目から見ても、立派な英国国教会の司祭なのですが、彼は実は自分の弱さを受けとめられない。弱い自分がいつもバプテスマのヨハネの前に立っているのですね。弱ければ、その弱さを埋めるようにもっと沢山の罪の償いをしなさい。いつまでもいつまでも、バプテスマのヨハネの説教を聞かされて、その中に浸けこまれているような目線は自分の弱さを受け入れることもできなければ、人の弱さも受け入れられない。彼は赦しの喜びに生きる者ではなく、自分の頑張りを美徳とする。そして人のことを裁くようになる。

1738年2月1日に、彼は34歳の時に、逃げるようにしてイギリスに帰って来ます。イギリスの港に着いたその晩の日誌に彼はこう書いています。

「私が地の果てに行って学んだことは、自分は神の栄光を受けるにはふさわしくない者で、……私自身の行ないも、苦しみも、義も、神の怒りをやわらげることはできないものであった。自分は、罪の中で最も小さいものさえ贖なうことができない。神の義なる裁きの前で私はとうてい立ちおおせることができない」。彼は甲板の上で、本土の島を見ながら、泣き崩れて行くのです。

ウェスレーがどっぷりと浸っていたのはヨハネのバプテスマでした。いつもこいでいなければ自転車は倒れてしまいます。そういう信仰で彼はいつも罪の償いという、信仰の業と言う、キリストに信頼するというひとつの行いですよ、その自転車をこぎ続けるかのように頑張って、そして最後に、疲れ果ててしまい、喜びも感謝もなくなってしまいました。

パウロは、雄弁でありながら、バプテスマのヨハネの悔い改めのメッセージを擦り込まれていたエペソの教会の人々に何かおかしいと感じ、そして主イエスの名によるバプテスマを授けます。5節をご一緒に読みましょう。19:5「これを聞いたその人々は、主イエスの御名によってバプテスマを受けた」。

3)では、主イエスの名の中へとどっぷり浸された者は、どうなのでしょうか。

6節「パウロが彼らの上に手を置いたとき、聖霊が彼らに臨まれ、彼らは異言を語ったり、預言をしたりした」。

パウロは、エペソの教会の人々に主イエスの名による洗礼を授ける、単なる儀式のことではない。改めて、福音を語る。6節に「聖霊が彼らに臨まれ、彼らは異言を語ったり、預言をしたりした」とありますが、異言と預言とは、ある意味正反対のことばです。

異言とは、霊的に、意味不明のことばで話をすることです。日本語でもない、外国語でもない。初代教会では、異言を語ることも聖霊の賜物として数えられていました。パウロ自身も異言を語りました。
預言は、逆で人が聞いてわかることばです。聖書を説き明かしたり、証しをしたり、賛美をすることです。 
                
この二つは性格が違いますが、パウロがキリストの御名によって洗礼を授けると、キリストの中に彼らは引き込まれて行った。人々は、霊的なことばを語るようになったということです。それは、何か特別な神秘的な、霊的な体験というだけの意味ではない。その時はそうだったのかもしれない。しかし、そういうことはエペソの教会では重要視されていません。そうではなくして、彼らはキリストの恵みを賛美し、感謝し、証しするような人物へと変えられて行った。御霊の賜物は、キリストを証し、キリストを感謝する喜びです。

自分に厳しく、人に厳しい世界から、自分の罪深さに頭を抱え、人の罪深さを批判する世界から、ウェスレーは罪の赦しを味わい、神の愛を喜び、神の愛に感謝する人に変えられて行った。ウェスレーは、このアルダスゲイトの回心の日から、ロマ書の5章5節を頻繁に引用します。ご一緒にお読みしたいと思います。「この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです」。

アポロは聖霊を知らなかったわけではない。だけどユダヤ人として、特にアレクサンドリヤというユダヤ教が非常に強いエジプトの一角に育ったアポロは、神の愛、罪の赦し以上に、神の国を前にした、裁きを前にした、恐怖と悔い改め、罪の償いというものにメッセージの重点を置いていました。

しかしパウロはキリストの恵みを説きます。そしてその聖霊をバプテスマで授けます。その聖霊は何をするのか?神の愛があなたの心に注がれている。そして人々は、悔い改めという重荷を背負って生きるのでなくして、神の愛が満たされている喜びの中を生きて行くようになります。
      
1738年の2月にイギリスに戻ってきたウェスレーは、5月24日、ロンドンのアルダスゲイト街の集会に出席しました。そこで、イエス・キリストの救いの喜びに浸ります。ちょっとそこをお読みします。

「夕刻、私はひどく気がすすまなかったけれども、アルダスゲイト街の集会に行った。そこである人がルターの『ローマ人への手紙』の序文を読んでいた。夜9時15分前ごろであった。彼が、キリストを信じる信仰を通して神が心のうちに働いてくださる変化について説明していたとき、私は自分の心が不思議に熱くなるのを覚えた。私は、救われるためにキリストに、ただキリストのみに信頼した、と感じた。神が私の罪を、この私の罪さえも取り去ってくださり、罪と死の律法から救ってくださったという確信が、私に与えられた」。

「キリストを信じる信仰」は、ウェスレーの心を不思議に熱くしました。そして、自分の悔い改めの行いでもない。自分に対する厳しさでもない。彼はキリストの愛の中に、憐れみの中に、あるがまま、そのまま飛び込んで行った。その愛とは、私たちを愛するがあまりに、ご自身のいのちさえも投げ出してくださったキリストの愛です。そんな私たちを救うために、御子イエスを十字架に捧げてくださった父の愛です。

そして、ウェスレーはわかりました。こんな自分の罪さえも十字架にあっては赦されているのだ。こんな愚かな自分でさえも、罪は取り去られて、自分は神の子どもとされ、奴隷ではない、天国を相続する神の子どもとされているのだ、という確証が彼の心にあふれてきました。

今日、この礼拝から帰って行く私たちもそうです。なぜなら、私たちは自分の罪深さをよ〜く分かっています。ウェスレーのように、自分の弱さもよ〜く分かっています。しかし、それを圧倒して包み込むところのイエス・キリストの愛も、私たちのために投げ出してくださっているからです。
   
☆終わりのお祈り
恵み深い天の父なる神さま、あなたの御名によってバプテスマを受けたにもかかわらず、自分の不出来、自分の足りなさというその洞穴の中に入り込んだまま、なかなか出ようとしない自分の愚かさ。(を悔い改めます)。

いつまでたっても、イエスさま、あなたの姿をバプテスマのヨハネのような厳しい目つきで、自分の罪を嘆きながら、何とかあなたの期待に沿わなければと、必死になって罪の償いをしているような愚かな者であったとすれば、主よ、どうか、恵みの讃美歌を歌い、あなたの愛のメッセージに触れ、イエス・キリストのバプテスマの中に、イエス・キリストの恵みの中にどっぷりと浸けてください。そしてその中で悠々と泳がせてください。

聖霊のその名により、私たちのひざから肩から頭の上まで、全部包み込んで愛の中に生かされているということを私たちによく教えてください。イエス・キリストの御名によってお祈り致します。アーメン。


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