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::: 高津教会 説 教 :::


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Name   T・Y
Subject   8/12 神の人モーセ(26)十戒(6)殺してはならない
8/12 神の人モーセ(26)十戒(6)殺してはならない

☆お知らせ

●先週、中高生の全国大会、「とにキャン」がありまして、今年は同盟キリスト教団の松原湖キャンプ場で開催されました。3年連続で伊藤大輔くんがスタッフで出席してくださいました。ご苦労様でした。

●明日、13日(月)から16日(木)までは、大学生以上の「インマヌエル第3回全国Youth Station』が東京スポーツ文化館で開かれ、高津から多くの青年たちが出席します。主が祝福してくださいますように。

●イギリスのM姉から葉書が来ています。後ろの掲示板をご覧ください。

●週報の間に「天の窓」を挟んでいます。このところ田中兄がずっと編集してくださっていますが、今回は黒川愛恵(よしえ)姉、加藤ヨシ子姉の証し、また渡辺幸ちゃんの紹介が掲載されています。とっても味わい深い証しで、私はじっくり読んでしまいました。田中兄が本を紹介してくださっているのですが、いつも興味深い本なので(笑)私は毎回買っているのです。最近急に本を買うようになってしまって(笑)、「天の窓」に紹介されるたびに買うのですが、なかなか……。いつも新書版のサイズの本しか紹介されないので、お安く購入できますので是非お読みください。

●木村兄は仙台に帰省されていますが、その代わりにお嬢さんがこちらに来た、お父さんにしてみれば何のために帰省したかですが(笑)、今盛岡にあります岩手大の一年生ですね。
木金土と、直樹が仙台に引っ越しましたので、私たちは夫婦で手伝ってまいりましたけれども、直樹が引っ越した先が木村さんと同じ町なのです。この前下見に行った時に木村さんの奥さまとお会いしましたけれども、これからもよろしくお願いいたします。

☆始めのお祈り

わがたましいよ。なぜ、おまえはうなだれているのか。なぜ、私の前で思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。御顔の救いを。
(この日の交読詩篇42篇より5節・新改訳聖書第3版)

恵み深い天の父なる神さま、お盆休みの日曜日、このようにして礼拝に集うことができた恵みを心から感謝致します。詩篇の作者が「わがたましいよ。なぜおまえはうなだれているのか」――自分のたましいがどうしてこんなに疲れてしまったのか、時に失望しているのか、不安に囚われているのか、自分の身体が時に自分ではどうすることもできないように、自分のたましいもどうすることもできません。

そんな時、私たちはあなたの御前に座ります。「神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。御顔の救いを」とありますように、あなたの御前に座し、あなたを賛美し、あなたのみことばに耳を傾け、私たちはたましいに力を取り戻そうとしております。
暑い中、肉体も心もたましいも、弱ってしまった者がいましたならば、あなたが天からの恵みを注いでくださり、疲れを癒し、傷を癒し、希望を与えてください。

先週今週と、さまざまな移動が考えられますが、どこに行っても、往きと帰りとを守ってくださるあなたご自身が、私たちと、私たちの家族と、そして教会家族をお守りください。
今日はチン姉を中国からお迎えすることができました。息子さんを訪ねて来られたと伺いましたけれども、日本での滞在が、幸せで恵み豊かでありますようにあなたが導いてください。
新しく来られた方々、また山本姉の上にも届いてください。久しぶりにM家のお一人おひとりと再会しておられますが、あらゆる病や事故からお守りください。

しばらくみことばに耳を傾けますが、私たちの心を開いて、あなたが語ってください。イエス・キリストの御名によってお祈り致します。アーメン。

☆聖書個所     出エジプト20:1〜13

1それから神はこれらのことばを、ことごとく告げて仰せられた。
 2「わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。
3あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。
4あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。
5それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神、わたしを憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、
6わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。
7あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。主は、御名をみだりに唱える者を、罰せずにはおかない。
8安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。
9六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。
10しかし七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。――あなたも、あなたの息子、娘、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、また、あなたの町囲みの中にいる在留異国人も――
11それは主が六日のうちに、天と地と海、またそれらの中にいるすべてのものを造り、七日目に休まれたからである。それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖なるものと宣言された。
12あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が与えようとしておられる地で、あなたの齢が長くなるためである。
13殺してはならない。

☆説教      十戒(6)殺してはならない

「神の人モーセ」と題して学んで来ておりますが、十戒に入ってからはモーセやイスラエルの民よりも、もう十戒そのものの教えを学ぶことに集中しています。

十戒というのは、エジプトを解放されて脱出した民が、荒野にさまよい、やがてシナイ山で神の民となった、これからの生き方を神さまから教えられています。
これはイスラエルの民の生き方だけではなく、人類の生き方として、道徳律法としては最も整えられたものとなりますでしょう。

今日はその(十戒の)6番目の13節「殺してはならない」、「汝、殺すなかれ」。

こんなに単純で、しかし、こんなに複雑な戒めはないでしょう。
もちろんこの戒めは、いのちの尊厳を教えていることは間違いありません。
聖書によりますと、詩篇の139篇(***13〜16節)には、一人ひとりのいのちは、神さまによって造られると教えられていますし、あの有名なヨハネの福音書3章16節に、

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16)

とありますように、神さまは、私たち一人ひとりを創造され、愛され、そのいのちを大切にしておられますので、いのちの尊厳を害するようなできごとは神さまのみこころに反していることは言うまでもないことです。

いのちの尊厳は、とても単純に理解できます。しかし、その尊厳を害するような問題は、とても複雑です。この戒めの中に、戦争も入りますでしょうし、あるいは死刑の制度も入るかもしれません。体外受精の問題や、臓器移植、複雑な倫理問題を抱える医療、沢山の現代的な問題がこの戒めに繋がっています。

いったい、十戒の「汝、殺すなかれ」の一文がどれほどの範囲のことを規定しているのか? 単純に、殺人を犯すという、特定の犯罪に限定するのは、この壮大な戒めにふさわしいとは思いません。
しかし、同時に、今ここで大風呂敷を広げて、複雑な問題すべてを「殺すなかれ」で一刀両断することも、フェアではないと思います。

例えば出エジプト記では、20章の十戒の中で「汝、殺すなかれ」が出て来ますけれども、21章では殺人事件の事が記されていて、あの有名な、目には目を、歯には歯を、いのちにはいのちを、の戒めが出て来て死刑制度が定められています。

もちろん、旧約聖書の死刑の考え方が、そのまま新約聖書に出て来るイエス・キリストの「神の国の教え」に引き継がれているわけではありません。新約聖書に移りますと、強調されるのは、赦すことであり、平和を追い求めることです。
でも、少なくとも「殺すなかれ」という十戒の戒めから、死刑制度反対には直接には繋がらないのです。もし、死刑制度に反対するならば、他の聖書の個所から論じなければいけないと思います。

戦争については、旧約聖書は、たとえば敵を全滅させることを教えます。
新約聖書では、逆に、剣を取る者は剣で滅ぼされる、とイエスさまは教えられました。それでも、私たちは自分の愛する者たちを、人の剣から守る責任というのを私たちは誰でも持っています。
たとえ私たちが犯罪者の手の中に陥った時でも、赦しをもって自分のいのちを差し出す殉教的な行為、それができるクリスチャンであったとしても、犯罪者の手から家族を守らずに犠牲にしてよいはずはない。自分のいのちは犯罪者の手に喜んで渡したとしても、家族のいのちを喜んで差し出すというのは、おおよそクリスチャンの教えとは違うものでありましょう。

そう考えますと、自己防衛のための戦争という概念が生まれて来ます。これがまたとってもやっかいな概念で、自己防衛が過剰防衛になり、自己防衛が復讐になり、自己防衛という名のもとに侵略戦争が始まって行くのです。ですから自己防衛の戦争ほど厄介な問題はない。

「汝、殺すなかれ」の中に、いったいどれほどのことが入っているのだろうか?

昨日私はシリアの戦争の特集をちょっと観ていました。
シリアの内戦問題は今年になって激化していますが、反政府軍は元政府軍の願いであった武器のやり取りが双方であったり、外国からの協力を得たり、男の人たちは集まって、本当に時に運動会でもするような楽しさと勢いをもって、政府をどういう風にして倒すかということに、嬉々としているというか、ある意味喜びのようでもあった。それがニュースの前半部分でした。

でもニュースの後半部分は、実際に犠牲者が出ている。すると、人々の顔に笑顔が無くなります。そしてニュースの後半は延々と悲惨な状況に涙している、その反政府軍の人々の姿でありました。

しなくてはならない、覆さなければならない政府の問題なのかもしれない。必要な戦いと言えばそうなのかもしれない。でも人のいのちが失われている時に、あれほどの涙が流されるのかと思いますと、「汝、殺すなかれ」という戒めの奥深さというものは、恐らく計り知れないものがあるに違いない。

今日は、そこまで話をし始めますと、ますます複雑になってしまいます。私は自分自身が死刑賛成なのか反対なのか、実は私は結論を持っていません。そういう牧師も珍しいと思います。私が不勉強だからなのかもしれません。けれども、勉強しますと余計複雑に考えてしまいます。

そして、果たして死刑制度というのは、存続すべきなのかどうか、もちろん日本のように、死刑が執行されてからようやく家族に知らされる、あるいは死刑制度が公にされていないとか、ハンコ一つで24時間以内に死刑になってしまうとか、あるいは死刑と決まっていながら10年も20年も放置されるとか、そのわけのわからない制度には問題があると思います。

しかし、殺意をもって意図的に、2人も3人も殺した人物が刑務所の中で楽しく(笑)――楽しくではないかもしれませんが、アメリカなどは結構楽しそうですね。TVを見ることもできますし、通信教育で大学の学位を取ることもできます。果たして、そういう問題はどうなるのか、考えれば考えるほど、問題意識を持ってしまう。

そうした中で、今日はあらためて十戒の「殺すなかれ」そのものを一緒に、考えてみたいと思います――いのちの尊厳全体ではなくして、「殺すなかれ」そのものを見て行きたい。
直接的には、やはり戦争のことではないです。犯罪者に対する死刑のことを論じているわけでもないです。

(出エジプト記)21章の13節をちょっと見ていただきますが、12節から読みますと、

21:12人を打って死なせた者は、必ず殺されなければならない。

これは意図的な犯罪。しかし13節に、

21:13ただし、彼に殺意がなく、神が御手によって事を起こされた場合、わたしはあなたに彼ののがれる場所を指定しよう。

というのは、「過失をもって人を殺めてしまった。その意図はなかった。でも復讐の手が追いかけて来る」という時には、その人物が逃れるような場所を用意しなさい、という戒めがあります。

ですから、「汝、殺すなかれ」ということばで、死刑制度反対とかそういうことではない。
やっぱり、ここで語られている「殺す」ということは、憎しみをもって意図的に人を殺すことです。

こんな話があります。
家で、いつもケンカばかりしている兄弟が、教会学校の同じクラスで十戒を学んでいました。教会学校の先生が尋ねます。
「十戒の五番目は、お父さんとお母さんを敬いなさい、と書いてあるでしょう。じゃあ、兄弟については、どうするの?」
すると、弟が言いました。
「先生、それが六番目の、殺してはならない、だよ。先生、兄ちゃんいっつもぼくに『ぶっ殺すぞ』(大笑)って脅すんだよ」。
先生は、びっくりしてしまいました。

でも、この弟の発言は間違っていない。それは、人類最初の殺人事件は、兄が弟を殺すというカインとアベルの事件だからです。今日は、そこを一緒にちょっと見ていただきたい。創世記の4章です。これがある意味で、あらゆる殺人事件の原点になっているのです。私の方で、ちょっと4章の1節から読んで行きます。(***新改訳聖書第3版)

1人は(***というのはアダムですね)、その妻エバを知った。彼女はみごもってカインを産み、「私は、主によってひとりの男子を得た」と言った。
2彼女は、それからまた、弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。
3ある時期になって、カインは、地の作物から主へのささげ物を持って来たが、
4アベルもまた彼の羊の初子の中から、それも最上のものを、持って来た。主は、アベルとそのささげ物とに目を留められた。
5だが、カインとそのささげ物には目を留められなかった。それで、(***兄さんの)カインはひどく怒り、顔を伏せた。
6そこで、主は、カインに仰せられた。「なぜ、あなたは憤っているのか。なぜ、顔を伏せているのか。
7あなたが正しく行ったのであれば、受け入れられる。ただし、あなたが正しく行っていないのなら、罪は戸口で待ち伏せして、あなたを恋い慕っている。だが、あなたは、それを治めるべきである。」
8しかし、カインは弟アベルに話しかけた。「野に行こうではないか。」そして、ふたりが野にいたとき、カインは弟アベルに襲いかかり、彼を殺した。

物語は普通に、兄カインが畑を耕す者となり、弟アベルは羊を飼う者となったと、普通に展開していきます。そしてある時期になって、その収穫を携えて、二人とも神さまを礼拝するためにやって来た。

ところが、4節の最後にありますように、神さまは弟アベルの捧げ物には目を留められましたが、(5節の最初)兄カインの捧げ物には目を留められなかった。
 
カインは、憤りを覚えていました。むしゃくしゃします。もちろんカインの捧げものが受け入れられなかったのは、それなりの理由がありました。だから、神さまは「あなたが正しく行ったのであれば、受け入れられる」というのは、あなたは正しく行っていないということです。正しく行い直せばいいのです。ところがカインは顔を伏せて、憤りのかたまりとなって、弟アベルを殺します。

状況はものすごく単純です。二人の捧げもので、弟のものが受け入れられたのに、自分のものは受け入れられなかった。
二人でテストを受けて、片っ方が受かったのに、自分が落ちた。人生ではとってもよくある局面です。
この局面が一つのきっかけとなる。誰かが受け入れられると誰かが受け入れられないというのは、単なる現実であり、事実です。そこら辺に転がっている事実です。
受け入れてもらえないのなら、その原因を考えて、改善して、自分も受け入れてもらえるよう努力すればいいものを……。 

神さまは、カインの心をご覧になりました。それは7節に書いてある。7節の2行目の下から、「罪は戸口で待ち伏せして、あなたを恋い慕っている。だが、あなたは、それを治めるべきである。」というのは、神さまがご覧になったのは、カインの心です。

カインが殺人を犯す――それはとっても大きな問題ですが――神さまは、それ以前にカインの心をご覧になりました。カインはやがて弟を「野原に行こう」と誘い出して、弟を殺します。

さて、ここから3つの点で、簡単に学んで行きたいと思います。

1)「汝、殺すなかれ」という戒めの背後に、人の心の中にある究極のエゴイズムに対する警告が記されています。

弟アベルは兄カインに対して何も悪いことはしていません。しかし、(兄カインは)単純に自分の捧げ物が受け入れられなかったという現実を前にして、その憤りを弟に矛先を向けて、アベルの存在を否定します。
      
野原に行って殺す前に、カインの心の中にいじけた、不愉快な、憤りに満ちた心があります。神さまはそれをご覧になっている。それを考えますとね、「汝、殺すなかれ」というのは、単なる行動の問題ではない。それは私たちの心の中にある、人に対する憤りの思いだということがよくわかります。

新約聖書で、マタイの福音書でイエスさまは「十戒では『人を殺してはならない』と書いてあるが、わたしはあなたがたに言います。兄弟に向かって『脳なし』と言ってはいけない」(と言われました)。(***マタイ5:21〜22)

「能なし」とは、当時のアラム語で「ラカ」という言葉です。とっても一般的なことばで、ラカ、馬鹿ですね。軽蔑を込めた、相手の存在を否定するような言葉です。馬鹿っていうことばは問題ですが、おバカというとそんな問題ではないですね(大笑)。でもこれは真剣に言いますとね、相手の存在を否定するようなことばです。

イエスさまは、確かにモーセの十戒を越えて、私たちが殺人という行動に到らなかったとしても、その前段階にある相手の存在を否定するような、相手の価値を認めない自己中心な思いが、私たちの内側にあるとおっしゃった。それはカインとアベルの時代から、私たちにはそういう思いがあると、神さまはそういう思いを見ておられると(わたしは問題にするとおっしゃいました)。

C.S.ルイスは、「人は、どんなときでも、どんな状況でも、輪の内側にいたいと願っている。小さい子どもから高齢者に至るまで、人は輪の内側にいたい、輪の外に独りはじき出されることを恐れている」と記しています。

イエスさまの時代の「ラカ」という言葉は、「おまえは、仲間ではない、おまえは出ていけ。おまえは、内側にいる資格がない。おまえはいてもいなくてもいい」と、その存在を否定する言葉です。
大津のいじめの問題があり、またいじめの問題が噴出して来ますけれども、考えてみたらわかりますよね。
自殺の練習を強いられたり、背中を蹴られたり、金を持って来いと脅されたり、加害者の少年たちは、まぁ弁護士から言われたのかもしれませんけれども、「遊びのつもりだった」と言う訳でしょう。うそぶいて責任のがれをしますが、大津の市長は「遊びというその範囲ではないでしょう」と言います。イエスさまはおっしゃっています。
「いやいや、それは遊びのつもりではない。それは、明らかにその人を殺したのに等しい」と。

そして、私たちは、いつでもまた、自分の中に、ラカと言って、馬鹿と言って、周囲の人たちを石ころのように扱う醜さがあることを見い出すのです。
「人を殺してはならない」という戒めは、やっぱり私のためにある。
自分は、言葉によって態度によって、人を殺したことはないだろうか、と問われると、きっと誰しも思い当たることが沢山あるに違いない。

2)次に描かれているのは、身勝手な私たちの孤独です。

(創世記4章の)9節から見てください。

9主はカインに、「あなたの弟アベルは、どこにいるのか」と問われた。カインは答えた。「知りません。私は、自分の弟の番人なのでしょうか。」
10そこで、仰せられた。「あなたは、いったいなんということをしたのか。聞け。あなたの弟の血が、その土地からわたしに叫んでいる。
11今や、あなたはその土地にのろわれている。その土地は口を開いてあなたの手から、あなたの弟の血を受けた。
12それで、あなたがその土地を耕しても、土地はもはや、あなたのためにその力を生じない。あなたは地上をさまよい歩くさすらい人となるのだ。」

何とも言えない孤独です。
9節の、「あなたの弟はどこにいるのか」と問われたのに対して、カインは「知りません。私は弟の番人ではない」という言葉から始まって、最終的に神さまは、カインに「あなたはとっても寂しい人だね。孤独な人だね。地上をさまよい歩くさすらい人だね」と(言われる)。

(神さまは、いつもこのことを私たちに問いかけておられます――あなたは、一人で生きているのではない。あなたの弟は、妹は、家族は、友人は、隣人はどこにいるのかと。)
しかし、私たちは最終的に自分と他人との関わりを断ち切りますね。自分の罪によって。

ある大学生が映画館の案内役のアルバイトの応募を見て、面接に来ました。
マネージャーが尋ねます。
「もし映画館が火事になったら、どうする?」
「あっ、ぼくなら大丈夫です。身軽ですし、足は速いですから」(大笑)

いやいや、きみのことじゃないよ――私たちはみんなどこかで、そんな感じなのですね。
人の痛みよりは、自分の痛み・苦しみにいつも目が行ってしまう。
カインはもう、アベルのことなど、どうでもいいのです。それよりも、自分の捧げ物が受け入れられなかったことが気になります。
そもそも、自分は弟の番人ではないし、弟のことなんか、どうでもいい。そこまで、他人事には関わらない。

つまり、殺してはならない――確かにそうなのです! しかしすでに周囲の出来事も苦しみも他人事として見ている私は、周囲の人々を否定しているのと同じです。
神さまはそんなカインにおっしゃたのは、――「あなたは地上をさまよい歩くさすらい人となる。」(12節の最後)

とっても寂しいね。孤独だね。そうして自分の身勝手さを周囲にまき散らして、周囲を傷つけて、自分のわがままを通すために自分の殻に閉じこもって、さすらい人となって行く。地上をさまよい歩くさすらい人だよ――神さまはカインに、そして私たちにそうおっしゃっているのです。

殺してはならないということばを、神さまがモーセとイスラエルの民に授けた時に、わたしはあなたの心の内側にある、不愉快な思い、人の存在を否定するようなエゴイズム、そうした思いを見ているよというのが、第一番目のポイント。

第二番目のポイントは、もしその思いを実行に移す、その思いに凝り固まって、自分を省みない時に、あなたは地上をさまよい歩くさすらい人になるよ。私たちは自分の世界で活躍しているかもしれません。しかし自分の世界で活躍しているだけの話で、人を助けるということをほとんど考えもしない、自分というものを「汝、殺すなかれ」という戒めの中で、もう一回振り返ってみる。

3)カインは、自分を最悪の状況におとしめながらも、神さまから一つのしるしを与えられます。

(創世記4章)13節から16節までを交替に読んで行きたいと思います。

13カインは主に申し上げた。「私の咎は、大きすぎて、にないきれません。
14ああ、あなたはきょう私をこの土地から追い出されたので、私はあなたの御顔から隠れ、地上をさまよい歩くさすらい人とならなければなりません。それで、私に出会う者はだれでも、私を殺すでしょう。」
15主は彼に仰せられた。「それだから、だれでもカインを殺す者は、七倍の復讐を受ける。」そこで主は、彼に出会う者が、だれも彼を殺すことのないように、カインに一つのしるしを下さった。
16それで、カインは、主の前から去って、エデンの東、ノデの地に住みついた。

13節を見てください。「カインは主に申し上げた。『私の咎は、大きすぎて、にないきれません。」これが私たちです。ことばにより、思いにより、人の存在を否定するような、そんな私たちの咎は大きすぎてにないきれない。その咎が私たちに災いをもたらすことのないように、神さまはカインに一つのしるしを下さいました。

彼はそのしるしをいただいて、16節、エデンの東に住みます。
そのエデンの東は、私たちが住んでいるこの世界です。ジョン・スタインベックの「エデンの東」という小説、そして映画は問題多き世界。それは、罪がいつも戸口で待ち伏せをしているような世界。さすらい人がうろうろしている世界。自分もさすらい人なのです。

そして自分の大きすぎる咎をにないきれないほど、大きな問題を抱えている私たちが、生き延びることができるように、神さまは私たちに与えてくださったしるしとは何なのか、これは聖書に書いてないです。

神さまがくださったしるしとは、何なのでしょうか?どんなに調べても、「そこで主は、彼に出会う者が、だれも彼を殺すことのないようにカインに一つのしるしをくださった」――このしるしがどんなしるしだったのかは書いてない。

メソジストの牧師で、この世界では珍しく、カインという名前の人物がいます。英語ではケイン。コロンビア大学で博士号を取り、プリンストン大学やハワード大学で教鞭を執った黒人の学者なのですね。もう70歳ぐらいでしょうから、若い頃はほんとに苦労したかなと思います。彼はいつも同じ証しをするのです。

彼が生まれたときに、お母さんはシングルマザー、お父さんはわかりませんでした。
母一人によって、とても貧しく、また暴力にあふれた環境に育つのです。
しかし、なんと母親は彼に、カイン(ケイン)・ホープ・フェルダー(Cain Hope Felder)と、ミドルネームとして、ホープ(希望)という名前にするのです。

劣悪な環境に育ちながらも、やがて神学校で新約学を教えるようになる彼には、いつも証しがありました。彼は自分の証しをするときには、いつもそういう導入の仕方をしました。自分はまさにカインと言った名前だという時に、私はまさにそういう環境で育ちましたと。お母さんは自分にホープというミドルネームを与えたということは、そういう環境の中にいる私にも、神の恵みがしるしとして付けられているのだということ、これが彼の証しでありました。

私たちは、自分がどんな環境に育とうと、どんなに罪深い世界に生まれ出たとしても、自分にはイエスさまがついているというのが、私たちに与えられたしるしです。それが限りない希望を生み出す。それが私だというのが、そのケイン・ホープ・フェルダ―の証しであり、私たちの祈りなのです。

エデンの東で、「汝、殺すなかれ」といういのちの尊厳を守ろうとするこの戒めほど、難しいものはないのです。あまりにも複雑で、どうしたらいいかわからない。でもその世界に住む私たちには、イエス・キリストがこの世におられるという、そのしるしが与えられている限り、必ず複雑な私たちの人生も希望に変えられている。

主よ、どうか私の心をお守りください。私の言葉と行いを守ってください。
エデンの東にあって、時に傷つけ、傷つけられ、拒絶し、拒絶され、苦しませ、苦しめられて、相手をのろい、憎む思いから私を守ってください。
そしてイエスさま、あなたが、ののしられても、ののしり返さず、悪に対して悪で報いず、あなたが生きられたように私も生きることができるように、というのが、私たちの祈りであり、イエス・キリストがともにおられるという事実こそが、エデンの東に生きている私たちにとっては希望です。

☆お祈り

恵み深い天の父なる神さま、今日も私たちとともにいてください。エデンの東で苦しみながらもがきながら、自分の蒔いた種かもしれませんが、今度は自分のいのちが狙われる人生。カインも多くの苦悩、苦痛、敵多き人生だったかもしれません。しかしあなたは、それでもカインを守られました。同じように、それでも私たちを守ってください。なぜなら、私たちの咎は大きくて荷いきれません。

イエスさま、どうか不用意なことばによって人を傷つけることがあり、また私は彼の番人ではないと言って、周囲の人々との関係を断ち切ってしまうような、小さい愚か者でありますけれども、この咎をあなたが荷ってくださいました。どうか私たちがエデンの東で生きることを許してください。そしてそこから、希望を生み出してください。イエス・キリストの御名によってお祈り致します。アーメン。

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