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::: 高津教会 説 教 :::


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Name   T・Y
Subject   6/20礼拝と説教「パウロ(27)熱心な教会」使徒の働き20:7〜12
6/20礼拝と説教「パウロ(27)熱心な教会」使徒の働き20:7〜12

☆説教
今日読んでいただきました聖書の個所は、先週の続きでパウロの生涯の27回目。タイトルは「熱心な教会」ですが、7節から12節の割と奇妙な場面を読んでいただきました。実は7節〜12節で一番有名なのは、この9節です。「ユテコというひとりの青年が窓のところに腰を掛けていたが、ひどく眠気が差し、パウロの話が長く続くので、とうとう眠り込んでしまって、三階から下に落ちた。抱き起してみると、もう死んでいた。」というのが(笑)、一番有名な個所。まあ三階はないし、窓のそばに座っている人はいないのでいいのですが、私の話はそんなにパウロほど長くない。ひどく眠気がさしたら、どうぞゆっくり寝てください。(笑)でも転ばないように気をつけてください。

先週週報に地図を挟みまして、そこにトロアスが出てまいりました。トロアスというのは小アジアの一番北西部で、エーゲ海を渡るとギリシャに行きます。エペソで伝道を終了したパウロは、エルサレムに帰る前に、どうしてもギリシャ圏のコリントの教会を訪ねたいという思いがありました。

パウロはエーゲ海を渡って、ギリシャのコリントに入ります。そこに三か月滞在します。そこから直接にエルサレムに帰ることもできたのですが、20章の3節見てください。
20:3「パウロはここで三か月を過ごしたが、そこからシリヤに向けて船出しようというときに、彼に対するユダヤ人の陰謀があったため、彼はマケドニヤを経て帰ることにした」。

彼は南に行かずに、一旦、ギリシャの北のマケドニヤを経て帰ります。それからもう一度、エーゲ海を渡ってトロアスに戻ります。5節6節に、トロアスという地名が出てくるでしょう。
20:5「彼らは先発して、トロアスで私たちを待っていた」。
20:6「種なしパンの祝いが過ぎてから、私たちはピリピから船出して、5日かかってトロアスで彼らと落ち合い、そこに七日間滞在した」。
そのときの出来事で、日曜日の礼拝を行ったというのが、7節から12節なのです。

トロアスはパウロにとって思い出深い町です。第二次伝道旅行の時、彼は小アジアの町々を巡りたいとの願望が全部閉ざされてしまって、最後トロアスに招かれます。この町で、神さまに夢を見せてもらったのです。マケドニヤに渡ってきて、私たちを助けてください、とマケドニヤ人が訴えていました。そして彼はエーゲ海を渡って、ヨーロッパに入る。その意味で、トロアスこそ、パウロがヨーロッパに福音を伝える出発点となったと言えるでしょう。

 そこで、彼は日曜日の礼拝を致します。短く3つのポイントで見ていただきます。

1)7節「週の初めの日に、私たちはパンを裂くために集まった」。まず、ここから話を始めます。

見知らぬ町でパウロが伝道をしようとすると、彼はユダヤ教の会堂によく入りますね。そこには、旧約聖書をよく知っている敬虔な人々がいました。ということは、ユダヤ教の礼拝は土曜日です。

なぜ、土曜日なのでしょう。それは、神が天地を創造されたとき、六日をかけて創造され、七日目を休んだ、そして旧約の人びとに、あなたがたは七日目を聖別して、働くことなく休み、神を礼拝せよ、と命じられていたからです。

もちろん、安息も大事です。安息なくして、私たちは生きていけません。その安息には、働くことを止めることだけでなく、のんびりすることも、気晴らしすることも、レジャーに出かけることも、楽しむことも全部含まれて安息日です。それが七日目の土曜日でありました。

ところが、キリストの教会は、その礼拝の日を土曜日から、週の初めの日、つまり日曜日に移しました。それは、福音書の最後、また使徒の働きの初めで「週の初めの日に」という表現が何度も出てくることからわかります。なぜ、週の終りの土曜日から週の初めの日に移ったのか、それは、キリストが復活された日だからです。礼拝というのは、喜びの日であり、希望の日なのであり、それが日曜日です。
   
もし、現代のクリスチャンがきちんと週休二日を実践することができるなら、これこそ聖書の教えにかなっていると思います。土曜日にはゆっくりと休み、適度に遊び、楽しむ。そして日曜日には、キリストの復活の喜びに与るために教会にやってくる。そうなるといいと思います。それは私自身なかなか実践できていないので、何とも言えませんけれども、しかしこの週休2日というのは、「聖書の中に週の1日休めばいいと書いてあるのに、週2日も休む必要がない」という愚かなことをいう人もいますが、私は週休2日こそ、旧約聖書と新約聖書の教えをひとつにした、まことにキリストの教えにふさわしいものと思います。

さて、ここに初代教会の礼拝が記されています。7節もう一回言いますと、「私たちはパンを裂くために集まった」。パンを裂いたとは、初代の教会がよく使う表現で、聖餐式のことを指しています。その聖餐式が、今と全く同じかどうかはわかりません。2世紀に入りますと、今の聖餐式とほぼ同じになりますが、当時はまだわかりません。でも十字架にかかる前の晩、主が最後の晩餐において、これから十字架の上で裂かれるご自身の肉体の象徴として、永遠のいのちを信じる者たちに与えるために、パンを裂いて、弟子たちに与えました。パンを裂くという行為がキリストの永遠のいのちに与るというそのものですね。

実際の聖餐は、11節を見ますと、夜中になりました。礼拝は、パウロの説教が中心で、主イエスを信じる人々は、主の日に共に集まり、説教によってみことばを聞き、パンを裂いて聖餐に与る、そういう礼拝をずーっと行なっていたのです。

先月の『百万人の福音』で、高津教会が取り上げられましたけれども、インタビューがありました。高津教会の特色は何ですか、と聞かれたときに、礼拝に集中する教会ですと、答えました。

フィリップ・ヤンシーというアメリカのクリスチャン・ジャーナリストがいます。彼は斜に構えるちょっと皮肉を言う人物です。

たとえば、彼が書いた本の題名にそれが現れます。「誰も知らなかったイエス」「誰も知らなかった恵み」など。それを読むと、知らなかったのは君だけじゃないの?(笑)と思うのですが、でも彼には問題意識があります。往々にして、教会は通り一遍のことしか語らない。往々にして教会は律法的だ。その意味で、本当のイエスを、その恵みを知らないのが教会ではないか。そんな彼の本には随所に教会批判が出てきます。

ところが、最近出した本の題名は、「教会――なぜそれほどまでに大切なのか」です。教会を離れて、クリスチャンは生きていけるのか?かつて、自分は生きていたつもりだった。自分には教会がキリストの身体である、恵みのみなもとであることがわからなかった、と。聖書を読んでキリストのいのちに生かされるということができるのか、いや、できないということがようやく分かった。

さて、そこに名言が出てきます。私はこのことばを、今年のインマヌエル(教団)の役員研修会のテキストに載せておきました。「教会は本来、楽しみを供給したり、弱さを励ましたり、自尊心をそだてたり、友情をはぐくんだりする場所ではなく、神を礼拝するところである。この点で失敗するなら、その教会は失敗である」。

もちろん、他のことがどうでもいいというのではない。教会は礼拝だけではない。ですから、私たちもともに修養会を守ったり、あるいはフェローシップをしたり、時には餅つき大会をしたり、教会にはコンサートもあります。でも礼拝で失敗するなら、その教会は失敗である。

であるがゆえに、私たちは礼拝とは何ぞやということを徹底的に考える。そしてその結果、礼拝の音楽も少し改善し、司会のあり方ももう少しスムーズにし、礼拝における公の祈りも一緒に考え、聖さんのあり方もともに考え、説教と聖餐、そして礼拝のすべてのことに私たちは気を遣う。これが初代教会のあり方であることがよくわかります。

2)熱心に語るパウロ

注目すべきは、パウロの熱心さです。
7節に(後半)「そのときパウロは、翌日出発することにしていたので、人々と語り合い、夜中まで語り続けた」。
(8節)「私たちが集まっていた屋上の間には、ともしびがたくさんともしてあった」。

トロアスの人びとに対する告別説教です。彼は二度とこの町には、この教会に戻ってこないことを知っていました。内容はわかりません、しかし彼は自分のいのちを注ぎ込むように説教をしました。それが夜中まで続きます。いえいえ、11節を見ますと、明け方まで続きます。
≪(11節)「そして、また上がって行き、パンを裂いて食べてから、明け方まで長く話し合って、それから出発した」。≫
なんとパウロは、一睡もせずにそのまま船に乗ります。おそらく船の中で熟睡したのでしょう。

しかし、どうしても語っておきたい、というパウロの情熱です。彼はアテネの哲学者と熱心に論じます(注***17:18参照)。ユダヤ教の会堂に入って、熱心に語ります(注***17:2、18:4参照)。でも本当の意味で、彼が情熱を注いだのは、キリストを信じ、教会に属する人々に対してです(注***19:1〜9,18参照)。

説教をする私に必要なのは、この熱心さです。たとえそれが、20分でも、25分でもです。

旧約聖書に力ある預言者エリシャがいます。彼のおかげで、北のイスラエル王国はどれほど命拾いをしたことか。しかし、そんな彼も老いて、天国に召される日が近くなりました。それを聞きつけた王ヨアシュは、寝ているエリシャの上に伏して、泣きながら叫びます。「わが父、わが父、イスラエルの戦車と騎兵たち」。

そのとき、エリシャは東側の窓を開けさせ、「矢を射なさい」と王に命じます。矢が放たれると、彼はそれを「主の勝利の矢」と呼びます。それからエリシャは、王に「矢を取りなさい」と言い、「それで地面を打ちなさい」と命じます。王は、3回打ちますが、止めてしまいます。エリシャは王にこう言います。「あなたは、五回、六回、打つべきだった。そうすれば、あなたはアラムを打って、絶ち滅ぼしたことだろう。しかし、今は三度だけアラムを打つことになろう」。

どういうことだと思います?エリシャが王さまヨアシュに伝えたかったことは何か?それはあなたの信仰があれば、主の勝利の矢をあなたは握っているのだ。それで情熱をもって地面を打てと言った時に、ヨアシュには情熱がなかった。どうせ、自分が射ても、たいした勝利にならないだろうと、3回地面をパンパンパンと打って、なんだこれだけのことか、これでお終いだと思ったのです。エリシャは、私がこの世界を去っても、もしあなたがたが情熱をもって矢を射るなら、必ず神は答えてくださる、(と言う)。

私たち牧師は按手礼を受けて講壇に立ちます。按手礼を受けたならば、私たち牧師は葬儀をすることができますし、また聖餐式を執行することができます。また按手礼を受けてなくても、講壇に立ちますでしょう。私たち牧師が神学校で習うことは、たとえ聴衆が無反応であっても、牧師が無反応、無感動になったら、これで全部なくなる。だから神学校でつまらない神学生相手に、お互い説教の練習をする時であったとしても、神学生は情熱を込めて語ります。時にこの情熱が身を滅ぼすということもあるのです(笑)。つまり一生懸命情熱を込めて語っていても、皆さん寝ているとですね、自分のやっていることがものすごく空しく感じるのです。だから私たちはへこむのです。

それで私は自分がへこまないように、勝間田先生から教えてもらった言葉を心に刻んでいるのです。「先生ねぇ、へこむのも分かるけど、プロ野球の選手でも、3割打てば、イチロー並みだよ。MVPだよ」。「3割でいいんだよ」。最初から10割打つと思わないで、10本打って3本ヒットが出たら、それでイチロー並みになれるのだから、そんなに毎回毎回、説教がうまくいかなくてもへこんじゃ駄目だよと、こういう風におっしゃっています。でも、言えることは3割を目指すためにはどれほどの情熱が必要か。イチローがそうでしょう。どれ程の練習が必要か?いや、毎回ヒットを打つつもりで立たなければ、10本中3本も当たらないのです。

パウロの熱心さ。パウロは夜中になってしまった。いや明け方になってしまった。しかし何とかして、自分の思いを聴衆に伝えたい、神のことばをたましいに刻んでおきたい、そういう一心でパウロは語った。

3)熱心に聞く聴衆です。これが今日のメイン(ポイントです)。

パウロの説教は、8時間、9時間と続きます。屋上には、8節、ともしびが灯ります。9節、ユテコという青年が窓の所に腰掛け、ひどく眠気が差し、パウロの話が長く続くので、とうとう眠りこけ、3階から下に落ち、死んでしまいます。最初に言いましたように、だから、説教中に寝ないように、という説教を聞きますでしょう。

でも、話はもっと奥深いです。彼らの礼拝は、夜に始まったと考えられます。なぜですか?それは、当時、日曜日は休みの日ではないからです。ユテコは一日の仕事の後に、ボロボロに疲れて、やってきたのです。そして、9節の「ひどく眠気が差した」とは、眠気と必死に戦っていた、という意味です。部屋は、人気でいっぱい、オイルランプの熱気もあります。酸欠状態です。ユテコが窓に座っていたのは、何とか眠気を覚ますためだったのかもしれません。

そして彼は一瞬の油断で窓から落ちます。しかし、彼は、いのちがけで礼拝を守ったとも言えるのです。一日の疲れがひどくて、それでも礼拝にやってきて、思った以上に説教が長くて、でも、それでも疲れた体に鞭打ちつつ、み言葉をしっかりと聞こうと必死に努力していたのがユテコです。

私の説教で眠くなったら、ぜひ寝てください。眠気に勝てる人はいないからです。私は眠気に勝てないと思う人は、抵抗するだけ無駄、早く寝入った方がよい(笑)。そうすれば説教の後半が聴くことができますので、眠くなったら早めに寝た方がいいです。また、私の話が眠気を催すとしたら、責任は私の方にあります。

でも、このユテコのように、疲れた身体にむち打ちならながらでも、みことばに耳を傾けたいと礼拝に来る人を、イエスさまは愛してくださいます。イエスさまは祝福してくださいます。そして、私たちが覚えておくべきは、命がけで礼拝を週の初めに守る、そして様々な困難、迫害の中でも、礼拝を守り続けた、その何百年におよぶ歴史の結果として、やがて日曜日が休みになるのです。皆さん、学校も日曜日休みでしょう。会社も普通休みですよ。日曜日が休日となったのは、いのちがけで、礼拝を守ったローマのクリスチャンのおかげでやがて、ローマ帝国が日曜日を休みにするじゃないですか。私たちは寝てもいい。疲れたら寝る以外にない。でも何とかして礼拝の恵みに与りたいというこの情熱をもって、礼拝に来ている。

映画「炎のランナー」の関係で、私は主人公のエリック・リデルについて何度も話してきました。1928年のパリのオリンピック大会で、イギリスの100メートルの選手として選ばれて、パリに行くのですが、なんと100メートルの競技が日曜日に開催された。彼は全イギリスの期待を背に受けながら、礼拝を守るために、オリンピックの100メートル競技出場を断念します。彼はオリンピック委員会と当時のパリに掛けあって、100メートル競技あるいはあらゆる競技を日曜日に持って来るなと訴えます。しかし、それは成功しませんでした。彼は金メダルを約束されながら、100メートルを断念し、しかし400メートルリレーで、イギリスに金メダルをもたらしたアンカー、英雄です。オリンピックが終わりますと、金メダリストはすべてのキャリアを捨てて、中国に宣教師となって、生涯を捧げた、敬虔なクリスチャンです。彼は日本軍が中国を占領したときに、上海の収容所で命を終えます。

彼が日曜日の礼拝のために100メートルを断念したのは、自分の頑固なまでの信仰のゆえではない。フランスは、フランス革命以来、キリスト教を公から排除するようになって行きます。公のイベントをわざわざ日曜日に持ってきたのです。エリック・リデルが闘っていたのは、フランスのクリスチャン・アスリートのため。彼は、そういうフランスの姿勢に対抗して、苦しんでいるフランス人アスリートと共に立つために、自分があれほど打ち込んできた、百メートルを辞退することによって抵抗する。そして神を礼拝することの尊さを皆にアピールするために彼は100メートルに出ないのです。
  
私たちが礼拝に出るときに、このエリック・リデルのような意味もある。日曜日に疲れる時もあるでしょう。でもユテコは、一日の労働の後に、何とかしてみことばを聞きたい、パンを裂き、聖さんに与りたいという思いで教会に行った。主はその心を受け止めてくださり、一旦死んでしまったユテコを復活させてくださいます。そしてユテコは元気になる。10節の最後に「心配することはない。まだいのちがあります。」と言って、パウロが身をかがめて彼を抱き起した。

私たちはみなユテコです。誰もが時間を持て余して、暇でそして余裕をもって礼拝に来てるわけではない。皆さんは皆さんなりの、家の仕事があり、社会の仕事があり、健康の戦いがあり、ギリギリの線で礼拝に来ることも多い。近い人もあればとっても遠方の人もある。そしてユテコのように、礼拝で寝ることもある。しかしながら、私たちの心の内には、命がけでも礼拝を守りたいという熱心さがある。そういう私たちを主は愛してくださり、主は祝福してくださる。

☆終わりのお祈り
恵み深い天の父なる神さま、この礼拝のためにいのちをかけて闘ってきた人たちの群れに、私たちを加えてくださいましたことを心から感謝致します。時にそれがゆえに迫害され、命を落とした信仰の先輩もいました。また時に礼拝を守ることが自分の人生にとって最も尊いことだと、これを譲らずに、踏ん張って来た先輩たちもいます。私たちもその一人です。どうか私たちを、愛してください。私たちを祝福してください。週の初めの日にキリストの復活を覚えて礼拝を捧げる私たちの心を強めて、週日私たちを生かしてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。


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DATE: 2011.03.26 - 23:52
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