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::: 高津教会 説 教 :::


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Name   T・Y
Subject   9/4 神の人モーセ(1) 誕生     
9/4 神の人モーセ(1) 誕生       
  
出エジプト記1:1〜2:10

 先週で使徒信条の学びを終わることができ、今日から「神の人モーセ」というタイトルで、モーセの生涯から学ぶことになります。しばらく出エジプト記に集中致します。
 もしかしたら、私たちより教会学校の子どもたちの方がよく知っているかもしれない位のモーセで、昔ならば「十戒」という映画になるのでしょう。今ならば、The Prince of Egypt という、あのDisneyの英語を観ますと、モーセの生涯がよくわかりますね。
 出エジプト記を開いていただきますが、聖書の第二の書物、創世記の次に来ます。

 創世記の最後は、ヨセフの物語で終わっています。ヨセフは、ヤコブの11番目の子どもで、兄たちに嫌われ、エジプトに売られ、そこから神さまが彼をエジプトの総理大臣にされます。そのことによって、エジプトの人々を飢饉から救い、同じ飢饉に苦しみエジプトに食料を買いに来た、自分の兄弟と再会し、最後には父ヤコブを含めて、エジプトに呼び寄せて住むようになります。

1)モーセ誕生の時代背景
 そうして、エジプトに移住したのは、総勢70名であったと、出エジプト1章に記されています。
1:5「ヤコブから生まれた者の総数は七十人であった。ヨセフはすでにエジプトにいた。」
 それから何世代もの年月が経過しました。その間、6節にあるように、ヨセフとその時代の人々は死に、7節にあるように、イスラエルの人々は急激に増加して、国中にあふれるようになります。現代で言えば、難民が急成長して、逆にその国を脅かしているような状況です。
6節「そしてヨセフもその兄弟たちも、またその時代の人々もみな死んだ。」
7節「イスラエル人は多産だったので、おびただしくふえ、すこぶる強くなり、その地は彼らで満ちた。」
  
 ヨセフが死んだのが紀元前1700年頃と言われています。エジプトの歴史では、第14王朝の頃です。その間、第15〜第17王朝まで、エジプト国家は坂を下ります。ヒクソス人の侵略による戦争が繰り返し起こります。
 そうして迎えた、第18王朝のファラオはヒクソスを破り、再びエジプトの国威を確立します。歴史家は、それが8節に出て来る、「ヨセフのことを知らない新しい王」であろう、と考えています。
8節「さて、ヨセフのことを知らない新しい王がエジプトに起こった。」

 彼は、この難民問題と慎重に向き合います。11節、最初は強制労働に就かせ弱体化させることをねらうのですが、しかし、12節には、「苦しめれば苦しめるほど、この民はますますふえ広がった」と記されています。これは、イスラエルの人々の生命力の強さを物語っているのではない。そこにあるのは神さまの見守りと祝福です。
11節「そこで、彼らを苦役で苦しめるために、彼らの上に労務の係長を置き、パロのために倉庫の町ピトムとラメセスを建てた。」
12節「しかし苦しめれば苦しめるほど、この民はますますふえ広がったので、人々はイスラエル人を恐れた。」

 しかし皮肉なことに、それが故に弾圧はますます強くなります。13〜14節には、過酷な労働、粘土や煉瓦の激しい労働、さまざまな困難で、彼らの生活を苦しめたとあります。
13節「それでエジプトはイスラエル人に過酷な労働を課し、」
14節「粘土やれんがの激しい労働や、畑のあらゆる労働など、すべて、彼らに課する過酷な労働で、彼らの生活を苦しめた。」

 ここにモーセ誕生の背景があります。モーセは、難民、いや寄留の民の負い目を背負って生まれて来ます。エジプト人としてではなく、イスラエル人として、外国、寄留地エジプトに生まれるのです。つまり、モーセ及び背景になるイスラエルの人々というのは、力をつければ警戒され、恐れを引き起こし、差別されることもあります。エジプトのファラオの言葉ひとつで、過酷な労役を強いられるような弱い存在です。
  
 今の日本のクリスチャンは、必ずしもそうではないですが、しかし戦中のクリスチャンがまさにそういう存在でした。力をつければ警戒され、恐れを引き起こし、差別され、そして国家権力の言葉ひとつで、逮捕され、牢獄に入れられ、拷問に遭った弱い存在でした。
 総じてクリスチャンは、この世界に寄留の民として、旅人として、生きている現実には変わりはないです。私たちは時代の変化や社会の変動に、あるいは会社の体制の変化に、翻弄され職を失い、しばらくすると引っ越して行きます。転勤するたびに、人間関係を失いますし、生活環境を違え、教会生活の中心から自分を動かすことなく転勤して行くというのは、イエスさまのためにどれほど多くの犠牲を払って来られたのか―――これは同じところに住んで、ある一定の調子で教会に通って来られる方には、わからない苦労があると思います。
 でも私たちはどこまで行っても、やはり寄留の民であり、世の中の一つのできごとで、自分たちの人生は翻弄される、旅人としての宿命を負っているという現実は、だれでも同じであります。成功すれば警戒され、時に理不尽な要求を突きつけられ、結果、より苦しい状況に置かれることもしばしばあります。それが、旅人としての宿命だと言ってもいいのです。

2)神を恐れる女たち
 ますますイスラエルの人口が増えて行くことに怒った王は、イスラエルの助産師の二人の女性を呼びつけて言います。
16節「ヘブル人の女に分娩させるとき、産み台の上を見て、もしも男の子なら、それを殺せ。」
  王宮の助産師ですから、この二人に対する命令は、他の助産師に対する命令となるのでしょう。―――男の子だというのなら、死産に見せかけて、処分せよ。

17節「しかし、助産婦たちは神を恐れ、エジプトの王が命じたとおりにはせず、男の子を生かしておいた。」
  なぜ命令に逆らうのか、と事情を知ったファラオは、この二人を追求します。すると二人は、上手に逃げます。
19節「ヘブル人の女はエジプト人の女と違って活力があるので、助産婦が行く前に産んでしまうのです。」
   へブル人の助産婦たちは、王の命令に逆らい、王に明らかな嘘をつきます。
 
 もちろん、人道的にそんなことはできなかった。ましてやそれが、同胞のヘブル人の子どもなら、なおのことでしょう。しかし、理由は明確です。嘘をついてまで王の命令に逆らう理由は明確です。
21節「助産婦たちは神を恐れたので、神は彼女たちの家を栄えさせた。」
 17節にも「助産婦たちは神を恐れ」とありますが、その神への恐れの故に、神は彼女たちの家を祝福されたのです。寄留の民であり、旅人であり、とっても不利な状況下で、この世を生き渡って行く私たちの中に、神を恐れる女たちがいた。―――これを今日は改めて考えてみたいと思います。

 ここに旧約聖書全体が重きを置く、信仰者のあり方、信仰者の敬虔な生き方を見ることができます。
 敬虔、英語ではgodlyとは、どういうことでしょう?あの人は敬虔な人だと言うとき、どういうイメージを抱くでしょうか。柔和な人柄でしょうか。争いを好まず、世界の平和を追い求める人でしょうか。神に祈る人でしょうか。神を賛美する人でしょうか。もちろん、みな敬虔という範疇に入ります。

 しかし、旧約聖書で独特なものの言い方をしまして、godlyな人を考えたとき、つまり今回、詩篇90篇の表題に倣って、「神の人モーセ」の生き方から学ぼうとするとき、ここから「神の人」、敬虔でgodlyな神の人の特質は、第一に神を恐れる人です。第一か第二か、同時に上げられるのは神を信じる人でしょう。つまりこの二つ、神を信じることと神を恐れることは、神の人にとって最も大切なことだと旧約聖書は教えます。つまり神を恐れるという概念は、新約聖書の何十倍も旧約聖書にあります。

  神を恐れるとは、どういうことでしょうか。それは、神を恐れないエジプトの王を見たら、よく解ります。世界は自分を中心に回っているのです。障害物があれば乱暴に取り除けばいいのです。自分が神です。自分の望むことを実行することがすべてです。私たちはファラオのような権威は持っていません。でも、自分の小さな世界で彼と同じように神を演じる。不敬虔な人とは不道徳な人という意味ではないです。もっと大きな概念で、自分の小さな世界で神を演じる人間――それが不敬虔な人です。

  アメリカの大統領で、ケネディの一人前で、ジョンソンという大統領がいました。彼が、一人のクリスチャンとしての敬虔を学んだ出来事があったということを、私は何かの本で読みました。あるとき、側近の会議を始める前に、報道官であったモイヤー秘書に「君、お祈りしてくれ」と指名します。このモイヤーは、神学校も出て按手礼を受けた牧師でした。一時期、牧師から外れて報道官をやっていた人物です。
   長いテーブルの反対側に座っていた彼に、お祈りをお願いしたのですが、ジョンソン大統領は聞き取れずに、怒った口調でお祈りに口を挟んで言いました。
「もっと大きな声で!私には聞こえないぞ!」
  すると、モイヤー報道官から返って来た言葉が、
「すみません。祈っているとき、私は神さまに話しているのであって、あなたに話しているのではありません」
  その言葉に、ジョンソン大統領は、ハッと目覚めたと言うのです。―――私は神ではない。私は一人の弱い人間で、今神に助けを求めるために、モイヤー報道官にお祈りをお願いした。彼が話しているのは、私にではなく、神に対して話しているのだと。

   私たちはただの人間で、何の権力も握っていません。それでいて自分の世界の支配者でありたい、自分の思うようにことを運びたい、それで邪魔な者は何者も取り除いて行くという、いつの間にか、この小さな世界で王様になり、神を演じる愚かしさを不敬虔という、神を恐れない者の姿です。
   二人の助産師は、この世界を、私たちの人生を治めておられるのは天地の造り主、神だけであることを知っていました。わがままな王の要求に背いてでも、神を第一と    することを知っていました。それが、神を恐れる者の姿です。

3)神に委ねる
   もうひとりの神を恐れる者の姿、それが2章のモーセの母です。
2節「女はみごもって、男の子を産んだが、そのかわいいのを見て、三か月の間その子を隠しておいた。」
3節「しかしもう隠しきれなくなったので、パピルス製のかごを手に入れ、それにれき青と樹脂とを塗って、その子を中に入れ、ナイルの岸の葦の茂みの中に置いた。」
  男の子が生まれました。三か月隠して来ましたが、ついに隠しきれなくなり、パピルスのかごに、「れき青と樹脂を塗って」とは防水処置をして、赤ちゃんを入れて、ナイルに流します。

ヘブル11:23「信仰によって、モーセは生まれてから、両親によって三か月の間隠されていました。彼らはその子の美しいのを見たからです。彼らは王の命令をも恐れませんでした。」
   「信仰によって」というのは、モーセにかかるのではなく、モーセの両親にかかるのです。どれほど苦しんだことか、迷ったことか。生後三か月です。でも、その場で持って行かれて殺されるよりはましです。そうして両親は、(我が子のためにやれることのすべてをやった後に、)信仰によって、赤ちゃんを神に委ねたのです。それは川に流して、流れに任せたということです。葦の茂みに隠したところでどうなるものでもなく、流れて行ってしまう訳です。川の流れに任せるというのは、手放すことです。でもすべてを握っておられる神を信じて、両親はお祈りして神に委ねて葦の茂みに隠したのです。―――これがもうひとりの、神を恐れる女の姿です。

 そして、展開されるのは、私たちの大好きな物語の行く末です。神に委ねたとき、神はもう一度母親に戻してくださいました。(4節〜9節を交読)
4節「その子の姉が、その子がどうなるかを知ろうとして、遠く離れて立っていたとき、」
5節「パロの娘が水浴びをしようとナイルに降りて来た。彼女の侍女たちはナイルの川辺を歩いていた。彼女は葦の茂みにかごがあるのを見、はしためをやって、それを取って来させた。」
6節「それをあけると、子どもがいた。なんと、それは男の子で、泣いていた。彼女はその子をあわれに思い、『これはきっとへブル人の子どもです。』と言った。」
7節「そのとき、その子の姉がパロの娘に言った。『あなたに代わって、その子に乳を
飲ませるため、私が行って、ヘブル女のうばを呼んでまいりましょうか。』」
8節「パロの娘が『そうしておくれ。』と言ったので、おとめは行って、その子の母を呼んで来た。」
9節「パロの娘は彼女に言った。『この子を連れて行き、私に代わって乳を飲ませてください。私があなたの賃金を払いましょう。』それで、その女はその子を引き取って、乳を飲ませた。」
     
 私たちは、この聖書の物語が大好きです。出来すぎた物語の展開でもあります(笑)。両親は苦悩の中で、3か月のモーセをパピルスのかごに入れて、川に流すのです。神に委ねるのです。すると、先の方で、そのかごを水浴びに来た王女が見つける。見ると明らかにこれはへブル人の子である。可哀想に思って、お乳を上げられるようにだれかと言ったときに、するりとモーセの姉が現われて、私が見つけて来ますと言う。そして呼びに行ったのが、かごを手放したお母さんだった。そしてお母さんは、ずっとわが子を育てることになる。もちろん王宮に住んでいる訳ではないですけれども、お乳を上げて、手放したはずのわが子を育てることができた。

 これは私たち信仰者の最大の原則でしょう。神を信じる者とは何か?神に委ねると、神はそれをご自身の栄光のために用いてくださる。私たちが手放すと、神はそれをもって私たちの益として、また返してくださいます。神にお委ねしたものは、何一つ無駄にはならない。
   神に捧げると、神はそれを受け取ってくださり、しばらくすると、一旦捧げたものを、神はまた戻してくださる。財を捧げると、主はさらに私たちの生業を祝してくださり、賜物を捧げると、今度はご自身の栄光のために用いてくださる。

 イエスはおっしゃいました。
「一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。」(ヨハネ12:24)
  これはご自身の十字架を指しているだけではない。私たちに与えられているものは、みんな一粒の麦です。それを自分の利益のために、自分の王国のために用いるなら、それはいつまでたっても一粒の麦のままです。でもそれを神の御手に委ねるならば、神はそれによって多くの実を結ばせてくださる。
   一粒の貴い麦、モーセは両親の手から神さまに委ねられます。一旦、神は両親の信仰を受け取り、改めてモーセのお母さんの手の中に戻された。そして、またご自身の栄光のために、モーセの生涯を用いられました。

  主よ、私にも与えてください、あなたを第一とし、あなたを恐れる心を。決して自分の小さな世界で自分が王にならないように。神の人モーセのgodlyな心を与えてください。神さまはあなたです。
  同時に、大切なものをあなたに委ねる信仰を与えてください。どうしようもない事柄を、あなたに委ねる信仰を与えてください。時に川に流してしまうという信仰を与えてください。あなたはきっとそれを再び私の手に戻してくださるでしょう。

   来週からモーセの姿を学んで行きたいと思います。

☆終わりのお祈り
   恵み深い天の父なる神さま、あの英雄モーセの背景に、寄留者の重荷があり、旅人の不遇な宿命があり、しかしその中にあっても、あなたを恐れることを忘れず、あなたを信じ、あなたに委ねることを忘れなかった女たちの、その信仰によって、モーセが生まれ育って行きました。
   すべてを治めておられるあなたにしてみれば、自分の小さな世界でもがいている私たちは、きっと滑稽に見えるに違いありません。あなたの小さな世界もわたしの大きな世界の一部だと言ってくださるイエスさま、どうか、自分の人生の主導権をいつでもあなたにお渡しすることができるように、そして、自分の自由にならないことはいくらでも手放すことができるように、私たちを敬虔な人物、神を恐れ、神を信じる敬虔な人物となしてください。イエス・キリストの御名によってお祈り致します。アーメン。



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DATE: 2011.09.06 - 19:26

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藤本先生
「神の人モーセ」の説教、学ばせていただきます。感謝
2012.08.09 - 10:11 
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