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::: 高津教会 説 教 :::


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Name   T・Y
Subject   7/17使徒信条(20) 我は公同の教会を信ず 
使徒信条(20) 我は公同の教会を信ず 2011.7.17

エペソ4:1〜16

 週報の裏の使徒信条を見て頂きますと、一回飛びましたけれども、実は前回の「聖徒の交わり」を7/3の聖餐式に学びましたので、「公同の教会を信ず」というのを飛ばしています。それで今日は使徒信条の20回目として、「我は公同の教会を信ず」をともに学んで行きたいと思います。あともうちょいですので、もうこの辺に来ますと、皆さんも私も踏ん張る以外にない。でも最後まで学びを終えたいと思いますので、よろしくお願い致します。

 「公同の教会」という言葉は、あまり耳慣れない言葉かと思います。ラテン語ではカソリクス(catholicus)、ギリシャ語もカサロス(kathalos)ですけれども、そこからカトリックということばが出て来ます。その意味するところは、全体とか普遍という意味です。だから公同教会という時に、丁寧に訳せば、普遍公同教会となります。

 聖書の中に、「公同の教会」ということばはありません。むしろ出てくるのは、エルサレムの教会、アンテオケの教会という風に、地域の個別の教会です。もっとも、どんなに地域の教会の個別な事情について、聖書の中にある書簡が記されていても、いつも「そもそも教会というものは」という全体教会が想定され、その全体性に与るものとして個々の教会を論じていることは明らかです。ですから、カサロス(公同)の教会という表現が聖書になかったとしても、いつもあらゆる実情、個別の特色を越えて、普遍的な教会は意識されています。

 「公同の教会」という言葉は、110年にローマで殉教した、アンテオケアのイグナチウスの手紙の中に初めて見い出されます(「スミルナのキリスト者への書簡」8・2)。すでに教会はユダヤ世界を越えて、パウロの働きによって、小アジア、ギリシャ、ローマ圏に広がって行きます。それらすべてを一つにまとめる組織はありません。それぞれの町にさまざまな牧師が立てられ、交流を保ちながらも、独自の教会ができ上って行きます。そうした教会の多様な成長過程の中で、イグナチウスをはじめ、さまざまな教父たちが、「公同の教会」という言葉を使いました。

 そして、この使徒信条に「公同の教会」という言葉が入るようになります。宗教改革者ルターの右腕と呼ばれた、フィリップ・メランヒトンは、こう言いました。
「なぜこの用語が信仰箇条に付け加えられ、教会が普遍公同(カトリック)と呼ばれるのであろうか。なぜなら、全世界に散らばった集会であり、そのメンバーがどこにいても、場所的にどんなに離れていても、同じ話し方、すなわちすべての時代に共通する真の教理を、初めから世の終わりまで受け入れ、公に告白するからである」(『宗教改革の思想』高柳俊一訳、教文館、p.271を引用)。

 さて、短く3点で話をまとめて行きたいと思います。まずこの問題から始めなければなりません。

1)どうしていろいろな教派があるの?
 「公同の教会を信ず」と告白しておきながら、どうしてこんなにたくさんの教派があるの?この素朴な疑問に答えなければ、この問題を語る意味がないでしょう。そもそも教会は一つではなかったか? いやいや、必ずしもそうではないです。 
 
 イエスさまの宣教の時代において、12弟子たちとは違う、「私たちの仲間でない」(マルコ9:38)宣教の群れがありました。イエスさまは、彼らのことを「この囲いに属さない他の羊」(ヨハネ10:16)とも表現されています。
 やがて教会がエルサレムから外へと広がり、すなわち異文化・異民族へと広範囲に浸透していく過程で、教会の多様化は当然のこと、当たり前のことでした。歴史的な必然性ですね。

 歴史的な必然性だけではありません、そこには人間の弱さ、時に罪深さもありました。それを分裂と言います。1054年の西方教会と東方教会の分裂は、キリスト教会を東と西に分けました。東方教会というのが、ギリシャ・ローマ正教ですね。オーソドックス教会。西方教会というのが、ローマを中心としたカトリック教会です。
 それが、中世カトリックの教皇庁の堕落、そしてルターの宗教改革に始まるプロテスタントの反目によって、今度は、西の教会がカトリック教会とプロテスタント教会に分かれて行きます。
 しかも、そのころ、宗派は国によって決められていました。フランスはカトリック国になります。そうなると、フランスにいたプロテスタントは、オランダに避難を強いられ、オランダに立派な改革派教会が出来上がって行きます。
 イギリスは国教会です。国教会よりもさらに教会の改革を望んでいるピューリタンは弾圧され、アメリカに逃げて行き、そこにニュー・イングランドを作ります。
  アメリカには、ドイツのモラビア派やイギリスのクエーカー派のような、国教会になじめない人々が、どんどん移住して行きます。国教会とは違う教会制度や礼拝をしていた人々が、弾圧や制約から逃れて世界中から集まってくるのが、アメリカです。
          
 ですからアメリカは自由の国と呼ばれるようになります。その自由とは、何よりも「礼拝の自由」です。自分たちの良心の自由に従って礼拝する、それが故に、問題も起こります。それはアメリカには国教会はなく、さまざまな教団・教派が生まれます。
  
 やがて、日本の鎖国が終わり、キリスト教が入って来た時、アメリカやカナダから、それぞれの教団・教派が宣教師を送ります。日本の教団の創設にあたりましては、たとえば、植村正久をはじめ、日本のクリスチャンの多くが、アメリカの教派主義を日本に持ち込んでくれては困ると反対しました。しかし、どんなに反対しても、財力はあちらの教団・教派から流れて来ますので、自然的に教会はそれに従って、建てられて行きました。日本はアメリカではない、一つのキリスト教会で良いのだ、という考えは、その結果、実現しませんでした。

 また教会が分岐したのは、神さまご自身の働きにもよります。教会が内的に沈滞し、時に堕落したときに、カトリック教会の中には多くの修道会が設立されますし、やがてその枠内では収まりきらないほど、抗議運動が発展したときに、カトリック教会はそれを治めることができなかった。ルターを破門します。それによって、ルターにとっては不本意でしたけれども、プロテスタントの群れが起こります。
 ウェスレーも、英国国教会の司祭の息子として生まれ、司祭として死ぬのだ、そのことを明言していますが、結果、英国国教会の制度はウェスレーの働きを受け入れることはできませんでした。ウェスレーは当時の英国国教会を改革するためにメソジスト運動を起こし、やがてウェスレーが天に召された時に、メソジスト教会は国教会から独立した教会を組織し、世界中にその働きを展開しています。

 ですから、私たちが公同の教会を考える時に、世界中にいろんな教会があっても、天国は結局一つなのですから、何とか地上の教会も一つであってほしいと願いますが、しかし、必ずしもそれが「公同の教会」のスピリットではありません。「公同の教会を信ず」と言った時に、もう少し複雑、もう少し観点が微妙なのです。
 教会は多様です。歴史や国や時代によって、一つとなることができないほど多様です。しかし、その多様性に意義を認めて、その多様性を尊重し、排他主義に陥らずに、教会として一致して行く道を探ることが、公同教会の考え方です。
 それはこの高津教会と同じです。私たちは多様性に満ちています。しかしその多様性を尊重し、排他主義に陥らず、一つの高津教会として、一致して行く道を探る、探っているのが高津教会。公同教会もそうなのです。

 それは、聖書と同じです。聖書66巻は多様性に満ちています。創世記が記されたのは、紀元前1000年ぐらいだと仮定すると、黙示録が記されたのは、紀元後100年ですから、1100年の隔たりがある。創世記の文章の一部は紀元前2千年位ですから、その隔たりは2千年になるのです。それぞれの書が背負っている文化も歴史的な背景も違います。旧約聖書はヘブル語で、新約聖書はギリシャ語で書かれています。申命記が律法の書なら、雅歌は恋愛の歌です。福音書の物語もあれば、ローマ人への手紙のような教理の手紙もあり、黙示録の預言の書と、ジャンルもさまざまです。中には、パウロ文書とヤコブの手紙のように、神学的に相容れないような内容もあります。
        
 それでも私たちは、この66巻の聖書を、その多様性の故に感謝します。なぜなら多様であるが故に、神さまの豊かさが表現されている。多様であるが故に、大きな神さまのご計画も計り知れない恵みも浮き彫りにされます。そして、どんなに多様であっても、私たちは聖書を、一冊の書物として、「一書」と見るように努力するではありませんか。だとしたら、教会がどんなに多様であっても、一つの教会であると見るように努力しなければいけない。それが、「公同の教会を信ず」という告白の中に込められていると私(藤本牧師)は思います。

2)それと同じように、「公同の教会を信ず」と告白する時、様々な教会の多様性の中に豊かさを見ようとすること、そして多様性の中に一致を見ようとする努力が求められています。
 
 パウロは、一つ一つの部分に与えられた固有の使命、それぞれの役割を教えます。エペソ4章5.6.7節をご一緒に読みましょう。

5節「主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つです。」
6節「すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのもののうちにおられる、すべてのものの父なる神は一つです。」
7節「しかし、私たちはひとりひとり、キリストの賜物の量りに従って恵みを与えられました。」

5節と6節は、一つだということを強調しますね。ところが、7節は、わたしたちはひとりひとり――つまり多様性が強調されています。一人一人、与えられた賜物は違います。

11節「こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。」

ある人を信徒、ある人をお母さん、ある人をサラリーマンにお立てになったのです。7〜11節まで描かれているのは多様性です。

 同じようなことを、パウロはコリント第一の手紙の12章でも教えています。そこでは、教会はキリストのからだであり、私たちはその一つのからだに属するそれぞれの器官だと言うのです。目であったり、耳であったり、足であったり、中には隠れた器官、あまり尊ばれない器官もあるでしょう。しかし、その中に不必要はものは一つもないのです。皆が組み合わされて、一つのからだを構成しています。
 
 エペソの手紙4章には、大切なことが記されています。12節と13節を交替に読みましょう。

12節「それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、」
13節「ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。」

 12節の前半見てください。それはというのは、多様性があること――それぞれ違うのは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、それぞれ違う多様性が一致の中で一つの働きになって行く時に、13節の最後「おとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達する」ことができる。

 ひとことで言いますと、多様性がなければ、キリストの豊かさは表現できない。さまざまな働きや特性が組み合わされて、初めて教会はキリストの豊かさを表現できると言うのです。
 公同の教会には、カトリック教会やメソジストやバプテストと言った大きな世界規模の教団があります。しかし、その中には、インマヌエルのような支流的な、その歴史わずかに60数年という教団もあります。あるいは単立の一つの教会もあります。私たちは、胸を張って、「高々歴史は60数年です。でも、神さまがご自身の摂理によって建ててくださった、この教団の私たちも何千年というこの公同の教会の一部です」と言わなければいけない。

3)没個性ではない
 つまり、公同の教会を信じることは、高津教会の個性や、独自性や、歴史性を否定することではない。私たちの小さな教会が、独自の役割を忘れないから、一つのかけがえのない部分として、全体である公同教会に貢献できるのです。その一つ一つの個性を消してしまったら、つまり目は目としての役割、耳は耳としての個性を消してしまったら、貢献できなくなってしまいます。
 私たちは、自分の教団の背景にある、神の摂理、独自の使命意識、教理的独自性、伝統を忘れてしまったら、もはや全体に貢献する意味はないです。この土俵を、小さな土俵でありますけれども掘りさげて、たとえば『聖と宣』――『きよめと宣教』という2本柱を持っていますが、この2本柱を更に掘り下げて、豊かにして行くということによって、私たちは公同の教会に貢献することができる。
 しかし、同時に大切なことは、その土俵を公同の教会というさらに広い土俵に置いてみること。そしてなるほどキリストの教会というのは、こんなに広いのかと思う。そういう意味で、よその教会の方が私たちの教会を訪問してくださり、一緒に礼拝できるこの夏の時期というのは、とっても尊い。

 ある時、高津教会の姉妹が、バプテスト教会に転会されました。バプテスト教会は洗礼にこだわります。中には、あらためて洗礼を授け直す教会もあります。私は正直、それにはあまり良い印象を持っていません。歴史的にはわかるのです。(再洗礼派というのですが、)キリスト教が国の宗教であって、生まれたときにすでに洗礼を受けた人は、あまりにも救いの意識が乏しいと考えた、16世紀のバプテストの人たちは、自分がその国に生まれたからではなく、自分が信仰をもってキリストに従う者となったという意味で、自覚的な洗礼を授け直したのです。

 しかし、インマヌエルの洗礼は幼児洗礼ではありません。同じように信仰者の洗礼です。だったら、私たちが授けた洗礼を尊重してほしいと思いました。しばらくして、その先生からお手紙をいただきました。今までは、バプテストの洗礼を条件に転会してもらっていました。でも、私も他の教会で授けられた洗礼を尊重すべきと考えるようになり、役員会で相談し、この姉妹をそのままお受けすることにしました。

 私は、その教会と先生のことを誇らしく思いました。それは、私たちが授けた洗礼を受け入れてくださったということではない。今まで自分たちが当然のこととしてやって来たことを、公同の教会という広い土俵の上に置いて改めて考え直したという、この神学的なプロセスはなかなか見上げたものです。正直、立派な先生なんだなと思いました。

 ウェスレーの有名な説教に「公同の精神」と題されたものがあります。その一部を引用します。

 「私は、あえて自分の礼拝様式を他人に押しつけようとはしません。私は自分の礼拝様式こそ真の意味で使徒的であると信じています。しかし、私の信仰は他の人のルールにはなりません。したがって、愛のゆえに一致したいと願う人に対して以下のような質問はしません。『あなたは、私の教会の人ですか。私と同じ会衆に属していますか。あなたは私と同じ教会政治の形態を受け入れていますか。私が神を礼拝するのと同じ形態の祈りにあなたも加わっていますか。』また私は以下のような尋ね方もしません。『私と同じ態度と方法で聖餐に与っていますか。』また洗礼式の方式に関しても受洗者の年齢についても、自分と意見が同じか尋ねません。」(説教39「公同の精神」1・11)

 あなたが神を愛し、あなたが同じように神に仕え、人を愛し、人に仕えと願っておられるなら、私は喜んであなたと手を取り合いたい。ウェスレーが言いたいのは、自分なりのこだわりを捨てるという意味ではない。自分は自分の教会、自分の礼拝のあり方がベストだと思っていました。しかし、それが唯一のベストではないのです。公同の教会にあっては、他の礼拝形式も重んじられなければならない。賛美のスタイルが違ってもいいのです。神を賛美していることには何の変わりもありません。「公同の教会を信ず」とはそういうことではないでしょうか。

 教会歴史の中で、そして今日のキリスト教の動向の中で、自らの占める位置を明らかにし、その文脈下で自らの独自性を認識するのでない限り、内向き現象は免れられないでしょう。私たちの独自の強調が、時に特殊性・局部性・地域性という落とし穴に落ちる危険があることを謙虚に認識しつつ、他との連帯を大切にし、より大きな全体に連なり、その視点から部分に過ぎない自分を改革するという考え方を、公同教会論は私たちに要求しています。

 「公同の教会」という表現を初めて使ったアンテオケアのイグナチウスは、こう言いました。定義はこうです。「イエス・キリストのおられるところに公同の教会がある。」(「スミルナのキリスト者への書簡」8・2)

 ローランド・ベイントンという有名な教会史の学者がいます。イギリスのクエーカー出身で、しばらくしてアメリカでルター研究の第一人者、教会史の専門家になります。晩年、奥さんが亡くなってから、一度日本に講演に来た時の証しが日本語で出版されています。その最後に、こう記されています。

 「私の妻は、15年ほど前に亡くなりました。妻は三年間の闘病の末、骨髄ガンで天に召されました。三年間、イエール大学のニュー・ヘーブンの病院に入院している時、私は毎日妻を見舞いました。一切の講演を断り、ひたすら付き添いました。
 そうしたある日、妻から離れて、私は二時間ほど用事を足しに出かけました。その帰りに、ふと、小さな教会の戸が開いているのに気が付きました。のぞいてみると聖餐式が行われていたので、私は思わず中に入って、それに与りました。
 これは、私にとって、すばらしい慰めでした。」
 
 通りかかった教会の戸口から見えた聖餐式。そこに引き込まれるように、自分もその中に入って行って(自分の行ってる教会ではないのです)、その恵みに与り、そこから慰めと力付けを受けて、奥さんのところへ戻った。よほど印象的だったのでしょう。「道」と題した講演を、このエピソードで締めくくっています。 
 奥様の介護で疲れて、また末期の状態に心を痛めている時、ふと立ち寄った教会の聖餐式で、忘れ得ぬ慰めを受けた。そこに、紛れもなくキリストがおられた。そのキリストに触れて、自分は慰められ励まされたという証し。

 日本の教会であれ、世界のどこの教会であれ、イグナチウスは言います。「キリストのおられるところに公同の教会がある。」そして、私たちはその公同の教会の一員であることを誇りに思う。
 時に讃美歌のスタイルが違い、お祈りが違えば、私たちは思わずこれが礼拝かと思う。でも、向こうも同じように思っているでしょう。私たちは喜んでその多様性の中に身を投じ、キリストの恵みを味わう所に、キリストの満ち満ちた身たけまで成長した私たちの姿がある、ということを心に留めたいと思います。

☆終わりのお祈り
 恵み深い天の父なる神さま、あなたはこの小さな高津教会を、公同の教会として育ててくださっていることを感謝致します。どうかあなたを愛し、あなたを信じる人、どんな人をも迎えられる教会でありますように。
 また私たちも、「キリストがおられるところ、そこが公同の教会である」と心から信じて、自分とは異なった礼拝に与ることも、機会があれば与えて恵んでください。
 イエス・キリストの御名によってお祈り致します。アーメン。

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DATE: 2011.07.19 - 21:17
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