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::: 高津教会 説 教 :::


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Name   T・Y
Subject   10/2 聖餐式礼拝 神の人モーセ(4)神の救い
10/2 聖餐式礼拝 神の人モーセ(4)神の救い

☆聖書個所         出エジプト3・7〜8
7主は仰せられた。「わたしは、エジプトにいるわたしの民の悩みを確かに見、追い使う者の前の彼らの叫びを聞いた。わたしは彼らの痛みを知っている。8わたしが下って来たのは、彼らをエジプトの手から救い出し、その地から、広い良い地、乳と蜜の流れる地、カナン人、ヘテ人、エモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人のいる所に、彼らを上らせるためだ。

☆説教
   この聖句は、新約聖書で言うならば、ヨハネの福音書の3章16節に匹敵するものと考えられます。旧約聖書で、神の救いの原型と言われている出エジプトの出来事は、当然、新約聖書の救いの原型と言われるキリストの到来・十字架・復活とぴったり重なる同じ型にあることを覚えながら、7節と8節の六つの動詞を見て行きましょう。――見た、聞いた、知っている、下って来た、救い出し、上らせる。

1)わたしは民の悩みを確かに見た。
   「見た」というのは、「見てわかった」「見て、確かめた」という意味です。私たちもたくさんのものを目にします。でも、見たものは、片っ端から忘れて行きます。見たと言う時、ほんの視覚の一点に入っただけでありましょう。往々にして、私たちは人の悩みはあまり見ないようにしています。
   このことは、イエスが律法の専門家に教えられた「良きサマリヤ人」のたとえ(ルカ10・30〜37)の話の中にも見られます。
   エルサレムからエリコへの道、旅人が強盗に襲われて、死にそうになって道ばたに倒れています。そこに、祭司が通り、レビ人が通ります。彼らはどうしました?イエスのたとえでは、彼らは半殺しになって死にそうな旅人を、「見た」と聖書にはあります。しかし「見て、道の反対側を通り過ぎて行った」のです。見るには見るのですが、すぐに足は反対側を向いてしまう、それが私たちの姿を実に良く表現しているではないですか。
   そう思いますと、神が言われた、この言葉「わたしは、民の悩みを確かに見た」には、ものすごく大きな思いが込められています。

2)彼らの叫びを聞いた
  旧約聖書に「聞く」という動詞ほどたくさん出て来る動詞は他にないと思います。それは、当然、神の声、神のみことばに聞く、ということが求められているからです。しかし、実は、神があなたの叫びを聞く、祈りに耳を傾ける、願いを聞く、という意味で、「聞く」という動詞もあふれるほど出て来ます。
  この動詞は、単純な聴覚の問題ではないのです。特に聖書では。「聞いて覚えている」「聞いて顧みる」「聞いて答える」「聞いて従う」という意味合いが全部入っています。つまり「聞く」という動詞は、それを言った相手と自分を密接につながらせる、つまり交わりを作り出すのが、「聞く」ということの意味です。

   そう考えますと、私たちは聞くことをしていないですね。よく引用致しますが、有名なスイスの精神医学者、ポール・トゥルニェのことばがあります。
「人と人、国と国との会話に耳を傾けてご覧なさい。その会話はすべて耳の聞こえない人の会話です。」
   皆彼らは言っているだけで、聞いていない。相手の言っていることが分からない。耳の聞こえない人たちの会話に等しい。聞くということは、とても大切なことです。

   私はアメリカにいました時、長男が生まれるので、がんばって、中華料理屋のウェイターをやったことがあります。これは難しかったです。アメリカのウェイター・ウェイトレスは基本、時給がすごく低いのです。当時2ドルですよ。後は、がんばってチップで稼げということなのです。
 その店で、チップが一番多いウェイターがいました。一晩で100ドル稼ぎます。彼は、一〇人ぐらいで来る客が大きな円卓を囲んで、座って、順番に料理を注文すると、それを聞いているだけです。そして、料理が出来上がると、ひとりひとりに間違いなく、注文した料理を届けます。
   私の場合は、三人ぐらいの客から注文を聞くと、ずーっとそれを口で言って(笑)、裏で紙に書きとめ注文に出すのですが、その時点で、誰がどの料理かわからないです。単純に記憶力の問題なのでしょうか。
   でも彼はその客の顔も覚えていて、以前にいつ頃来たかや、そして注文した料理なども時々ポロっと言うのです。すると、お客さんは喜び感動します。なぜなら、何百人といる客の中で、自分だけ特別に覚えていてもらっているような気になるからです。人は、覚えてもらっている時、嬉しいものです。

  「神が聞かれた」とは、「神はあなたに注意を集中された」ということです。そして、神は「覚えておられる」「私のことを覚えておられる」ということです。
  ですからイエスは言われました。同じ祈りを何回も言うなと。神さまは一回言ったらちゃんと覚えているぞと。それだから異教徒のように、念仏のように何度も繰り返す祈りはするなと(マタイ6・7)。むしろ、神は聞いていてくださるということを胸に留め、たましいの奥底で神は私のことを覚えていてくださるということを忘れないでほしいですね。

3)わたしは彼らの痛みを知っている 
   聖書では「知る」とは、情報的なことではなく、体験的なことです。
   創世記の初めに、アダムはエバを知ったとあります。そしてカインが生まれます(創世4・1)。男性が女性を知る―――結婚するという時には、必ず「知る」という言葉が使われています。
   わたしは彼らの痛みを知っている―――本当かなと思います。神というお方は、私たちが普通に味わう挫折や痛みを分かっておられるのかなぁと。

   キリスト教の名著にコーリー・テン・ブームの「わたしの隠れ場」という本があります。敬虔なクリスチャンで時計職人であったお父さんは、オランダの自宅に隠れ部屋を作り、第二次世界大戦の最中にユダヤ人をかくまいます。しかし、そのために彼は逮捕され、強制収容所に、そして娘二人、コーリーもベッツイーも収容所に送られて、お父さんと妹はそこで亡くなります。コーリーは戦争が終わって、本を書きました。それが「わたしの隠れ家」ですが、その中に、こういう話があります。

  よく人々は、「神さまってすばらしい」「祈りに答えて、教会のピクニックの日を晴れにしてくださった」「まあ、なんて良い天気なんでしょう」と言います。
   もちろん、神さまがすばらしい天気をくだされば、神さまは良き御方です。しかし、神さまは、私の妹ベッツイーが私の目の前で餓死することをよしとされた時も、良き御方でした。
   ある時のことです。私はすべてに失望して、心の中も深く絶望していました。その時ベッツイーに言いました。
「神さまは私たちのことなど忘れておられるのよ」
 すると、彼女はこう言いました。
「違うわよ、コーリー、聖書のみことばを思い出してごらん。天が地上はるかに高いように、御恵みは主を恐れる者の上に大きい(詩篇103・11)」

  コーリーは、そのことを思い出して記しました。
神の愛は海のごとくに大きい。それはすべての人のためにいつも十分にある。どうか、私たちがいかなる状況にあって苦しめられていたとしても、神の勝利ある愛を疑うことがありませんように。

  強制収容所にあって、苦しんでいた者たちを、天の神は、海のような愛をもって分かってくださるのか?そんな離れたところで、見て、聞いて、知っていると言われるけれど、本当に自分のことのように分かってくださるのか?
 分かってくださる。なぜなら、神は人となって、この世界に、この私の世界に、降りて来てくださったから。キリストこそ、神が罪と死の奴隷になっている私たちの苦しみを見、叫びを聞き、痛みを知り、それを御自身のこととして知るために、(天から下って来てくださった。)
・暗い馬小屋で生まれ、朽ちた飼葉桶に寝かせられ、
・罪人と共に洗礼を受け、虐げられている人々と共に食し、
・病の人に触れ、自分は不遇だ、敗北者だ、孤独だと感じている人々へ恵みの手を伸ばされ、
・十字架にかかって、私たちの罪の裁きを代わりに担われ、私たちの罪を赦す道を備えてくださった。

  主イエス・キリストは、私たちの痛み・悲しみを知っていてくださる。

4)ですから、4番目の動詞は、8節「わたしが下って来たのは」となっているのです。
   下って来られたのは、私たちを見、叫びを聞き、痛みを知り、それをご自身の内側に取り込むためです。同時に、「エジプトの手から救い出し」と8節にあるのは、主イエス・キリストは私たちを、その罪の裁きから死の奴隷の縄目から解放してくださるために、下って来られたことを言っています。

5)5番目の動詞「救い」、そして6番目の動詞「連れ上らせる」は、決定的に重要です。
 神はご自身が降りて来て、救い出してくださる、その奴隷の中から、困難から、悲しみから、悔しさから、迷いから、不安から救い出してくださる。これから、モーセの生涯を学んでいく時に、この神の救いのみわざをじっくりと取り組んで学んでいきたいと思います。 

   しかし、今日はここで、聖餐式を前にして注目したいのは、5番目の「救い出す」と6番目の「上らせる」が、一体になっていることです。つまり、神の救いは、イスラエルの人々を奴隷のエジプトから救い出す、というだけではなかったのです。それは、新約のキリストの救いについても示されており、罪と死の縄目から私たちを救い出すということだけではないのです。

  それと一体となってもう一つ続いていきます。それが、「約束の地に連れ上る」ことです。「上らせる」ためです。モーセの生涯を見ていく時、彼はファラオと戦い、エジプトからの解放にさんざんに苦労しました。しかし、それ以上にモーセが苦労したのは、民を約束の地カナンに連れ上るための荒野の四〇年でした。民を伴い、導き、守り、養うというすべて必要に、モーセは責任を持って関わり、それがゆえに大変な苦労を、モーセは背負っていました。

   そう考えると、私たちが罪と死の縄目から解放されるというのは一つのことです。しかし、それとはもう一つ別に大切なことは、私たちが神の民とされて、イエス・キリストに荷われ、イエス・キリストに導かれて、天の御国へ連れ上らせられていくという、このクリスチャン生涯がいかに尊いか、こちらの方がもしかしたら、どれほど大変かということも、私たちは理解する必要があります。

   神さまご自身が、腕まくりして、「よし、わたしが」とでもおっしゃるかのように、下って来られた、それが出エジプトの出来事であり、またイエス・キリストの出来事です。まさに私たちがいるこの場所へと、天から下って来られた。それは一つの出来事です。
   でもその救いを受け入れ、イエス・キリストについて行く、イエス・キリストを私たちの羊飼いとして、この方について天へと上って行くという、このプロセスがどれほど重要であるか、そしてそのプロセスの中心にあるのは、聖さんです。

  この話は昔したことがありますので、覚えておられる方も多いと思います。
  ジョン・エベリンガムというオーストラリアのジャーナリストが、十九七〇年代にラオスで活動していました。一九七七年、共産主義政権により、彼は国外退去を命じられました。
   しかし、婚約者のケオ・シリソムホーンとともにラオスを出国することは許されません。彼は、共産軍に占拠された国に婚約者を残して、一旦国外へ出ます。そこから彼はいろいろな計画を練って、翌年、彼はラオスに残されたケオの救出を決行します。

 ラオスとタイの国境を流れる黄土色のメコン川を、タイの側から泳ぎます。メッセージを伝えて、向こう岸で彼女が待っているようにして、決行の当日、彼はボンベを付けて、タンクを背負って、足ひれを付けて、彼女の分も水中マスクを持って行く訳です。水面下の視界はゼロ。
   しかも、水流を誤算した彼は、ケオとの約束場所より数百メートル下流に泳ぎ着いたため、落ち合うことができず、彼はタイの側に潜水で戻り、再度挑戦。その頃には随分時間が過ぎて、もうあたりは真っ暗。
   遂に、ラオスの真っ暗な川岸に身を潜めて待っていた恋人と再会します。ところが、ケオは泳げないことが分かりました。ジョンは救命ジャケットに少しの空気を入れて彼女に着せ、ボンベのマウス・ピースを与え、ケオを背負ってメコン川を泳ぎます。
   雨期の速い流れに押されながらも、ケオは一生懸命しがみつき、二人はタイの川岸にたどり着きました。

  イエス・キリストが私たちの罪を赦し、私たちを神の子とするために天から降りて来られる。そしてその十字架の恵みを受けた私たちは、その罪を赦されて神の子どもとされ、言わば生まれ変わった。それで私たちは、自分の力で、天の御国へ辿りつくことができるのか?イエスはおっしゃった。「わたしを離れてはあなたがたは何一つできません」(ヨハネ15・5)と。だから天国に昇られる前に繰り返し繰り返し、弟子たちにおっしゃったことは、「わたしを離れてはいけない。わたしとともに歩きなさい。わたしに留まりなさい。」(ヨハネ15・4)
                  
 やがて神の国へと到達するときまで、私たちは救い主イエスを離してはいけない。そして、イエスは泳げない私たちを背負うように、この地上のさまざまなメコン川の濁流の中を、私たちを背負って泳いでくださる。すると、ポイントは一つしかない。私たちは泳げない、私たちは自分の力で天国に上ることはできないのですから、この方を離してはいけない。この方にしがみついて、私たちは天へと連れ上らせられる。

  地上生涯というものは、私たちが考えておかねばならないことは、イエスがおっしゃったように、きっと患難が多いということ。「この世にあっては患難が多いのです。しかし勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです」(ヨハネ16・33)と言われるわたし(イエス・キリスト)にすがらずして、どうしてこの世を渡り切ることができようか?それは不可能です。

  ですから聖餐の恵みにあずかる時に、これから式文を読みますけれども、この聖さんによって、私たちはキリストのうちに飲まれ、同時に、ともに食する愛する兄弟姉妹とも一つにされるのです。ということは、私たちは一つになってイエス・キリストに留まり、そして天の御国へと上って行くことを考えなければいけないのです。

☆祈り
主は仰せられた。「わたしは、エジプトにいるわたしの民の悩みを確かに見、追い使う者の前の彼らの叫びを聞いた。わたしは彼らの痛みを知っている。わたしが下って来たのは、彼らをエジプトの手から救い出し、その地から、広い良い地へと彼らを上らせるためだ。」(出エジプト3・7〜8)

 恵み深い天の父なる神さま、誰にも言わない悩みもあれば、誰も聞いてくれない叫びもあり、孤独に胸を痛める痛みもあります。あなたは主イエス・キリストを通して、この世界に下って来られ、私たちの悩みを確かに見、叫びを確かに聞き、その痛みを知っているというあなたの愛に心から感謝します。あなたは私たちを救い出すために、ご自身をお捨てになりました。
  でもそれで終わった訳ではなく、私たちを連れ上らせるために、この高津教会の群れを率いて、あなたは今日も、羊飼いとして私たちの人生の先頭を行ってくださることを心から感謝致します。
  これからあずかります聖餐の礼典により、どうかあなたに留まっている自分を意識することができるように。そしてどうか私たちの心のうちに、「主よ、私のうちにお留まりください。私の家庭に、留まっていてください」と祈ることができますように、導いてください。主イエス・キリストの御名によってお祈り致します。アーメン。

☆聖餐式
  (インマヌエル)讃美歌の580番(「イエスよ十字架に」)1節と2節を賛美し、2節に入りましたら、配餐して頂く役員の方は……

掲示物をメールで送信。 プリントプレビュー
DATE: 2011.10.04 - 14:06

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菅原登志子 簡単意見修正::: 一言削除 ::: IP: 219.44.18.25
藤本先生。
説教拝読いたします。感謝h
2012.09.26 - 18:44 
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