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::: 高津教会 説 教 :::


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Name   T・Y
Subject   6/13説教「パウロ(26)パウロの労苦」使徒の働き20:1〜6
6/13説教「パウロ(26)パウロの労苦」使徒の働き20:1〜6

☆説教
先週は、特別伝道集会がありましたが、今日はいつものように使徒の働きの20章に戻っていただき、そしてパウロの生涯からの学びに戻りたいと思います。シリーズの26回目ですが、正直申しまして、今日が一番しんどい。それで、しんどいけれども、避けることはできない聖書の個所で、少しでも理解を深めていただくために、週報の間に地図といろんな聖書の個所を挙げています。それで、それに向かって学びを進めてまいりたいと思いますが、前半部分はひたすら聖書をよく開きますので、よろしく忍耐をもってお付き合い願いたいと思います。

20章の1節にこう始まります。
20:1「騒ぎが治まると、パウロは弟子たちを呼び集めて励まし、別れを告げて、マケドニヤへ向かって出発した」。
この『別れを告げてマケドニヤへ出発した』というのは改めて見て頂きたいと思いますが、
2節に、「そしてこの地方を通り、多くの勧めをして兄弟たちを励ましてから、(マケドニヤを南下して)ギリシャに来た」。
(3節)「パウロはここで三か月を過ごしたが、そこからシリヤに向けて船出しようというときには、彼に対するユダヤ人の陰謀があったため、彼はマケドニヤを経て帰ることにした」。
『パウロはここで三か月過ごした』というのは、これはコリントで三か月を過ごしますが、ですから、この3節の前半まで、この経緯を少しじっくりと話したいと思います。つまり、エペソでの働きを終え、エペソに別れを告げてマケドニヤへ出発する、マケドニヤから南下して、ギリシャのコリントに来て、三か月を過ごすということが、いったいどういうことなのだろうかをお話をしたいと思います。

パウロは今、第三回目の伝道旅行の最中で、その終わりを告げています。決して短くはありませんでした。三年間の滞在、主に出てくる地名はエペソのみです。地図を見ていただきますと、そのトルコ(アナトリア?)半島の一番左側、エーゲ海を渡って、上がマケドニヤ、下がギリシャ地方でありますが、そこにエペソの町の地理関係が出ています。

三年間滞在したのはほぼエペソでありましたが、その働きはエペソに限定されていませんでした。実はこの三年間にパウロは『ガラテヤ人への手紙』を執筆致します。そればかりか、『コリント第一の手紙』、『(コリント)第二の手紙』も書きます。ですから、彼はエペソからエルサレムに戻るのではなくして、先ほど申し上げましたように、マケドニヤを経てコリントに来た。なぜなら彼はこのエペソ滞在期間中にコリント第一と第二の手紙を書いている。エペソで伝道しながら、彼の頭の中にはいつもコリントの教会があったという前提で、今日はパウロとコリントの教会について考えていただきたいと思います。

T)コリントの教会は第2次伝道旅行で誕生

使徒の働きの18章をちょっと開けてください。ここで第2次伝道旅行の時にコリントの教会を打ち建てたことが記されています。18章1節に「その後、パウロはアテネを去って、コリントへ行った」(と記されています)。パウロは疲れていました。パウロはテサロニケ、ベレヤ、アテネと巡って、どこの町へ行っても最後は追い出されてしまいます。そして、逃げるようにコリントに行ったときに、18章の2節にアクラとプリスキラという、同じようにローマから逃亡して来たクリスチャンの夫婦に出会います。彼らは天幕を作る仕事をしていました。そこでパウロは自分も『同業者だったので』(3節)、ということは、自分もその技術を持っていたので、このアクラとプリスキラの家に住んで一緒に仕事をし、安息日ごとに、会堂で話をしました。パウロはさまざまな困難にコリントの地方で出会います。しかし、18章の9節を見ると、「ある夜、主は幻によってパウロに、『恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない」(と言われました)。11節をご覧いただきますと、パウロは『1年半腰を据えて』、そしてコリントの教会を打ち建てて行きます。

●コリント教会を最初に建てたときの事情はTコリント4:15に記される

その時のことは『第一コリント人への手紙』の4章の15節に出て来ますので、まずそれを見てください。この4章15節に一番最初にパウロがコリントの教会を作った時のことが記されています。14節からご一緒に読んで行きましょう。

(14節)「私がこう書くのは、あなたがたをはずかしめるためではなく、愛する私の子どもとして、さとすためです」。
(15節)「たといあなたがたに、キリストにある養育係が一万人あろうとも、父は多くあるはずがありません。この私が福音によって、キリスト・イエスにあって、あなたがたを生んだのです」。

パウロはコリントへの教会に行って、次の年に手紙を送っています。ほかの伝道者がやって来て、さまざまな教えを伝えて、やがて教会は混乱しているという状況なのです。ですから15節に、「たといあなたがたに、キリストにある養育係が1万人あろうとも」というのは、私の後に入ってきた伝道者が一万人いたとしても、一番最初の初代の牧師は私だったではありませんか?それが、「父は多くあるはずがありません。この私が福音によって、キリスト・イエスにあって、あなたがたを生んだのです」と言うのは、私があなたがたをキリストのもとに導いたのですと、こう言っている訳です。

●「Tコリントの手紙」は実は2通目の手紙だということが、Tコリント5:9でわかる

パウロは、その後どこからか、その後と言うのは、この教会を建てて、どこからか、手紙をコリントの教会に書いています。その手紙は現存していません。そういう手紙がなぜ存在するかというのは、今お開きしました第一コリントの5章の9節にこうあるからです。
一緒に読むことによって追いかけて行けますので、一緒に読んでいただきたいと思います。

(5:9を読む)「私は前にあなたがたに送った手紙で、不品行な者たちと交際しないようにと書きました」。
「前にあなたがたに送った手紙で」というのは、第一コリントを今読んでいますが、それ以前に1通、コリントの教会に宛てて、パウロは手紙を書いているということです。申し上げましたが現存しておりません。ですから、第一コリントの手紙は、実は2通目。

そして、この時点で教会の人々はまだパウロに心を開いていました。パウロはこの第一コリントの手紙の中で、ギリシャ国家の退廃の中で、教会がさまざまに揺れて行くさまを描いています。教会の中に道徳問題があり、教会の中に派閥があり、教会の中が混乱し、聖餐式も福音の理解も様々な意味で、もうごちゃごちゃになっていた。そうした問題にストレートにこの第一コリントの手紙の中で記しています。

U)第3次伝道旅行でパウロは、エペソ滞在中にコリント教会を訪問したが、残念な結果に終わったことが、Uコリント2:1でわかる。

そしてパウロは第3回伝道旅行で、今ご覧いただいておりますエペソ滞在中に、2回目にコリントの教会を実は訪ねています。これは使徒の働きには書いてありません。でも第二コリントの2章の1節をちょっと見てください。(ご一緒に読む)

Uコリント2:1「そこで私は、あなたがたを悲しませることになるような訪問は二度とくり返すまいと決心したのです」。

と言うのは、教会を建ててから、彼はエルサレムに帰り、アンテオケの教会に帰り、第三回の伝道旅行でエペソに来た。そしてエペソ三年間滞在中に彼は一通目の手紙をコリントへ出す。そして二通目の手紙がこの第一コリントの手紙です。その間に彼は二回目の訪問をコリントの教会にしています。でもそれはとっても残念な結果に終わりました。その時には、他の牧師の教えによって、パウロの教えはもう受け入れてもらえず、パウロは冷たい扱いを受けて失意のどん底に落ちてしまいます。

今読んでいただきました、第二コリント2章の1節で、実は悲しみ傷ついたのは、パウロの方でありました。自分が建てた教会に久方ぶりに訪問して、自分はとっても冷たくあしらわれ、そして帰るように言われます。パウロはその時、批判の対象になっていました。

●パウロは再び、つまり3通目の手紙を今度は書いた(Uコリント2:4でわかる)が、残っていない。
この手紙も実は残っていない。でも内容は分かります。第二コリントの2章の4節を今度は見てください。私は一生懸命このように説明しておりますけれども、多分パワーポイントで指し示さないと分からないのではないかと思います。そうですね、3節と4節を私と皆さんで交替に読みましょう。
(3節)「あのような手紙を書いたのは、私が行くときには、私に喜びを与えてくれるはずの人たちから悲しみを与えられたくないからでした。それは、私の喜びがあなたがたすべての喜びであることを、あなたがたすべてについて確信しているからです」。
(4節)「私は大きな苦しみと心の嘆きから、涙ながらに、あなたがたに手紙を書きました。それは、あなたがたを悲しませるためではなく、私があなたがたに対して抱いている、あふれるばかりの愛を知っていただきたいからでした」。

4節に『涙ながらに、あなたがたに手紙を書きました』。これは残っていない手紙で、通称「涙の手紙」だといわれますが、とってもパウロがコリントの教会の人々に配慮をしているのがよく分かります。厳しい批判の手紙だったのです。読んだコリントの教会の人々は心の痛みを感じたに違いない。でもパウロは、「私は別に、あなたがたを悲しませるために、責めるためにあの手紙を書いたのではない。あの3通目の手紙は実は涙ながらに書いた手紙であって、私はあふれるばかりの愛をもって、あなたがたにあの手紙を書いたのだ」(と言う)。それが3通目です。

V)4通目の手紙が「Uコリント」

そして、パウロはもう一度書きます。その4通目の手紙がこの「第二コリント人への手紙」で、パウロは今度は改めて決意をもってこの手紙を書きます。第二コリントの10章の9節〜10節を交替に読みましょう。これは4通目のコリントへの手紙に関することばですね。
(9節)「私は手紙であなたがたをおどしているかのように見られたくありません」。
(10節)「彼らは言います。『パウロの手紙は重みがあって力強いが、実際に会ったばあいの彼は弱々しく、その話しぶりは、なっていない』」。

10節の『彼らは言います』というのは、パウロを批判する牧師たちです。パウロを批判する牧師たちは、パウロの手紙は重々しいけれども、力強いけれども、実際の彼は弱々しい、その話しぶりはなっていないと批判するのです。

パウロは決意をもってこの4通目の手紙を書きます。そして中には、それらの言動者たちに対して訴えのことばも記されています。あなたがたもキリストを伝道しているのなら、私もキリストを伝道しているのだということを、よく覚えてほしい。そして私のことをあまり批判しないようにしてほしい。10章の7節をちょっと見てください。

(7節)「あなたがたは、うわべのことだけを見ています。もし自分はキリストに属する者だと確信している人がいるなら、その人は、自分がキリストに属しているように、私たちもまたキリストに属しているということを、もう一度、自分でよく考えなさい」。

パウロの後からやって来た伝道師たちは、「あんな奴、牧師の端くれか!風上にも置けない」と平気で批判するのです。パウロは手紙の中で、そう批判している人々に向かって、「もしあなたが自分がキリストに属しているというなら、私もまたキリストに属しているということぐらいは、理解してほしい。それでパウロは決意をもって、自分の信仰をUコリントの(4通目の)手紙の中で、告白しています。

●この4通目の手紙を送ると同時に、同労者のテトスを先にコリントへ遣わす。自分もエペソからマケドニヤを通って、コリントへ行こうとする。(使徒20:1)

そして、自分もエペソを出発してマケドニヤに向かい、それから南下してコリントへ行こうとする、それが今朝開いていただきました、(使徒の働き)20章の1節なのですが、このときのパウロはとっても緊張していました。コリントを訪ねて、この教会に入り込んでいる間違った教えを説く人々と、対決しなければならないとパウロは覚悟していました。そして混乱の詳しいことは分からないとしても、私たちは大体想像はつくのですけれども、どういう風にして、コリントの教会がそんなにひっかきまわされたのか?

皆さんねぇ、皆さんが、例えば溝の口のノクティに入っている文教堂に行きまして、宗教コーナーに行きますと、聖書と言って、岩波書店からこんな小さな本で例えば「ペテロの福音書」、「トマスの福音書」、それから「マグダラのマリヤの福音書」も、聖書と並んで売っています。2年前に半分解読できた「ユダの福音書」というのも売っています。

ユダの福音書は、イエス・キリストを裏切ったユダは、実は神さまの使命を受けて、その裏切りを果たし終えた。つまり、11名の弟子たちはそうする勇気がなかったけれども、このユダだけはそうする勇気があったと、ユダを称賛するような福音書が、皆さん、文教堂書店に普通に並んでいます。

私たちの聖書には、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネという4つの福音書しかないのに、一般書店に行くと、ああ「トマスの福音書」もあるのか、「ペテロの福音書」もあるのか、「マグダラのマリヤの福音書」もあるのかと(思わせられるわけです)。

こうした福音書というのは、19世紀の真ん中あたりにエジプトのナグハマディという村で発掘された福音書なのです。ずっと以前から存在することは分かっていた。しかしその中身を読むことができなかった。ユダの福音書もそうです。それが考古学の発掘によって、いろんな福音書が出てきて私たちは初めて分かった。パウロの時代、初代教会の時代には、キリストの福音が、ギリシャ思想に押され、他の宗教に押され、まだ福音が形をなしていない、もちろん聖書66巻という聖典も存在しない、もちろんパウロ書簡もない。もちろんヨハネの福音書もまだ書かれていない。ヨハネの福音書は一番最後に書かれます。

そういう時代、キリストの行いがさまざまな人の口に言い伝えられて、教会の中に入って来た時に、いったい何が正しい教えなのか、いったい何がキリスト教なのか、さっぱりわからず混乱していく、このグノーシス主義の時代、パウロは心を砕いて、コリントの教会に、時に優しく、時に厳しく、この教会の面倒を看ていたということがよくわかります。

●パウロは第3次の伝道旅行を終えて、エペソを出発してトロアスに向かう。テトスと落ち合うはずだったが会えない。(Uコリント2:12)

トロアスの地図を見てください。まだエーゲ海のこちら側、東側ですね。彼はここで先にコリントに遣わしていたテトスから報告を受ける予定でした。ところが、トロアスにテトスは戻って来ませんでした。それがUコリントの2章の12節に書いてあります。ちょっとこれも読みましょう。(12節と13節を交替に読む)。

(12節)「私が、キリストの福音のためにトロアスに行ったとき、主は私のために門を開いてくださいましたが、」
(13節)「兄弟テトスに会えなかったので、心に安らぎがなく、そこの人々に別れを告げて、マケドニヤへ向かいました」。

エペソからトロアスに向かい、マケドニヤに向かった。そして、実はこのトロアスで、兄弟テトスに会う予定だったのです。テトスは今のコリントの教会の状況をパウロに知らせるはずだった。でもテトスに会えない。だからいったい、コリントの教会はどうなっているのか?悶々として、13節に、「心に安らがなく、そこの人々に別れを告げて、パウロはひとり、マケドニヤへ渡って行くのです。いったいコリントはどうなっているのか、いったいテトスはどうして戻って来ないのだろうか?

●マケドニヤで、とうとうコリントから戻って来たテトスと再会。(Uコリント7:5)

今度は7章を見てください。7章の5節をご一緒に読みたいと思います。

(5節)「マケドニヤに着いたとき、私たちの身には、少しの安らぎもなく、さまざまの苦しみに会って、外には戦い、うちには恐れがありました」。
(6節)「しかし、気落ちした者を慰めてくださる神は、テトスが来たことによって、私たちを慰めてくださいました」。
(7節)「ただテトスが来たことばかりでなく、彼があなたがたから受けた慰めによっても、私たちは慰められたのです。あなたがたが私を慕っていること、嘆き悲しんでいること、また私に対して熱意を持っていてくれることを知らされて、私はますます喜びにあふれました」。

ようやくテトスと会えたのですね。コリントの教会が今度はパウロに好意的である。パウロに理解を示している。パウロの厳しい手紙をしっかりと受け止めて、悔い改めをしたということが分かったのです。

8節、「あの手紙によってあなたがたを悲しませたけれども、私はそれを悔いていません。(あの手紙というのは、非常に厳しいトーンで書かれた、第3通目の現存していない手紙のことです)。あの手紙がしばらくの間であったにしろあなたがたを悲しませたのを見て、悔いたけれども」、
(9節)、「今は喜んでいます。あなたがたが悲しんだからではなく、あなたがたが悲しんで悔い改めたからです。あなたがたは神のみこころに添って悲しんだので、私たちのために何の害も受けなかったのです」。
(10節)、「神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします」。

とパウロは4通目の手紙の中で、注意しています。

さて、こんなに詳しく見ていただいたのも、これはきっとねぇ、聞いてもわからないと思います(笑い)。でもこんなに詳しく見ていただいたのは、ひとことで言えば、パウロの労苦を知っていただきたかった。

パウロは少なくてもエペソ滞在中にこのコリントに3通、4通目はどこで書いたのかは分かりません。でも全部でコリントの教会に4通の手紙を長々と書いています。そしてエペソ滞在中に一回訪問しています。

私たちが知っていることは、実はコリントの教会と言うのは、一番問題を抱えていた。初代の教会の中で一番頻繁に牧師が変わり、一番頻繁に福音理解が変わり、そしてやがてさまざまな形でずれて行った教会です。初代の教会の中で異教文化が教会の中に入ったという点では、このコリントが筆頭です。牧師仲間で言うならば、「どうしてそんなに厄介な教会があるかねぇ?パウロ先生が建てた頃は素晴らしかったけれど、ちょっとあの教会もダメかなぁ?」と、あきらめるわけですね。

その教会にパウロは4通の手紙を書き、そして、エペソの伝道を最後に、彼はエルサレムに戻るのです。わざわざ遠回りをして、しかもですね、パウロの気の遣い方たるや、自分が建てた教会であるにもかかわらず、自分が導いた信徒であるにもかかわらず、彼はとっても、時に優しく、時に厳しく、相手の心を伺いながら、手紙を送っただけでなく、テトスを遣わし、そのテトスの報告を聞いて自分はどう対応しようかもう一回考え、テトスに会えなければ彼は夜も寝られず、どうしてこんなに、このコリントの教会に気を遣うのだろうかと思います。そんなに一生懸命にならなくても、そんな教会にここまで徹底的に付き合わなくても、配慮しなくても、そこそこで良さそうなものなのにと思いますが、パウロは徹底的に付き合う。

それを二つのことで短くまとめて終わりにしたいと思います。

1)パウロがここまで徹底してコリントの教会に付き合う理由。

それは、ここがイエスさまが幻に現れて、「恐れずに語りなさい。この町には多くのわたしの民がいる。」(使徒18:9〜10参照)とおっしゃった教会だからです。つまり、どこまでもこの教会に付き合うのは、ここは主イエス・キリストの教会だからです。ここが主の教会であれば、どんな教会でも、守らなければいけない。
そして事情は危機的でありました。放っておけば、いたるところで異端の根が張って、いたるところでその異端の芽が出てくる。それはコリントの教会だけでなくして、コリントの周辺の教会から、やがてアジアの教会に幅広く回って行きます。

私が高津教会に赴任した頃、母が私に回した仕事がありました。それは、庭の雑草取りです。殆ど圭子が取ったのですが(笑)、回って来たのは私にでした。今は砂利が敷いてありますけれども、以前は黒土で、梅雨を越して暑い夏には、膝丈以上に伸びてしまうのですね。母は、私に5月の終わりごろから雑草をこまめに抜きなさいと言いました。でもそんなに生えるてもいないのに、大して丈もないのに、じゃがんで抜くと言うのはしんどいですよ。とりあえず、膝ぐらいになるまで待っておこうと(笑)待っていたんですね。

母も諦めたかのように、通販で火炎放射器を買ってきました(笑)。一時流行りましたよね。筒状で、中に灯油を入れて、空気圧をかけて、筒の先から強力な炎が噴射されて、雑草が一気に焼けますよと、通販に書いてある。そう簡単には焼けないのですが(笑)。でもこれはなかなかおもしろい。火が出るのは面白い。私もそれを使ってやりましたが、隅から隅までやりますと2時間はかかります。それを延々と汗だくになってやりました。

そうして、真っ黒に焼けた雑草を片付けても、2週間すると、オオバコはきっちり緑の茎と葉っぱを出して来るのですよね。5月の終わりまでに、根こそぎ鎌を入れて、雑草を取っておかないと、出ているのは一カ所ですが、根は延々と回ってくるのです。そして至る所から芽が出て来るのです。  

パウロはこういうことをやっているのです。今しっかり根こそぎ取っておかないと、誤った教えは、やがてコリントだけではない。このギリシャの全域に広がって行くのです。そして、ギリシャのグノーシス思想と言うのはもともとトルコのあたりから来ていますから、この異教の文化に侵され、これが教会の中に入ってくるというのは、コリントだけに終わらない。これが全部に広がってくる。
彼がこれほど労苦してコリントの教会を何とかしようと思ったのは、これはキリストの教会全体を守るためです。
そのことのためには、労苦も配慮もパウロは厭うことをしない。時には優しく、時には厳しく、手紙であろうが訪問であろうが、何とかして間違った教えから連れ戻そうと、キリストとその教会を思っているパウロの姿。私たちも、その労苦のかけらでももらわなければいけないと思います。

別に高津教会が異端の教えで苦しんでいる訳ではない。しかし神さまの摂理によって、この教会に招かれた私たち、私たちは誰でも、自分の信仰を豊かにするためだけではない。愛する兄弟姉妹と共に、この教会で礼拝を捧げる。この教会に与えられたキリストの労苦というものがもしあるとすれば、すべからく、ともにその重荷を背負う。きっと主が私をこの教会に遣わしてくださったことには意味がある。それは私にとってだけの意味ではない。それはこの教会にとっても意味がある。私がこの教会によって豊かにされるだけではない。私という小さな器を通して、この教会が豊かにされる。それがゆえに、主は私をこの教会に招いてくださった。主よ。あなたの労苦を私もともに負わせてください。パウロがこれほどまでに労苦をつぎ込んで、ひとつの教会を牧会して行ったとしたならば、私にもそういう気持ちを与えてください。大切ですね。

2)コリントの教会の人びとは応えた。

2番目に大切なことがあります。それは、コリントの人々はこのパウロに応えたのです。
今Uコリントの7章を開けていますが、ちょっと7章8節を見てください。「悲しむ」ということばが、2回出て来ます。

(8節)「あの手紙によってあなたがたを悲しませたけれども、私は、それを悔いていません。あの手紙がしばらくの間であったにしろあなたがたを悲しませたのを見て、悔いたけれども、」

でも9節を見てください。今は喜んでいるのです。

(9節)「今は喜んでいます。あなたがたが悲しんだからではなく、あなたがたが悲しんで悔い改めたからです。あなたがたは神のみこころに添って悲しんだので、私たちのために何の害も受けなかったのです」。

あなたがたは『神のみこころに添って』悲しんだのです。そして、『神のみこころに添って』悔い改めたのです。そして『神のみこころに添って』救いに至ることができたのです。-----この『神のみこころに添って』ということばは全部にかかるのです。神のみこころに添って悲しみ、神のみこころに添って苦労し、神のみこころに添って試練の中を通過し、神のみこころに添って厭な思いもし、神のみこころに添って教えられ、神のみこころに添って考え方を変え、神のみこころに添ってやり方を変え、そしてそれが、神のみこころに添って豊かになって行く。

私たちの人生で、人から怒られると厭な思いをします。こんなこと説教で言わない方がいいのですが、私は国内宣教の責任を持つようになって、私の上にはインマヌエルの代表がいるのですね。毎週会うのです。これまでの1年半の付き合いの中で、1対1で真剣に怒られたことは3回、(笑い)あります。

最初怒られたときに私は喜んだ。それは牧師になってからのこの20数年の人生の中で、目を見て真剣に怒られたことはほとんどない。父以外からは、妻以外からは(大笑)一度もない。怒られたこともない。遠慮して怒らないです。怒ったら言い返すかもしれません。

ところがこの竿代先生はうまい。眉間に皺されることもなく、実に温かな笑顔で、そして私に懇々と諭してくださる。「先生はそういう考え方ではだめだと思うよ。今先生の立場でこういう責任を負い、今後もっと大きな責任を負うとしたら、今の認識では無理だ」と。

それで私は、一番最初に怒られたとき、この先生に感謝の手紙を書きました。私は自分の人生で初めて上司というものに出会ったと思います。そしてこの上司は厭な顔をせずに、私の正すべきところを、淡々と、笑顔をもって、ストレートに言ってくれたのです。「これは僕にとって大きな収穫になりました。こういうことは二度といたしません。」と言って、もう一回するんですけれどもね(大笑)。それでもう一回怒られるのです。

パウロが言ってるのはそういうことです。私たちは怒られるとへこみますよ。何とも思わない人はいないでしょう。でも間違いが指摘されたら、神のみこころに添って、それを受け止める。きっとこういう風に言われたことも、神さまの言葉がその内側にあるに違いない。そして悔い改めるならば、それを神のみこころに添って悔い改める。ただ単に言われたからへこみ、そのまま沈んで行くのではない。なぜなら指摘してくださっている人は、よりよく神さまに、仕えることができるように、救いの道に向かって、私に何か言ってくれているのです。

パウロはコリントの教会の人々に感謝をしている。自分も言ってよかったと言っている。それは、もしあなたがたが、自己中心的に批判を受け止めたならば、私は傷ついた、私はこんなことを言われた、と延々とそれを引きずるでしょう。しかしあなたがたは、自己中心的にそれを受け止めることをしなかった。信仰者として、クリスチャンとして、教会人として、それを真摯に受け止め、私の言葉に耳を傾けてくれたから、私は安心した。喜んだ。

それでも私たちは、そう簡単に他人を批判することはしないでしょう。パウロが気を遣ったように、私たちも細心の注意を払いながら、配慮しながら相手にものを言うに違いない。そして時に言うこともあれば、言われることもある。そして考えなければいけないことは、言われたときには、自分中心にものを考えないで、神のみこころに添って、自分はどうあるべきか、自分はどう変わるべきか、それらを熱心に考えて行くならば、言われた時は落ち込み悲しむかもしれないけれども、それは最終的には、救いに至りますという、このみことばの約束に、私たちも肝に銘じて従って生きたいと思います。

☆終わりのお祈り
恵み深い天の父なる神さま、パウロがこれほどまでにコリントの教会を気を遣っていたのは、これが紛れもなく、あなたの教会だからです。どうかその教会に対する思いのかけらを、私たちにも与えてください。

私たちも自己中心的な思いで事態を捕えず、いつもみこころに添って、教会に起こるさまざまな事柄を判断する力を、また信仰を与えてください。主イエス・キリストの御名によってお祈り致します。アーメン。

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DATE: 2011.03.26 - 23:50
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