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::: 高津教会 説 教 :::


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Name   T・Y
Subject   9/11 神の人モーセ(2) 挫折の中にも神は
9/11 神の人モーセ(2) 挫折の中にも神は
    
出エジプト2・11〜15              

   先週、第一回目にモーセの誕生の場面から学びました。登場人物は、ヘブル人の家に生まれてくる赤ちゃんが男なら殺せ、という王の命令に背いたヘブル人の助産婦、そしてモーセを隠し、とうとう川に流したモーセの母親でした。
   「神の人モーセ」と題してシリーズで学びますが、このタイトルは詩篇90篇の「神の人モーセの祈り」から来ています。神の人を、英語でgodly manと言うのなら、敬虔な人とは、どういう人なのだろうか、それを旧約聖書に焦点を絞って考えてみました。
  敬虔な人とは、神を恐れる人です。私たちは、この「神を恐れる」という概念を、ここに登場する神を恐れないエジプトの王から学びました。「神を恐れない」とは、小さな自分の世界で自分が神となってしまう人です。自分がまるで神であるかのように振るまい、自分の願望を押し通そうとして行く私たちは、ある意味でエジプトの王ファラオと同じです。
 それとは逆に、ヘブル人の助産婦たちは、たとえ自分のいのちを危険にさらしてでも、神を第一とする生き方を貫きました。これが神を恐れる人の姿です。
  神の人、敬虔な人の第二の特徴は、信仰です。私たちはそれをモーセの両親から学びました。赤ちゃんを隠しおおせないという切羽詰まった状況で、両親はモーセをパピルスで編んで、防水加工を施したかごに入れて川に流します。それは、もうどうしようもないという状況にあって、神さまに委ねたということでした。そして、神さまは信仰をもって委ねたものを、また私たちの手に返してくださる。信仰をもって捧げた物を、幾倍にもして返してくださると学びました。
 エジプトの王女が赤ちゃんを見つけ、水の中から引き上げた(マーシャー)という言葉から、モーセと名付けました。そして、モーセはエジプト文明の中枢、王宮で育ちます。相当な世界、相当な教育であったに違いありません。
 
 エジプトは、ナイル川の水を治めることによって文明を作り出したと言われています。治水の目的から、土木建築が進みます。天文学も発達します。歴史で初めて、太陽歴を用い、一年を365日、月にして12ヶ月、一日を24時間、一時間を60分と設定します。ナイルの治水が発達するに連れ、農業が発展し、牧畜も盛んになります。飼育された家畜は、牛、羊、山羊、ロバ、豚、犬などで、アヒル、ガチョウや蜜蜂も飼われたそうです。
 やがてヒクソスの文明が、馬をもたらしました。ネコを飼ってネズミを取らせることもエジプト人が、最初に考え付いたことらしいです。豊富な農産物に加えて、南方からは金が、東からは石材が、北からは銅が供給されました。やがて鉄が入り、馬と鉄を巧みに取り入れた戦車、武器を開発して、エジプトは戦力を増して行きます。
 科学や生物学の発展も、ミイラが出来るほどものでした。勿論、壁画に残っている芸術の発達、クサビ型文字、羊皮紙、パピルスを用いた文学の発展は、めざましいものです。
  そうして、あの砂漠の地(93%)に、巨大なピラミッドとスフィンクスを宿している神秘の文明が生まれました。モーセの時代にすでにあのピラミッドはありました。現代の私たちが見ても、エジプト文明は偉大だと思います。
 
1)モーセの苦悩と決断
 その文明の中枢で、モーセは四十年過ごしたのです。どれほどの教育を受けたことか。後にステパノという人物が、あのユダヤ人の全議会を前にして説教をします。それが、使徒の働きに記されており、モーセについてこのように言及されています。
使徒7・22「モーセはエジプト人のあらゆる学問を教え込まれ、ことばにもわざにも力がありました。」
23節「四十歳になったころ、モーセはその兄弟であるイスラエル人を、顧みる心を起こしました。」
24節「そして、同胞のひとりが虐待されているのを見て、その人をかばい、エジプト人を打ち倒して、乱暴されているその人の仕返しをしました。」
 
 使徒の働き7・23が出エジプト記の方では、次のように記されています。 
出エジプト2・11「こうして日がたち、モーセがおとなになったとき、彼は同胞のところへ出て行き、その苦役を見た。そのとき、自分の同胞である一人のヘブル人を、あるエジプト人が打っているのを見た。」
 使徒の働きのステパノのことばでは、「四十歳になったころ」となっていますが、四十歳になった時にこの事件が起こったというだけの話で、出エジプト2・11の「こうして日がたち、モーセがおとなになったとき、彼は同胞のところへ出て行き、その苦役を見た。」というのは、四十歳よりもっとずっと若い時だっただろうと思われます。

 モーセはエジプトの文化の中枢で何の不自由もなく、豊かに暮らしながら、今日の説教ポイントの第一番目ですが、しかし、モーセは幸せではありませんでした。自分は王宮にいながら、ヘブル人です。それなのに、自分は王家の一員としてヘブル人を支配しています。自分の同胞たちが奴隷として苦しめられ、虐げられていることを知っていたのです。
 ですからある程度分別がつくようになってから、モーセはずーっとこの問題を心の内側に抱えていたに違いない。これでよいのだろうか、こんなに自分だけ贅沢な生活をしていて、片や自分の同胞は苦役の中にいるのです。どうしたら良いのだろうか、と彼は悩んで来たはずです。
 そしてある日、「自分の同胞であるへブル人をあるエジプト人が打っているのを見た」というのが四十歳の時です。この11節に「同胞」という言葉が二度繰り返されています。そこにモーセの思いが強調されています。
   自分は、あの奴隷として鞭打たれているヘブル人の同胞、同族なのだ。同胞である彼のために何かをしなければ、という日常の思いが、このとき一気に吹き出します。
   同2・12「あたりを見回し、ほかにだれもいないのを見届けると、彼はそのエジプト人を打ち殺し、これを砂の中に隠した。」
 かっとなって、殴りかかりました。それだけ苦悩の思いが積み重なっていたのでしょう。かと言って、その先のことを考えていたわけではありません。彼は、遺体を土に埋めます。もっと周到な計画を立てるべきだったのでしょうか。いいえ、むしろ、私たちはモーセに同情します。きっと、所詮、これくらいのことしか、人にはできないのではないでしょうか。
 衝動的であれ、周到であれ、この大きなエジプトを相手に、モーセの正義感が何か役に立つのかと思えるぐらい、彼は大きな問題に立ち向かおうとして、そうして、挫折して行きます。その挫折のありようを、今日は少しじっくり見て行きたいと思います。

2)モーセの挫折
 出エジプト記2章の13節と14節を交替に読んで行きましょう。
13節「次の日、また外に出てみると、なんと、ふたりのへブル人が争っているではないか。そこで彼は悪いほうに、『なぜ自分の仲間を打つのか。』と言った。」
14節「するとその男は、『だれがあなたを私たちのつかさやさばきつかさにしたのか。あなたはエジプト人を殺したように、私も殺そうと言うのか。』と言った。そこでモーセは恐れて、きっとあのことが知れたのだと思った。」

 ここから始まるのがモーセの挫折です。自分はへブル人なのに、へブル人を支配し、奴隷であるへブル人があんな苦役の中にいるのに、自分は何一つ不自由なく生活しているという矛盾をずーっと抱えていた。そして四十歳になった時に、ヘブル人が虐待されているのを見て、かっとなる衝動的な憤りもあったとは思いますが、これを機会に何とかして自分は同胞のためにと思って出た行動を、実際、ヘブル人は全く受け取ってはいなかった。

 13節は、次の日のことです。二人のヘブル人がケンカをしていました。モーセは仲裁に入って、悪い方に「なぜ、自分の仲間(同胞)を殴るのか?」と問い詰めます。返ってきた答えに、モーセは足がすくみました。
 14節は、こういうことです。―――おまえに人を裁く権威があるのか?おまえは、昨日、エジプト人を殺して土に埋めただろう。
 同胞のことばかりを考えて来たのがモーセでした。だから、仲間どうしてケンカをしている二人の間に入ったのです。―――俺たちは皆、労働を強いられている、苦しんでいる仲間なんだ。争いはやめよう。
 すると、相手はモーセに言いました。―――仲間の顔をするなよ。おまえは、仲間じゃない。おまえは俺たちの苦しみなど解っていないだろう。おまえの言うことを聞く耳など俺たちは持っていない。おまえは、どうせ王宮でうまいもんを食って、好きなように暮らしているだけじゃないか。でしゃばるなよ。妙な正義感を掲げるなよ。昨日のおまえは、エジプト人を殺したんだぞ。みんな知ってるぞ!その秘密を握っているんだぞ!
 
 そのことばにモーセの心は凍り付きました。指摘されたことは、モーセも解っていることなのです。自分はヘブル人でありながら、同胞の苦しみを共有することはなかったのです。ですから、これではいけないと思い、少しでも同胞を助けようとしたのです。勇気を奮い起こして取った行動が、結果、事態を複雑にしてしまいました。下手な正義感は、相手に通じないどころか、正義感を持っている自分に、実は暴力的な恐ろしい悪が潜んでいることも判ったのです。
 モーセは、すべてを捨ててエジプトを出て、アラビアの荒野で、身を隠し遊牧民に紛れます。エジプトの王宮で過ごした月日が四十年。そして、逃亡者となって荒野に四十年。遊牧民の娘さんと結婚して、子どもを儲けて、普通のお父さんになって四十年の歳月が過ぎて行きます。

 それは急転直下の落下でしょう。聖書の中で、モーセほどてっぺんからどん底まで落ちた人はいない。その原因は自分にありました。彼は、ヘブル人の神について耳にしていたことでしょう。しかし、彼は王宮で育ち、いつの間にか、彼もまた神を恐れることを知らずに育ち、神を信じて委ねることも知りませんでした。モーセの取った行動は、神を恐れない、不敬虔なエジプトの王と同じやり方でした。つまり、自分の力で、自分のやり方で、自分のタイミングで動きました。彼は政治のことも権力のことも、少しは経験していたことでしょう。
 古代ユダヤ人歴史家ヨセーフィスの「古代ユダヤ史」という、古〜い今から二千三百年位前の本があります。それには、違う歴史資料を引用して、モーセは三十歳にしてエジプトの軍隊を率いて、エチオピアの攻撃を封じたという記録が残っています。それほどの人物モーセでした。
 しかし、衝動的な行動に出たとき、改めて彼は、神を恐れぬ人間の愚かさ、その愚かさが身にしみついていた人間であることが露わになります。自分の手で事態を収拾するために、自分の正義感を掲げて表に出て行くモーセの姿は、あの小さなエジプトの世界で、自分が神になっているファラオと何ら変わりがない。そしてそれが一気に崩れて行った時に、周囲の難しさを経験して、彼の心は凍り付きます。そして四十年間の挫折の道を行くのです。

 私たちの日常生活も同じではないでしょうか?神さまに導きを伺うこともせず、神さまの救いに信頼することもなく、状況を自分の手の中に収めたとたん、それが恐ろしく複雑で、自分ではどうしようもない。こんなものを自分の手で握ってしまったと言うほど、実は複雑なのです。でも複雑の中で、私たちは改めて神に祈る。―――神さま、もしかしたら、こういう人生の展開は、私の信仰が欠けたゆえなのでしょうか?私はあなたの前に悔い改めます。どうか、この状況をもう一度あなたの御手に委ねますので、あなたがその複雑なパズルを組み合わせて、何とかしてこの事態を切り抜けることができるようにしてください。

 でも神はモーセを四十年間、放って置かれるのです。後悔しても遅いのです。自分が思い描いていた同胞の解放どころではありません。表舞台に立つどころか、荒野に身を隠します。自分の受けた教育も才能も、ほとんど意味のない世界に隠れます。これをもって、彼の人生は終わったのでしょうか?モーセは間違いなく、終わったと思ったことでしょう。
 しかし、ミデヤンの荒野で羊を飼って四十年目、ついに神はモーセに声をかけ、これを来週見てみたいと思いますが、彼をヘブル人救済の指導者として用いようとされます。すると、どういうことなのでしょう?神は、エジプトの王宮の四十年をもってモーセを教育し、次の挫折の四十年をもって、モーセという人間を変えて行かれるのです。    
 しかし、遜った、神にとって使いやすい器へと、彼を変えて行くこの挫折の四十年は、ある意味あまりにも長い。

 それで、旧約聖書の一番終わり、マラキ書3章の3節をご一緒に読みましょう。
マラキ3・3「この方は、銀を精錬し、これをきよめる者として座に着き、レビの子らをきよめ、彼らを金のように、銀のように純粋にする。彼らは、主に義のささげ物をささげる者となり、」
  「この方は」とは、神です。モーセはレビ族の子どもでした。そのモーセが、挫折と試練の期間によって精錬されます。
 聖書は、よく私たちの魂は火によって、つまり試練によって精錬される金属にたとえています。精錬されて、魂は純粋になって行くのです。
 銀の精錬作業とはどういうものなのでしょうか。昨日調べましたら、紀元前2千年前の銀の精錬の仕方には、なかなか行き着かなかった。それで私が、行き着いたのは、石見銀山。これは千五百年ですから、かなり古いですが。
 銀を含んでいる銀鉱石を先ず砕きます。それを鉛と一緒に炉に入れて、空気を吹き入れながら、火の温度を高めて行って、鋼石を溶かします。溶けると、浮き上がってくる鉄などの不純物を取り除きます。すると銀と鉛は一緒になります。
 それをもう一度、高温の炉で溶かして、液状化した溶かされた銀と鉛を、灰の上に注ぎます。すると、鉛だけは灰にしみこみ、銀だけが分離されます。というのが絵の中に書いてあるのですが、このようにして、江戸時代の石見銀山では銀貨を作っていた、と分かり納得しました。
 精錬作業は、試練という熱を加えて、不純物を取り除く作業です。これは、二千年前も、三千年前も基本的には同じ行程でしょう。

 マラキ書の言葉で大切な一語は、ここではないでしょうか。――「この方は、これをきよめる者として座に着き」――座に着くとは、要するに座っているということ。挫折という炉の中にいるモーセの前に、神は座っておられるのです。精錬する者がその場を離れることはないのは、当然のことです。ずっと張り付いているという意味です。神はモーセをきよめるために、モーセに張り付いておられたという現実を、モーセは知らないのです。
 ですから、四十年間をもって自分の人生は終わったと思っている。でも神はその四十年間、モーセを離れず、ずっとモーセの前に座り、彼にささやかなその家族、子供の笑顔、喜びを与え、再び生きる勇気を備え、でも彼の頭の中には、いつも自分の栄光の時代、あのエジプトの王宮にいた時代、そして何とも言えない挫折感、あの日の挫折感を抱えながら、彼がミデヤンの荒野を過ごして行く、その間中、モーセをきよめるために神はモーセの前に座っておられた。
 神は、モーセの先走り、モーセの思い込み、モーセの自力主義、モーセの独断的行動の後、荒野で挫折の炉の中に入ったモーセを離れず、モーセを捨てず、逆にモーセをきよめる者として、モーセの前に座っておられた。
 モーセは、才能と能力の豊かさを、王宮で王子としての教育の結果、身につけたのでしょう。しかしそれ以上に、神は彼を挫折という世界できよめられます。そのことをモーセは後に悟るのですが、遜った人間、そして本当に同胞の苦しみを味わう、共感する能力を持った人、そして自分の力や全てが自分の思いこみや、自分のタイミングではなく、すべては神のタイミングであるという、小さな小さな世界の王を止めて、全世界を支配しておられる神に委ねる心を与えられるのは、この挫折の四十年以外にはない。
 私たちは「神さま、どうか四〇年は勘弁してください。繁栄の四〇年、挫折の四〇年で八十年でしたら、文字通り人生終わっちゃいます。せめて四年、五年にしてください。」と言いそうですが、でも問題は年月ではない。問題は挫折の期間も神は私を離れず、私の前に座しておられるということ。
 そして座しておられる方の目的は一つで、この者をきよめるためです。「わたしにふさわしい者として、きよめるために、わたしはあなたを精錬している」という、その目に見えない世界の主のみわざを、心で頭で捉えることができたら、私たちの人生は全く変わるでしょう。それが徐々にでもいいから、なりますようにというのが、今日の私たちのお祈りです。

祈り
「この方は、銀を精錬し、これをきよめる者として座に着き、レビの子らをきよめ、彼らを金のように、銀のように純粋にする。彼らは、主に義のささげ物をささげる者となり、」(マラキ3・3)

 恵み深い天の父なる神さま、私たちの人生にも一日の試練があり、今週の試練があり、数年の試練があり、どこへ行っても試練があるのかもしれません。
 しかしその間、あなたは私たちを練ってくださるお方で、私たちの前に座しておられるお方で、私たちをきよめるお方であるということを、決して忘れることがありませんように。
 自分の小さな人生が終わったとしても、あなたの大きな世界が終わる訳がないのです。どうか自分の人生以上に、全世界を治めておられて、そしてその全世界の中で、小さな者を用いることのできるあなたのご計画というものを意識することができるように、私たちの考え方を変えさせてください。
 そのために、あなたを信じる者として、あなたに祈る者としてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。

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DATE: 2011.09.14 - 16:58

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