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::: 高津教会 説 教 :::


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Name   T・Y
Subject   5/23ペンテコステ礼拝と説教「パウロ(24)唯一の備え」使徒の働き19:21〜22
5/23ペンテコステ礼拝と説教「パウロ(24)唯一の備え」使徒の働き19:21〜22

☆藤本先生からのお知らせ
●ペンテコステの聖日がいかなる日に当たるのかは、週報に記されている通りです。午後にフェロー・シップがあり、お弁当の販売もありますので、ご自由に積極的にお残りください。今日は4月に引っ越してきましたI兄姉、そしてK兄姉のお証しがございます。新しく高津教会に来られて間もない方々の信仰的な背景や、あるいは高津教会の印象やこれからの抱負などを語っていただきたいと思います。

●6月6日ののアーサー・ホーランド先生を迎えての特伝、これが一番大きなことですが、今日はがきサイズのものが週報に挟まっています。そこには祈りの課題が印刷されておりますが、どうかそれを見ながら、ご自分でさらに祈りの課題を加えて、2週間しっかりと祈り続けていただきいと思います。申し上げましたように、約8千枚のチラシを、近隣の新聞に折り込みます。そこからもいらっしゃるでしょうし、アーサー・ホーランド先生のファンの方々もいらっしゃると思います。でも一番大切なのは、特別伝道会を迎える私たちの心の内に、主イエス・キリストの伝道の重荷を分かち合っていただき、私自身が伝道のために祈る、また何かをするということで、先週実行委員会が開かれました。多くの方々がご協力いただきましたが、ともかく祈って支える、祈って加わる伝道会でありたいと思います。私たちのたましいも刷新されますように、よろしくお願いいたします。

●明日は5月24日、ジョン・ウェスレーの回心記念日にあたります。午前は青山学院の青山キャンパスで講演を頼まれております。夜は元麻布の安藤記念教会で、ウェスレーの回心記念礼拝がありますが、ここでも講演を頼まれています。安藤記念教会というのは、いらっしゃらなくてもいいのですが、一度HPを見ていただきますと、教会が大谷石でできています。そしてほんとにきれいな、見事なステンドグラスが組み込まれた古い教会です。もしご関心がありましたら、いらっしゃればいいかなと思いますが、ちょっと麻布十番の駅から降りてまた10分ぐらい歩かなきゃならない。ですが、一見の価値ある教会ですのでお時間がありましたら、ぜひお出かけください。(主催:日本基督教団、メソジストの流れ、更新伝道会、そちらのHPの掲示板に便利なアクセス方法も出ています。   http://www.koshindendo.com/index.html)

●6月の予定が出ておりますが、6月は第1聖日が「特別伝道会」の午後に当たりますので、「CSの教師会」と、「祈りの時」を、大変申し訳ないのですが第3聖日に移してありますので、その事を覚えておいてください。

●携帯電話への聖句の配信は毎日しておりますが、送信元が tkchurch@immanuel.or.jp
に変っています。以前登録された方は2名を除いて全員受信されているはずです。余計な説明を加えますと、却って聖句のインパクトが少なくなるかなと思い、示された聖句を単純に1句送っているだけですので、どういう意味だろうとか思われる方はどうかご自分で聖書を開いて調べてください。

☆始めのお祈り
まことに、神なる主は太陽です。盾です。主は恵みと栄光を授け、正しく歩く者たちに、良いものを拒まれません。(この日の交読詩篇84篇より11節)

恵み深い天の父なる神さま、このペンテコステの聖日、2000年前、天に昇られた主イエスが弟子たちに使徒たちに聖霊を注ぎ、教会が誕生したこの日を、全世界の教会があなたの恵みに期待し、聖霊の油注ぎを今日も求めながら、礼拝を迎えていることでありましょう。日本全国の教会を祝福してくださるとともに、また迫害の地の教会も、貧しい教会も祝福してくださるとともに、小さな私たちの群れも憐れんで下さい。

今日初めて教会に来られた方がおられましたら、また久しぶりに来られた方がおられましたならば、今日転会された永見家の方々とともに、あなたが豊かな祝福をもって臨んでください。「わたしにとどまりなさい。そうすればわたしも、あなたがたのうちにとどまります。そういう者は多くの実を結ぶのです。」とのみことば(ヨハネ15章4節5節参照)をあなたが成就してくださらんことを切に願います。

今日さまざまな用件で来ることのできなかったお一人お一人の上にも届いてください。今日の午後のフェローシップもお守りください。すべてを御手に委ねて、柔らかな心と熱き信仰をもってみことばに聞く、我らを祝福してくださることを今日から信じて、イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。

☆説教
今日は使徒の働きの19:21〜22というのは実は、これまで学んでいるところのまとめで、ずっとこうなることを願いながら話を進めていました。もう一カ所聖書を今日は開きますが、しばらくお話にお付き合い頂きたいと思います。(ポイントとタイトルは勝手ながらT・Yがつけさせていただきました)。

1)キリスト者の唯一の備えのため聖霊は注がれている

1845年にイギリスから138名の有能な船乗りが、2隻の船に乗って、北極目ざして航海に出て行きました。イギリスから北西に上がって、カナダの上を抜けて、北極へというのが彼らが描いていたプランでありました。船長のジョン・フランクリン卿は、この航海が北極探検に多大な貢献をなすということを信じて、出航します。そして、事実、多大な貢献をします。でもそれは、彼らの成し遂げた成功ではなく、彼らの失敗によってです。
 
船は出発した港に戻って来ることはありませんでした。138名の2隻に分かれて乗り込んだ船乗りは、全員の死亡が確定しました。そして、後に北極探検を目指す者たちは、全員、この航海から大きなことを学びました。それは、航海にはそれなりの準備が大切だということです。

明らかに船長のフランクリン卿は、その姿勢に欠けていました。蒸気エンジンを積み込んだ船には、燃料となる石炭はわずか12日分しかありませんでした。燃料は十分ではない。しかし、船にはホテルのような設備が積み込まれていました。1200冊の図書(図書館)があった。船にはオルガンが積まれていて、銀のお皿にナイフとフォーク・ガラスの器も積んであった。

寒さに備えての防寒服は、用意されていませんでした。皆が、王室海軍と同じネイビー・ブルーの制服、ネイビーブルーのコートを着ていました。

数日もしないうちに、船のデッキが凍るようになります。やがて、船は氷に取り囲まれて身動き取れないようになってしまいます。数名の者たちが、救援隊を探しに、氷の上を小さな船をロープで引きずりながら歩きます。イヌイット、インディアンが目撃したという情報があったそうです。

理解に苦しみます。厳しい航海が予想されてしかるべきところ、どうしてこんなに軽装で出かけて行ったのか? 当時のロンドンの新聞は、彼らはまるで午後の紅茶を飲みに出かけるつもりだったのか、という批判をしています。

イエスさまは違いました。イエスさまは、弟子たちが直面している世界をよく見ておられました。ヨハネの福音書をちょっとご覧いただきたい。

●ヨハネ15:18「もし世があなたがたを憎むなら、世はあなたがたがよりもわたしを先に憎んだことを知っておきなさい」。
つまり、もしあなたがたが迫害されるようなことがあるなら、わたしがまず迫害されたことを覚えておきなさい。イエスさまは、延々と弟子たちが直面する厳しい現実を伝えます。

●ヨハネ16:1「これらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがつまずくことのないためです」。
そのように弟子たちが直面する現実を認識しておられた主は、弟子たちに備えをされます。

それは、どんな氷の海をも乗り切ることができる備えでした。立派な服を着込んでも、しっかりと教養を身につけたとしても、誇り高く、人間らしく生きる志を与えても、当然、それでは弟子たちを待ち構えている現実には対応しきれない、とイエスさまは知っておられました。

この氷の海を、私たちの人生の氷の海を乗り越えていくために、備えは一つしかない、とイエスさまは知っておられたのです。その一つしかない備えとはいったい何か?それがイエスさまが繰り返しおっしゃった、「聖霊を受けなさい」です。これ以外にはない。キリスト者として、聖霊を受けなさいと。

イエスさまは、何度もそのことを強調されます。ヨハネの福音書15章の26節をご一緒にお読みしたいと思います。
●ヨハネ15:26「わたしが父のもとから遣わす助け主、すなわち父から出る真理の御霊が来るとき、その御霊がわたしについてあかしします」。*****わたしは父のもとから、あなたに助け主を遣わす。この方がわたしがあなたのためにできる唯一の備えだ。
     
●ヨハネ16:7、一番最後の行に同じように書いてあります。「わたしは助け主をあなたがたのところに遣わします」。
  
●ヨハネ16:12を見てください。とっても意味がある。「わたしには、あなたがたに話すことがまだたくさんありますが、今あなたがたはそれに耐える力がありません」。(13節)「しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます」。
どういうことか?*****それは、あなた方がこれから直面する人生のさまざまな出来事のために、話したいことはたくさんある。でも全部を話すことはできないし、全部を話したからと言って、解決するわけではない。わたしはすべての問題のカギを握る聖霊をあなたがたに遣わす。それが唯一の備えとなるということを心しておいてほしい。

弟子たちもこれらのことをわかっていました。ですから、聖霊を受けることを願って、エルサレムを離れません。(使徒1:4〜5、8参照)主が昇天してから、そして、イースターから数えて50日目に聖霊が天から降りるわけですけれども、ひたすら、弟子たちもイエスの兄弟たちも、イエスに付き従ってきた者たち、全員が120名と書いてありますが、祈りに専念して聖霊を待ちます(使徒1:14〜15参照)。イースターから数えて50日目の日、聖霊が弟子たちの上に臨み(使徒2:1〜3参照)、おびえていた彼らが、勇気あふれて、キリストの十字架と復活を語るように変えられて、(使徒2:14〜40参照)教会が誕生し、備えがなされた。

私たちは備えがなされた時代を生きているということを覚えてください。もちろん私たちは聖霊を悲しませます。私たちは聖霊をわきに退かしていつの間にか、自分が生きるようになる。ですから、聖霊がさらに注がれるようにふんだんに注がれるように祈りますが、しかし、聖霊はすでに私たちの心に注がれているという事実(があるのです)。もっと注いでくださいというのは大切なのですが、しかし聖霊はすでに教会に注がれているという、聖霊の時代を生きているという現実を私たちは決して忘れてはいけない。


2) 聖霊の働きはどういうものか?

その唯一の備えである聖霊は、どのような助けをくださるのでしょうか。私は、今朝のペンテコステに至るまでに、すでに2回聖霊の学びをしてまいりました。思い起こしてください。先々週は、使徒の働き19章のエペソにやってきたパウロを学びました。

パウロの前に、アポロというユダヤ教の律法に非常に詳しい、優秀な説教者がエペソの教会を牧会しておりました。彼は律法に基づいた悔い改めを徹底して教えます。何かおかしいと思ったパウロは、アポロが去った後、エペソの教会の人びとに尋ねます。「あなたがたは洗礼を受けたときに、何に浸されたのか?」というのが原語に忠実な訳です。悔い改めの世界に浸されたのか?神の愛と赦しの世界に浸されたのか?明らかに彼らが浸っていたのは悔い改めの世界でありました。パウロは彼らに手を置いて、聖霊の注ぎを祈り、彼らは神の愛に浸されます。

私はウェスレーを引き合いに話をしました。彼は厳しい牧師家庭で訓育を受け、国教会の司祭として按手を受け、アメリカのジョージアに宣教師となっていながら、ずーっと彼は悔い改めの世界に浸されて生きて来た。
そして、明日が記念日となる、1738年の5月24日に、ロンドンのアルダスゲイト通りの集会で、十字架に実現された神の愛の世界に、彼はどっぷりと浸ることができました。それが、彼に与えられた聖霊の働きでした。  

先週は、その続きでした。エペソにいたユダヤ教の魔術師がパウロの奇跡に魅せられて、パウロのやっている方法で悪霊につかれた人から悪霊を追い出そうと試みます。「パウロが信じているイエスの名によって、悪霊よ出て行け」。すると、悪霊は、「俺たちはイエスは知っている、パウロも知っている、しかしおまえたちのことは何ひとつ知らない。」と言って、逆に悪霊はぼろぼろにされていきます。そんな魔術師を見て、エペソのクリスチャンの多くの者たちが、自分たちは洗礼を受けた、教会に集っている、しかし、いまだに魔術的な世界に浸っているのではないか、その事を促されて、彼らは罪を告白して、罪から離れて行きました。これもまた聖霊の働きでありました。

先々週見たのは、@聖霊は、神の愛を私たちの心に注ぎます。

先週見たのは、A聖霊は、私たちの罪深さを教えて、罪から離れる力を与えてくださいます。

そして、今朝は、19章の21節から、B聖霊は、行く道を示してくださる、つまり導いてくださる、ということです。


3)パウロは聖霊によって、壮大な計画を示された

ちょっともう一度19章21節をご一緒に読みたいと思います。「これらのことが一段落すると、パウロは御霊の示しにより、マケドニヤとアカヤを通ったあとでエルサレムに行くことにした。そして、『私はそこに行ってから、ローマも見なければならない。』と言った」。

パウロは、約3年間エペソで伝道をしています。これが第3次伝道旅行ですが、実は19章21節はその締めくくりなんですね。そこで彼は、今後の壮大なビジョンを明らかにしています。「マケドニアやとアカヤを通ったあとで、エルサレムに戻り、それからその先私はローマに行く」とはどういうことか?

それは、ギリシャとトルコの世界の伝道にひとつの区切りをつけたい。伝道するには十分な教会を私は生み出してきた。第3次伝道旅行に至るまで。今後はその西側にある、ローマ帝国の首都ローマに行きたい。さらには彼は、実はもっと大きな伝道のビジョンを持っていたのですね。ちょっとロマ書の15章を開いていただきたい。そこに彼のビジョンのもう少し詳しい内容が書いてあります。

ローマ人への手紙15:22−24をご一緒に読みましょう。「そういうわけで、私は、あなたがたのところに行くのを幾度も妨げられましたが、今はもうこの地方には私の働くべき所がなくなりましたし、また、イスパニヤに行くばあいは、あなたがたのところに立ち寄ることを多年希望していましたので、――というのは、途中あなたがたに会い、まず、しばらくの間あなたがたとともにいて心を満たされてから、あなたがたに送られ、そこに行きたいと望んでいるからです。――」

パウロは、このローマ人への手紙を書いたのはアカヤです。先ほどの使徒の働き19章の21節で「私はこれからエペソを去り、マケドニヤとアカヤを通ったあと、エルサレムに帰り、そこからローマに行きたい」、その途中のアカヤからローマのクリスチャンに手紙を書いたというのが、ローマ人への手紙です。ローマに行きたいという手紙の中で、実はローマだけではない。自分はイスパニヤに行きたいと言うのです。

イスパニアは、今のスペインです。ということは、これまでの3回の伝道旅行で、ローマ帝国の東側の仕事はほぼ終えた。(トルコ・ギリシャには拠点となる教会を生み出して来た)、今後は、ローマに行き、さらにはそれを超えて、帝国の西の果て、スペインにまで私は行きたいのだ、と壮大なビジョンが、実は使徒の働きの19章21節に記されていると思って、もう一回19章の21節を見て行きます。

4)パウロは唯一の備えは聖霊と自覚していつも祈っていた

実はパウロはイスパニヤには行けません。その事を心しながらパウロの壮大な計画に目を留めていただきたいのですが、自分はマケドニヤとアカヤを通って、エルサレムに戻り、そこから彼はローマに行く。実はローマに旅して行くのではない。ローマに護送されて行くのです。裁判のために。でも彼はローマに行くということを示されている。さらにイスパニヤにも行きたい。
                  
この壮大な計画には、そこにはさまざまな困難が伴う、恐れも苦しみも、不安も、そんなことはパウロは百も承知でしょう。実際、大変なことが待ち受けています。それを前に、彼はただ一つの備えを握っています。それが聖霊です。ちょっともう一回聖書を見てください。

21節、正確に訳しますと、『御霊の示しによって』ではなく、『霊によって』です。マケドニア、アカヤを経てエルサレムに行き、さらにその後でローマへ行く事を、パウロは『決心した』となります。
なぜ、聖霊ではなく、霊なのか?それは、原語には霊ということばしかないからです。

ですから、それが聖霊なのか、パウロの自身の霊のことかはわかりません。新改訳では、「行くことにした」となっていますが、原語はもう少し強くて、決心した、決めた、となります。ルカ21:14では、「心を定める」と訳されています。

すると、二通りの訳が可能になります。
A.もし、この霊がパウロの霊だとしたら、自分は心から決心した、心底決心したという強い決意を表しますね。
B.もし、これが聖霊だったら、敢えて聖と言うことばはないですが、聖霊と訳してこの新改訳聖書の訳文のように、聖霊に示されて、聖霊に導かれて、決心した、ということになります。 

文法的には、どちらとも決めかねます。しかし、明らかに新改訳のように聖霊の要素を、入れざるを得ないでしょう。

つまり、こういうことです。もしパウロが自分の今後の歩みを、自分の夢や希望に基づいて、自分の判断で計画する、ということがありえるのか?パウロはそういう人物だったのか?いいえ、そうではない。心からの決意であったとしても、パウロが唯一の備えである聖霊と親しく相談しないということはあり得ないです。

これまでの伝道旅行で、パウロは詳細に地図を開いてその地理を勉強したとは、聖書を見ても書いてない。勉強したとは思いますよ。あるいは自分が伝道する先の町の文化状況に関して、彼は詳細なレポートを提出してアンテオケ教会の承認を得たという記述は一度もない。パウロが伝道旅行に出かけて行くときに、いつもそこにあるのは、聖霊の判断、聖霊の導きでありました。ですから、この聖書の個所は当然のごとくに『聖霊の示しによって』あるいは『聖霊の導きによって』パウロがそう決心したと考えるべきですね。

しかし、これが聖霊の示しだとしたならば、それは必ずしも、ある日天から声があって、「お前はこうしなさい」「お前はここまで行きなさい」と示される、というようなものではなかったでしょう。私たちは以前学びました。

パウロはこれまでも、自分が計画した伝道の門戸が 閉ざされ、他の町に行こうとしたらまたそこも閉ざされた、いったいどうなっているんだろうかというときに、パウロは後から考えてみて、それは聖霊によって禁じられたのだと、告白しています。(注***16章6節〜8節参照)それほど彼は、時間をかけて聖霊の語りかけを聴くということをいつもしていた。

時間をかけて聖霊の導きを悟る。そして、仮にそれが聖霊の導きであり、聖霊の示しであると納得できるとするならば、パウロはいつも自分の進むべき道を真剣に祈り求め、自分にとっての唯一の備えは、キリストが与えてくださる聖霊を受け、聖霊に聞き、聖霊に委ねることなのだ、とパウロは自覚していた。そういう人生を歩んでいた。だから門戸が閉ざされたならば、聖霊が禁じられたと言い、いつも祈っているから、自分の心の中にビジョンができたならば、これは聖霊の導きなのだと彼は言う。

私が考えるのは、日頃から聖霊との交わりがない人が、いきなり「これは聖霊の導きで」と言われると、これは不安になりますね(笑)。それは君の勘違いだよ(笑)、もう少し、調べた方がいいよと言います。でも試行錯誤を繰り返しながら、徹底して聖霊の導きに頼り、そして自分はこうだと決めておきながら、実際にそれが挫折すると、聖霊が禁じてくださったと素直に言えるような人が、私は聖霊に示されてイスパニヤまで行きたいと言うと、なるほどこの人にとっての唯一の備えは聖霊なのだということがわかります。

私は最近とみにリサーチするようになりました。これは言うまでもなく、インターネットのおかげですね。最近教会にいらっしゃる方々は、ほとんどまずネットを見てからいらっしゃる。ネットを見ずしてレストランさえも行かない。ネットで口コミを読んで良いレストランなのか、悪いレストランなのか、ある程度情報を得てから行きますでしょう。そういう情報社会に生きていますと、私たちは先ず欲しいのは情報だという大前提ができ上っています。自分の体調が悪い、病院を探すと言うと、まず必要なのは情報で、そこにどういう医者がいて、どういう評判があって、どういうリサーチ、どういう処方をしてくれるのだろうか、というすべての前提があって、私たちは「この病院にしたいと思いますので、イエスさま、よろしくお願いします」。あるいはもうイエスさまは出て来ない。

おおよそ私たちは、すべてそういう傾向性の中にあるということを自覚しながら、(思うことは)、パウロは、自分の壮大な計画、しかもその計画の一部は実現しないのです。彼はローマで殉教するのです。イスパニヤまで行くことができないで、ローマで彼は人生を閉じるのです。しかしそうであったとしても、聖霊が私を導いておられると言うパウロは、どれ程聖霊にすべてを委ねて聖霊に相談し、自分の情報を信頼せず、人からの情報よりもまず祈りと言うことに全身全霊を傾けていたかが改めてよくわかる。

イエスさまはおっしゃった。『あなたがたに言いたいことはたくさんある。あなたがたの先を見ると、私にはまだまだあなたがたに伝えていないことが沢山ある。早く全部伝えようともしない。代わりにあなたの唯一の備えである聖霊をあなたに授けよう。』と言われて、私たちは洗礼の時に聖霊をすでに受けている。でも全然それを使わない。

フランクリン卿の船ではありませんけれども、私たちがこの人生という船に何を積みこむかということばかり考えている。そしてこの船がやがて氷の海に閉じ込められたら、そこからどういう風に脱出できるかということを、綿密にシュミレーションしながら、人生を設計して行く。もちろん、少々の楽しみの道具も必要でしょう。知性や情報も必要でしょう。自分を磨くための様々な手だてもあった方がいいでしょう。日常生活の必要を満たすための準備も必要でしょう。

しかし、それだけでは、フランクリン卿の船が北極に到着することができなかったように、私たちの船は(人生の荒波を越えて)、神の国にたどり着くことはできない。それらすべてを捨ててでも、自分の進むべき道を真剣に祈り求め、自分にとっての唯一の備えは、キリストが遣わしてくださる聖霊を受け、聖霊に聞き、聖霊にゆだねることだと自覚するペンテコステの日曜日でありますように。そういう日曜でありますように。そして、情報に走り、立案することに得意な私たちであればある程、そんなものは所詮、氷の海に取り囲まれたら何の備えにもならない。自分のありとあらゆる判断と決断を、いつも聖霊を相談相手として祈り続けるような信仰者とさせていただきたいと思います。

☆終わりのお祈り
恵み深い天の父なる神さま、パウロは行く先が閉ざされたならば「聖霊が禁じられた。」と言い、エペソの人々に「どうかもっと長くここに滞在してください。」と言われれば、「神のみこころならば、私は必ずここに戻って来ます。」と言います。そしてエペソを去る時に、聖霊のビジョンに示されて、「私はローマに行く。」と言い、つまるところパウロの人生のどこを開いても、詳細な情報や人間的な計画は出て来ないのです。

この姿を見ながら、ペンテコステの日曜日、私たちもまたパウロのように、自分の人生にとっての唯一の備えはイエス・キリストが遣わすと約束してくださった聖霊であると、自覚したいと心から願っている私たちに、自覚することができるように、毎日のように聖霊の語りかけを与えてください。それでいいのか?よく祈ったのか?わたしに委ねることができるのか?と。はい、祈らせてください。委ねさせてください。あなたに任せることができますようにと、本当に幼子のような信仰を私たちに授けてください。イエス・キリストの聖名によってお祈り致します。アーメン。


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