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::: 説  教 :::


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Name   T・Y
Subject   4/5 洗礼式・聖餐式・イースター:なぜ泣いているのか?ヨハネ20:11〜19
☆聖書箇所       ヨハネの福音書20:11〜19  

  11しかし、マリヤは外で墓のところにたたずんで泣いていた。そして、泣きながら、からだをかがめて墓の中をのぞき込んだ。
12すると、ふたりの御使いが、イエスのからだが置かれていた場所に、ひとりは頭のところに、ひとりは足のところに、白い衣をまとってすわっているのが見えた。
13彼らは彼女に言った。「なぜ泣いているのですか。」彼女は言った。「だれかが私の主を取って行きました。どこに置いたのか、私にはわからないのです。」
14彼女はこう言ってから、うしろを振り向いた。すると、イエスが立っておられるのを見た。しかし、彼女にはイエスであることがわからなかった。
15イエスは彼女に言われた。「なぜ泣いているのですか。だれを捜しているのですか。」彼女は、それを園の管理人だと思って言った。「あなたが、あの方を運んだのでしたら、どこに置いたのか言ってください。そうすれば私が引き取ります。」
16イエスは彼女に言われた。「マリヤ。」彼女は振り向いて、へブル語で、「ラボニ(すなわち、先生)」とイエスに言った。
17イエスは彼女に言われた。「わたしにすがりついていてはいけません。わたしはまだ父のもとに上っていないからです。わたしの兄弟たちのところに行って、彼らに『わたしは、わたしの父またあなたがたの父、わたしの神またあなたがたの神のもとに上る』と告げなさい。」
18マグダラのマリヤは、行って、「私は主にお目にかかりました」と言い、また、主が彼女にこれらのことを話されたと弟子たちに告げた。
  19その日、すなわち週の初めの日の夕方のことであった。弟子たちがいた所では、ユダヤ人を恐れて戸がしめてあったが、イエスが来られ、彼らの中に立って言われた。「平安があなたがたにあるように。」

☆説教     なぜ泣いているのか?

今朝はヨハネの福音書の20章を開いていただきました。1節をもう一回読みます。ちょっとご一緒に20章の1節を読んでみたいと思います。

1さて、週の初めの日に、マグダラのマリヤは、朝まだ暗いうちに墓に来た。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。

1)復活の出来事がここから記されるわけですけれども、復活の出来事の舞台はお墓です。
そして時は、明け方の暗〜い時間ですね。
それがキリストの復活の舞台であり、それがここに登場するマグダラのマリヤの心そのものであった、ということをまず覚えていただきたいと思います。

マリヤは3日間絶望に耐えて来ました。
木曜日の夜、恐ろしく絶望的な憂鬱な苦痛な時間を過ごしました。
イエスが捕えられた夜でした。彼らは兵士に取り囲まれます。
その夜に、燃える松明の音、兵士たちの武器のガチャガチャという剣の音、イエスさまを裁判にかけるために大祭司の家に騒がしく人が出入りする音、そして金曜日の夜、「十字架につけろ」という群衆の怒号に耳を塞ぎながら、マグダラのマリヤはゴルゴタの丘の端から、イエスの十字架を見ていました。
茨で冠が頭の上に押さえつけるように載せられ、背中に鞭打たれた、血に染まった愛する主イエス・キリストが十字架にかけられ、人々は罵声を浴びせて、それがゴルゴタの丘を飛び交う様子を見ていました。
日が変わり、土曜日になりますと、へブル人の安息の日になります。町は死んだように静かになります。
誰も声を発しようとしない。誰も慰めることはありませんでした。
弟子たちはみんな暗闇に閉じこもり、部屋に閉じこもり、そして扉には鍵を掛けてしまいます。
ず〜っと真っ暗な中を歩んできた弟子たち、そしてマグダラのマリヤ。

第二次世界大戦の後に出版されたゲオルギュ(***1916〜1992、ルーマニア人)という人物の「25時」という題の小説があります。
24時の次に来るのは1時でもない2時でもない。3時でも4時でもない。この世界は夜明けには向かっていない。24時の後に来るのは25時であり、26時でありという、失意の哲学を表した小説です。

暗闇はますます深まるばかりでありました。それをマグダラのマリヤは歩いて来ました。泣きながら歩いて来ました。そして泣きながら、墓の前にたたずむマリヤ。
この墓、暗やみ、泣きながらそこにたたずむマリヤ、というのが私たちの姿で、復活の出来事というのは、まさにこういう墓で始まって行きます。

皆さんの中には毎週、あるいは毎月、年に一回、教会墓地をご覧になっている方もおられるでしょう。納骨をする時に、皆さん驚きます。
高津教会の墓地は高津(川崎市)高津区の市営墓地でありますので、一つの区画しか与えられていません。名義は私(藤本満牧師)の名義で、使用が(高津)教会になっています。もうすでに40を超える骨壺がそこに納められています。
行きますと、小さな一区画の墓石に大きな「復活」という大きな二文字が刻まれています。
そして骨壺をどこかに納めるのですが、そこはマンホール式になっていまして、下の砂利をみんな除けて、マンホールのふたを開けて階段を下りていきますと、3段の空間があります。
そこに入って行って、ご遺族の一人に骨壺を渡してもらって、私がそこに納めるという(わけです)。

墓の中に、皆さん、入ったことあります(笑)?
深呼吸をするということはちょっとしんどいですね。
狭〜い空間の中で、もぁ〜とした湿気の中で、そして骨壺がその湿気を全部吸い取っている空間の中で、呼吸をするっていうのはなんかしんどいです。
私(藤本牧師)が入っている間に、もし誰かがマンホールのふたを(大笑)、その上に重石を載せたらもう出られないです。
もう出られないどころではない。泣いても叫んでも助けは来ないです。
復活の舞台が墓だというのはそういうことです。

なんとも言えない不毛の地に入りました。
しかも聖書を見ていただきますと、イエスさまの墓には封印がされています。封印がされている。
ごめんなさい。「墓石を持って来て封印をした」というのが書いてあるのはマタイの福音書(***27章66節)ですね。
でも(ヨハネ)19章の41節――

41イエスが十字架につけられた場所に園があって、そこには、まだだれも葬られたことのない新しい墓があった。
42その日がユダヤ人の備え日であったため、墓が近かったので、彼らはイエスをそこに納めた。

そして大きな横穴式の墓でありますから、石が転がされて、そして墓が封印されてしまいます。
墓を守るために、ローマの番兵も立てられました。
絶対に外から人は入ることはできない。絶対に内側からいのちが発せられることはない、その墓の前で、11節をちょっと見てください。20章の11節――

11しかし、マリヤは外で墓のところにたたずんで泣いていた。そして、泣きながら、からだをかがめて墓の中をのぞき込んだ。

とあります。
▼泣きながら、墓の中に入って行った。全くの無力です。それが十字架の出来事の場面であるということを、先ず第一番に心に留めていただき、2番目に――

2)そこに御使いが現れてマリヤに問います。(20 章)12節(読まれる)――

12すると、ふたりの御使いが、イエスのからだが置かれていた場所に、ひとりは頭のところに、ひとりは足のところに、白い衣をまとってすわっているのが見えた。
13彼らは彼女に言った。「なぜ泣いているのですか。」彼女は言った。「だれかが私の主を取って行きました。どこに置いたのか、私にはわからないのです。」
14彼女はこう言ってから、うしろを振り向いた。すると、イエスが立っておられるのを見た。しかし、彼女にはイエスであることがわからなかった。
15イエスは彼女に言われた。「なぜ泣いているのですか。」……

▼二回出て来ます。「なぜ泣いているのですか」と、泣く理由を問うているのではない。
泣く理由を問うているのではなく、「なぜ泣くのですか」というのは、「泣く必要がないよ」という意味です。

復活はイエスさまのご生涯で、最も重要な、歴史的な出来事でありました。
復活がなければ救い主は十字架の上で死んだだけです。
復活がなければ、イエスさまは昔の人です。偉大なとてつもなく愛に富んだ神の人に過ぎません。
復活があって、初めてキリスト教は成立していく。しかし、復活というのは、その過去の出来事だけを意味いたしません。
そこにはやがて将来、私たちが死からよみがえる、私たちの復活の初穂としてイエス・キリストは復活されました。

▼でもそれだけでもないです。この復活こそが、地上における神との出会いの一つの典型的なパターンです。
私たちは墓の前で、墓に希望を閉じ込められた私たちが、たたずんで泣いています。
それほど、恐れと不安と疑いと混乱と絶望という、その墓は私たちを包み込んでしまいます。
しかし、主はそこに現れて仰る――「泣かなくてよい。墓は空っぽだ。あなたを閉じ込めている墓には力がない」。
天使がマリヤに送ったサインは「墓は空っぽだよ。あなたは泣かなくてもいいんだよ」。
それが私たちが、キリストの復活から読み取って行く、人生のサインです。

空っぽの墓を見て、その力をマリヤが悟るように、私たちは聖日ごとにイースターを祝いながら、神の可能性が人間の可能性をはるかに超えていくのを、信じて礼拝をする。
『イースターは礼拝の中の礼拝だ』と呼ばれるのは、まさに人間の限界を超えていく神の力の象徴だからです。

コロンブスという有名な人物は、1506年にスペインのバリャドリッドでこの世を去ります。この町に、彼が新大陸を発見した記念碑が建てられています。
恐らく最もその記念碑の中で興味深いのは、何世紀もの間、スペインの王家の紋章に刻まれていた言葉の一部を、その記念碑のライオンの像が食べている。
その言葉は、「ネ、プルスプルトラ。(我らにその先はなし)」。
我らにその先は無しという、スペインの王家の紋章に刻まれていたその言葉の「ネ」という文字をライオンが食べている。
「ネ」というのは否定語の“Noノー”です。当時ジブラルタル海峡の先は無しと考えられていました。
スペインの王国が支配されているのは、ジブラルタル海峡の手前までです。
その限界をコロンブスが打ち破って、いや、実はその先がある。「ネ」を食べているライオン。さらに向こうに行こう、という可能性を象徴している像です。

▼キリストの復活というのは、私たちの人生の最大の限界である死を食べているライオンです。
「泣かなくてもよい」というのは、「さぁ、顔を上げて向こうへ行こう。先へ行こう」と言うイエス・キリストの挑戦です。
私たちを閉じ込めてしまう墓は沢山あります。そして一旦その墓の中に入ってしまいますと、私たちはもう何も見えなくなり、その絶望の中に取り込まれ、非常な疲れを覚えます。
息をすることすら苦しい。真っ暗な中なのですけれども、眠ることさえ辛い世界に、私たちはいとも簡単に閉じ込められています。
そして暗〜い世界の中でため息ばかりついている、そのため息を、天の使いが全部食べてしまいます――「なぜ泣いているんだ。泣く必要はない。さぁ、向こうに行こう」。
この可能性をもって、御使いはマグダラのマリヤに出会い、この可能性をもって、復活のイエス・キリストは私たち一人一人に出会ってくださる、ということを覚えておこうではありませんか。

(復活のイエスさまが現れてくださったのは)マリヤだけではありませんでした。
20章の16節にイエスさまはマリヤに声をかけます――

16イエスは彼女に言われた。「マリヤ。」

その瞬間、マリヤにはその墓の管理人だと思っていた人物が、イエス・キリストであることがわかるのです。

でも同じ20章の27節を見てください。こう書いてあります。

27それからトマスに言われた。「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」

今度はトマスに現れます。

21章の15節を見てください。

15彼らが食事を済ませた時、イエスはシモン・ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。」……

どの場面を取っても、イエスさまは一人の人物に声を掛けておられます。
今日はTくんにイエスさまは声を掛けられました。そして私たちにも声を掛けてくださいます。
イエスさまは何百人もの弟子たちの前に一度に現れた(***Tコリント15:6)という記録が聖書にはあります。
それはイエスさまを見たのは一人だけではなかった。その一人の妄想ではなかった。
同時に何百人に現れたという意味なんですけれども、しかし、よ〜く聖書を見ていくと、その同時に何百人に現れたイエスは、一人ひとりにも現れている。
その人がその人の墓の前でたたずんでいるときに、イエスさまはその人にその人の絶望を全部食いちぎるように、私たちの前に立って「なぜ泣いている。なぜうつむいている。うつむく必要がない。わたしはあなたを助ける」と、仰ってくださる。

3)問題があります。問題は、マリヤは一番最初、そこにおられる人物が墓の管理人だと思っていました。20章の15節をご覧ください。

15イエスは彼女に言われた。「なぜ泣いているのですか。だれを捜しているのですか。」彼女は、それを園の管理人だと思って言った。「あなたが、あの方を運んだのでしたら、どこに置いたのか言ってください。そうすれば私が引き取ります。」
16イエスは彼女に言われた。「マリヤ。」彼女は振り向いて、ヘブル語で、「ラボニ(すなわち、先生)」とイエスに言った。

▼初めてここで、復活の主が自分の真後ろに立っておられた、ということに気がつくということは、マリヤは初めは解らなかったということです。

きょう発行されました「天の窓」に、新しい方のいろんな紹介もありますので是非読んでいただきたいと思いますが、先々週ともにお祈りしました、I兄のロサンゼルス・マラソンを走った証しが書いてありますので、後でゆっくり全部読んでください。
私(藤本牧師)はその一部を読んで終わりにいたします。
これほど今日の話にふさわしい話もないだろうと思いまして、先ほどI兄のお許しをいただきました(笑)。

――I兄の証し、『メッセージ』の一部分――
3月15日、妻の住むカリフォルニアへと飛び、ロサンゼルスマラソンに参加した。初のフルマラソンだ。少しは練習したつもりだったが、10KM過ぎたあたりで、心配していたヒザの痛みが出てしまい走れなくなった。ちぇっ。それでもせめてゴールだけはしようと、トボトボ歩きはじめた。
沿道は驚くばかりの応援だ。みんな手書きのプラカードをもったり、叫んだり、拍手したりしてランナーを励ましている。しかし歩いてしまった挫折感から、俺は下を向いて歩いていた。
どのくらい歩いただろうか、ふと目を上げたとき、1枚のプラカードが目に飛び込んできた。「WE ARE HERE FOR YOU あなたのためにここにいる」。そう書いてあった。気づけば「あなたは私の希望の星だ」「私のヒーロー」そんなボードがあちこちに掲げられている。
そのとき不思議な感覚にとらわれ、そして感じた。これはメッセージじゃないのか?
この沿道からの声援は、みんな神様からの励ましなんだ。すべては俺のためのメッセージだったんだ。だがうつむいていては、そういったものも目に入ってこない。気づけない。「顔をあげて、前を向いて歩いていけ。私がここにいる」。
俺、今そう言われているんだ、神様に。

続きは読んでいただきたいと思います(大笑)。
そういうもんだろうなぁと思いますね。
▼イエスさまが私たちを励ましていてくださる応援のメッセージは、至る所に私たちを取り囲むように送られているのです。
でも私たちは、走るべきマラソンを歩いてしまった、しかも10キロ付近で歩いてしまったという自分自身に対する不甲斐なさ、絶望感から、下を向いてトボトボ歩き始めますとね、その(メッセージボードの)一枚も目に留まることがない。

▼マリヤは「マリヤ」と言われた時に、すぐにイエスさまだとわかった。
ですから「先生、ラボニ」と言って、イエスさまに振り向いています。
私たちは自分の人生の中で、何度イエスさまに自分の名前を呼ばれたことか。
しかし、あえてその声に耳を塞ぐように、自分のやりたいことに突進していく自分。
あるいはどんなに声を掛けられても、自分が歩いてしまったという絶望感だけに浸って、顔を上げない自分です。
そんな私たちでありますけれども、こうした人生の経験を通して、なるほど自分に対する神さまのメッセージは至るところに掲げられていると(わかります)。
「なぜ泣いている?泣く必要がない。わたしが、あなたの限界を打ち破る」と仰るイエス・キリストに心から信仰を寄せたいと願います。

☆お祈り

イエスは彼女に言われた。「マリヤ。」(ヨハネ20:16)

恵み深い天の父なる神さま、御子イエス・キリストを死者の中から復活させられたあなたの力を礼拝し、復活のイエス・キリストをこの真ん中に迎えて、私たちは今朝礼拝をいたしました。
あなたがマリヤに「なぜ泣いている」と声をかけてくださったように、「そんなに自分をいじめる必要はない。そんなに自分を追い詰める必要もない。あなたに与えた人生とその賜物をもっと楽しめ」と、私たちに声をかけてください。
「わたしはあなたに多くの力を与えた。自分の力が不十分だと思うな。いや、不十分なのは現実だけれども、わたしはその不十分な力を幾倍にもして栄光を現す」と、私たちに声をかけてください。
聞く耳を与えてください。聞く信仰を与えてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。


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