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::: 説  教 :::


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Name   T・Y
Subject   4/12 転入式、Tペテロの手紙(24)万物の終わりが近い Tペテロ4:7〜9
☆聖書箇所      Tペテロ4:7〜9

 7万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。
8何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。
9つぶやかないで、互いに親切にもてなし合いなさい。

☆説教     Tペテロの手紙(24)万物の終わりが近い

Tペテロの24回目、このみことばに心を留めていただきたいと思います。7節と8節。

 7万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。
8何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。

特別に7節に心を留めます。
「万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。」

万物の終わりが来たっていうのはすごい言葉です。これって、当時の人々だけがそう思っていたのでしょうか?
ペテロがこの手紙を書いた前後に、エルサレムがローマ帝国によって滅ぼされます。
そういう意識があったんだろうと思います。
あるいは時折教会の歴史の中で繰り返される「終わりが近い」「再臨が近い」、戦争や自然災害の大きな出来事の中で、「万物の終わりが近い」と意識することも多いでしょう。

でも実はイエス・キリストの福音は、この万物の終わりが近いというメッセージそのものです。
イエスさまは仰いました。
「神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(***マルコ1:15)と。
「万物の終わりは近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(***マルコ13章)と。
それ以来、私たちにとっての千年が、神さまにとっての一年、一日であるかのごとくに、時のタイミングは必ずしも人間には計り知れません。
しかし、キリスト教は一貫して説いて来ました――「万物の終わりは近づいた」。

勿論それは私たち人生の終わりかも知れません。
どんなに平穏無事であったとしても、どんなに健康であったとしても、私たちのいのちは明日のことさえ分からないのですから、万物の終わりはいつでもそこにあります。

ところが、私たちの心にいつも「正常化への偏見」と一般的に呼ばれているものがあります。
「正常化への偏見」――人間というのは、自分にとって都合の良い情報を大事にします。そして自分にとって都合の悪い情報を無視します。
同じ情報でも都合の悪いものは過小評価し、都合の良いことは過大評価します。
例えば一年で、6000人が交通事故で亡くなると聞いても、自分がその内の1人になるということは、あまり私たちは考えません。
ところが一億円の宝くじが6000人に1人当たると言えば、皆さん、みんな宝くじ売り場に行かれますでしょう?6000人に1人と言われれば。
もしかしたら自分に当たるかもしれないと思うのが人間です――これを「正常化への偏見」と言います。

これが災害の時に働いてしまうそうです。
頭の中では、災害に備えるべきだ、あるいは災害の時に避難するべきだ、ということが解っていても、実際に自分は腰を上げません。
そこには矛盾が生じて、それを解消するために、人は逃げていない自分を、自然に正当化しようとするそうです。
かつて大雨のときに、かつて津波が来ても、避難勧告が出されても、自分は一度も大きな被害に遭わなかった。だから今回も大丈夫だ。
あの大きな揺れの時にこの家は持ちこたえた。あの警報の時にも、結局何も起こらなかった。
関東の私たちで言いますと、あの東日本大震災の時に、震度5強のあの地震で、このボロ家は立ち抜いた。だったら次回も大丈夫だろうと――それを「正常化への偏見」と言います。

理由は何でもいいんです。
そしてもし地震が来たら、私たちはすぐに窓の外を見るに違いない。
隣も腰を上げていない(笑)。だったらとりあえず、隣が腰を上げるまで待ってみよう(笑)。
正常化への偏見がここで繋がってしまいます。
なぜなら、隣の方もわが家の動向を見ている(大笑)。
あそこの家も逃げていない――これを安心のネットワークというそうです――これで大丈夫だ。今回も大丈夫だ。

こうした状況で一番必要なのは、地域において率先避難者の存在だそうです。
逃げる気はあるけれども逃げられない人たちに向かって、「私は逃げる」という危機意識を大切にする人が近所に一人いれば、その地域は救われると言われています。

私は聖書のそこかしこで、この「終わりが近づいている」という声は、「正常化への偏見」にやられてしまっているこの世界にとって、あるいはキリスト教会にとって、私たちにとって、とっても大切であろうと思います。
あまり聞きたくないことばです――「万物の終わりが近づきました」(Tぺテロ4:7)と。
でもペテロがしっかりとした字で、あるいは声を大にしてこのことばを発している――これはとても大切です。

エルサレムは、紀元70年ごろに、ローマ帝国によって陥落しました。
イエスさまはあらかじめ、予告しておられました。
マタイの福音書の終わりの方(***24章)で

15それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす憎むべきもの』が、――これは当時のローマ帝国の権力者ですが――聖なる所に立つのを見たら――神殿を崩す。そしてマタイは注釈を加えます――(読者はよく読み取るように。)
16そのときは、ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。

(読者はよく読み取るように。)というのは、マタイによる強調ですね。

17イエスさまは仰いました。「屋上にいる者は家の中の物を持ち出そうと下に降りてはいけません
18畑にいる者は着物を取りに戻ってはいけません。

身一つで逃げなさい。危険を思って逃げなさい。というのがイエスさまのメッセージでした。そしてその通りに従った人々は、ローマの陥落の被害から逃げ延びました。

こうしたことを予想してか、あるいはその事実を受けてか、ペテロは言います――「万物の終わりが近づきました。」
しかしその迫り来る終わりを前にして、「逃げろ」とか「避難しろ」とは言っていません。
それどころか、「実はどこに逃げても意味はない。なぜなら万物の終わりが近づく」とペテロは言っています。
それは万物を創造された神が万物を終りに導かれる――それは信仰者にとっては救いの完成です。
そのときペテロは二つのことを教えます――その一つは「祈りのために、心を整え身を慎みなさい」(7節)。二番目は、8節に出て来ます「互いに熱心に愛し合いなさい」――この二つです。

万物の終わりが近づいた時に、この二つ。
@心を整え、身を慎み、そして祈りに集中しなさい。
Aそして何よりも、熱心に互いを愛し合いなさい。
今日はこの二つのことを簡単にお話します。

1)心を整え、身を慎み、そして祈りに集中しなさい。(7節)

ペテロが言ってるのは、「逃げるぞ〜」という警鐘ではない。
終わりが来るんです。ですから「身を慎む」という言葉がとっても印象的である。
終わりが来るから無気力になるのではない。焦って不安になるのでもない。
「心を整え」というのは、心を一つにまとめ、慌てず祈れ、です。

この4月に静岡に転勤になりました菊川兄が――菊川兄というのは藤枝教会出身で、高津教会に半年ぐらいしかいらっしゃいませんでした――引っ越しの準備の証しをしてくださいました。
引越ししようと思って、自分の周囲を見渡し、自分のたんすをじ〜っと眺めて気がついた。
90%以上がごみだった(笑)。
そこから彼は、川崎市のごみの分別を全部調べて、90%のごみを全部捨てた。
そして引っ越し屋を頼まずに、宅急便で中型の段ボール箱4箱で引っ越しをした。
偉大な人物だなぁと思いますよ(大笑)。まだ20代後半ですよ。
でも自分の人生を一瞬にして見渡し、90%以上ごみと見なし、そして全部捨てて、段ボール箱4箱で引っ越ししたというのは、「心を整え」という意味です。

「心を整え」とはいったいどういう意味か?
私たちは沢山のことに心を使います。ですから忙しい(身を亡ぼす)という字は、もう心を亡ぼす。それくらい様々なことに心を使います。
それを配慮と呼ぶこともできれば、その心を使うことによって、私たちは将来の自分のために準備をしますし、心を使うことによって、私たちは様々な計画を綿密に立てます。
でも「万物の終わりが近づいた」と言ったペテロは――心を整え、心を整理して、余計なものを捨ててしまいなさい。それを一つにまとめて、あなたの心の中にあるのはほとんどごみです。そして祈りに集中しなさい。

ちょっと1章13節を見ていただきます。ここに似たような表現がありますので、1章の13節をご一緒に読みたいと思います。前回見た時にはこの箇節は一緒に学びませんでしたので……。

1:13ですから、あなたがたは、心を引き締め、身を慎み、イエス・キリストの現れのときあなたがたにもたらされる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。

心を引き締め、身を慎み、キリストの現れの時にあなたがたにもたらされる恵みを、ひたすら祈り待ち望みなさい。同じことです。
「身を慎み」とは謙遜になることです。妙な自信に振り回されず、自分を守ろうとせず、自分を大きくしようとせず、遜りなさい。

先週の、一昨日昨日と、武蔵村山教会の蔦田公義(ただし)先生が、75歳で天に召されました。
蔦田公義先生・直子先生ご夫妻は、私(藤本満牧師)たち夫婦の結婚式の仲人をしてくださいました。
それ以来ずっと、私たち夫婦の後見人として奉仕してくださいました。
私(藤本牧師)は、前夜式と告別式の二つの司式をさせていただいて、ほんとにこれまでの恩義をお返しできたと思いました。

ずっと糖尿病を患っておられまして、50代を過ぎた頃から眼底出血が始まり、大判聖書を超大判聖書を、やがて聖書が読めなくなってしまいました。
沢山のみことばを記憶しておられた先生は、それでも説教を続けられました。でも人工透析が週に3回、どこも出ることができず。

蔦田公義先生というのは、17年間インドの神学校で教鞭をとられました。
さらにステップアップを図るために、イギリスのスコットランドのアバディーンという大学に修士号のために留学をされました。
修士号を取ったその年に、インド政府はすべての宣教師のビザの発給を止めました。
涙を呑んでインド宣教を断念して日本に帰って来られ、でもアジア福音同盟というアジア全体の教会を取りまとめる理事長をなさいまして、そして日本から頻繁にアジア諸国に出かけて行かれました。
私(藤本牧師)は、蔦田先生からメールをいただきますと、いつもそれが朝の3時とか朝の4時でした。
それでも朝の5時半には、神学校の早天祈祷会があるような先生でいらっしゃいました。

私は息子さんの崇志(たかし)先生から、前夜式・告別式をお願いします、と言われた時に、喜んでお引き受けいたします、と答えたんですけれども、そのとき
「先生、実は父は遺言聖句を残していまして、それを説教題に使え、と言っておりました。それが、エペソ3:8の、『わたしはすべての聖徒たちの中で最も小さな者です』という聖句なんです」(とお聞きして)、私は半日考えました。

この聖句を、まぁ、(我ら)牧師はこう言うんですが、どう料理できるか?
色々試作品を作ってみて、自分で食べてみて、これは、あ、ちょっと難しい(笑)と判断し、私(藤本牧師)は同じように、パウロがエペソの教会の人々に残した告別説教から説教し、そして息子さんに、「どうか追憶のことばで、お父さんのこの思いを伝えてください」と話をしました。

蔦田先生というのは、非常に紳士的な先生です。万年筆にこだわりました。車にこだわりました。世界を巡ることを得意としておられました。
そして日本人でありながら、英語が流暢でありまして、17年間インドにおりましたので、海外の人たちと交わるということに何の躊躇もなジェントルマンでいらっしゃいました。
そしてどちらかと言うと、失敗談よりも――息子さんが仰いました――成功談の方が多い。
どちらかと言うと成功談の方が多い父が、最後に残したことばが、パウロの「私はすべての聖徒の中で最も小さい者です」というのは、非常に印象深かったと。

そしてその追憶の後で、奥様の直子先生が証しをしておられました。
最後の半年、歩くことができずに、ほとんどベッドの上で、そして何も見ることができずに、人工透析のためにだけに、ま、外に出て行ったんですけれども、幸いなことに、言葉を失うことはなかった。
そして奥さまがそばにいて見ていたことは、公義先生はその半年間、祈ることだけは最後の最後までできたと。
祈ることだけを、自分の最後の奉仕として、最後の最後までそれだけは貫いた。
それができたことは牧師としてとっても幸いだった、という話をなさいました。

私(藤本牧師)はその時、つくづくこのことばを考えてしまいました――「万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整えて身を慎みなさい。」(Tペテロ4:7)
私たちはよく考えるんですね――いったい自分はいつ自分の荷物を整理するんだろうか?と、よく考えますでしょう?

この前、北海道の聖会に行きましたときに、ある牧師先生がiPadを見せてくださいまして、このiPadの中に本が2000冊入っているんです、と教えてくださったんです。
実は70歳になった時に、奥様が5000冊の本を全部捨てたと(笑)。書斎から。
「あなたどうせ読まないんだから、そして明日もわからぬいのちだから、この邪魔な本を全部処分します」と言って、奥さんが、ご主人がいない隙に全部捨てちゃった(大笑)。
ご主人はショックで(笑)、これからはこのiPadで生きていこうという決意をされた。

皆さん思われますでしょう?自分のごみのような荷物をいったいどこで処分するのだろうかと思いますよね?
で、牧師の間では、ま、一般的に言われますよね。
「引っ越し屋が一番嫌がる荷物は本なんだ。カサが小さいのに、ものすごく重い」――これが引っ越し屋は一番嫌がります。
これは年会でもつくづく牧師の方々に、言っているんですね。
「読まない本は買わない。読まない本は捨てなさい。ネクタイ一本買った方がましです」(大笑)ということを皆さんにお伝えしているのですけれども。

心を整理するってどういうことだろう?心を一つにするってどういうことだろう?
心の中から要らないものを処分しない限り、私たちは終わりが近づいているにも拘らず、祈りに集中することもできない。
この心の中で「祈り」という時間帯は、いったいどれほど占めているんだろうか?ということを常に考えさせられます。
「身を慎む」というのは、祈りのために、身を慎む、「心を整える」というのは、祈りのために、心を整えるということを考えますとね、私たちは「正常化の偏見」に本当に染まっていて、終わりが来ないかのように振る舞い、必要なことだけを祈り、この心の中には不必要なことを一杯溜め込んでいるんだなぁということを、本当に反省させられます。

2)何よりも、熱心に互いを愛し合いなさい。(8節)


万物の終わりが近づいたら、8節、これもまた一緒に読んでおきたいと思います。

8何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。

この有名な言葉の有名な箇所ですね。
「愛は多くの罪をおおう」という、これが有名なことばです。
「おおう」という言葉はギリシャ語でカリュプトと言いますが、カリュプトという言葉は新約聖書で、覆う、包む、隠す、忍ぶ、許す、癒す、忍耐する、救うと訳されています。
愛は罪を覆う、包む、隠す、忍ぶ、許す、癒す、忍耐する、救うです。
「おおう」という言葉の概念は、ま、いわば、暴く、さらすの逆です。
聖書はこれをイエスさまの愛と言います。

あの姦淫の現行犯で捕まえられた女性。
人々はイエスさまに「この女を石打ちにして殺しましょう」と言った時に、イエスさまは仰いました。
「あなたがたの中で、罪のない者からまず石を投げなさい」
そう言うと、年長者から始まってひとりまたひとり、その場を立ち去って行きました。
そしてイエスさまはその卑しめられた女性に尋ねました。
「あなたを罪に定める者はいるか?」
「いえ、おりません」
「そうか、わたしもあなたを罪に定めません。行きなさい。その後、罪を犯してはならない」(***ヨハネ8:1〜11)

これが「罪をおおう」というしぐさです。
それは、キリストの愛であり、私たちの愛でありました。

不思議な程、終わりを迎える家族は一つになります。
そして火葬場で一緒に見てますと、家族って何ってこんなに温かいんだろうとささやきますよね。
ところが日常生活では必ずしもそうではない。でも誰かが倒れると、誰かが病むと、家族は愛をもってその人物を包み、助けるじゃないですか。
私たちは一人ひとり、様々な肉体的なあるいは精神的な弱さも持っています。
そして日頃は自分のこういうような性格のゆえに、家族から厭われることだってあるのです。
でももし私たちが病むなら、家族が必ず愛をもって包みます。
ということは「終わり」ということを意識すればするほど、実は私たちは祈る者たちであり、実は私たちは愛する者たちである、ということをよく覚えておくとすれば、終わりを意識することの大切さはどれほど大事か。

イエスさまは仰いました。
「病人よ、終わりを意識しなさい」――いや、そんなことは仰らない(笑)。
「すべての人よ。終わりを意識しなさい」――なぜなら終わりは病者だけに来るものではないから。
終わりはキリストの方からやって来ます。
イエスさまは、やがてこの世界を完成へと導かれ、あるいはイエスさまは、突然、摂理の中で私たちを天に召され、私たちが弱るから終わりがやって来るのではない。
イエスさまが私たちを迎えに来られるから、私たちの人生の終わりが来る、ということをよく覚えておきなさい。

☆お祈り

恵み深い天の父なる神さま、万物の終わりが近づきました。いや、私の人生の終わりはすぐそこかも知れない。だとしたなら、心から余計なものを追い出し、自分の生活をある程度整理し、そして祈りに集中する時を、私たちにお与えください。
また日頃心にかけてなかった方々に連絡を取ったり、自分の終わりが近づくにつれ、自分の愛すべき人にふんだんに愛を注いだり、私たちをもっとキリストのごとくに変えてくださいますようによろしくお願いいたします。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。



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