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::: 説  教 :::


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Name   T・Y
Subject   5/10母の日・献児式:死んだ者をも顧みてくださる神 ルツ記1:1〜18
☆聖書箇所     ルツ記1:1〜18

1さばきつかさが治めていたころ、この地にききんがあった。それで、ユダのベツレヘムの人が妻とふたりの息子を連れてモアブの野へ行き、そこに滞在することにした。
2その人の名はエリメレク。妻の名はナオミ。ふたりの息子の名はマフロンとキルヨン。彼らはユダのベツレヘムの出のエフラテ人であった。彼らがモアブの野へ行き、そこにとどまっているとき、
3ナオミの夫エリメレクは死に、彼女とふたりの息子があとに残された。
4ふたりの息子はモアブの女を妻に迎えた。ひとりの名はオルパで、もうひとりの名はルツであった。こうして、彼らは約十年の間、そこに住んでいた。
5しかし、マフロンとキルヨンのふたりもまた死んだ。こうしてナオミはふたりの子どもと夫に先立たれてしまった。
 6そこで、彼女は嫁たちと連れ立って、モアブの野から帰ろうとした。モアブの野でナオミは、【主】がご自分の民を顧みて彼らにパンを下さったと聞いたからである。
7そこで、彼女はふたりの嫁といっしょに、今まで住んでいた所を出て、ユダの地へ戻るため帰途についた。
8そのうちに、ナオミはふたりの嫁に、「あなたがたは、それぞれ自分の母の家へ帰りなさい。あなたがたが、なくなった者たちと私にしてくれたように、【主】があなたがたに恵みを賜り、
9あなたがたが、それぞれ夫の家で平和な暮らしができるように【主】がしてくださいますように」と言った。そしてふたりに口づけしたので、彼女たちは声をあげて泣いた。
10ふたりはナオミに言った。「いいえ。私たちは、あなたの民のところへあなたといっしょに帰ります。」
11しかしナオミは言った。「帰りなさい。娘たち。なぜ私といっしょに行こうとするのですか。あなたがたの夫になるような息子たちが、まだ、私のお腹にいるとでもいうのですか。
12帰りなさい。娘たち。さあ、行きなさい。私は年をとって、もう夫は持てません。たとい私が、自分には望みがあると思って、今晩でも夫を持ち、息子たちを産んだとしても、
13それだから、あなたがたは息子たちの成人するまで待とうというのですか。だから、あなたがたは夫を持たないままでいるというのですか。娘たち。それはいけません。私をひどく苦しませるだけです。【主】の御手が私に下ったのですから。」
14彼女たちはまた声をあげて泣き、オルパはしゅうとめに別れの口づけをしたが、ルツは彼女にすがりついていた。
 15ナオミは言った。「ご覧なさい。あなたの弟嫁は、自分の民とその神のところへ帰って行きました。あなたも弟嫁にならって帰りなさい。」
16ルツは言った。「あなたを捨て、あなたから別れて帰るように、私にしむけないでください。あなたの行かれる所へ私も行き、あなたの住まれる所に私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。
17あなたの死なれる所で私は死に、そこに葬られたいのです。もし死によっても私があなたから離れるようなことがあったら、【主】が幾重にも私を罰してくださるように。」
18ナオミは、ルツが自分といっしょに行こうと堅く決心しているのを見ると、もうそれ以上は何も言わなかった。

☆説教     死んだ者をも顧みてくださる神

開いていただきましたのはルツ記です。ルツ記と言いますから主人公はルツ。しかし、読んでいただきますと、ルツと姑のナオミという人物が出て来ます。人物伝としてはルツではなくナオミの伝記です。
そう思いまして、今日は母の日ですから、この女性に心を留めたいと思います。
物語の初めは1章の1節に始まります。で、今日は聖書をじっくり見ていただきますので、順番に聖書を追って見てください。1節に――

1さばきつかさが治めていたころ、この地にききんがあった。それで、ユダのベツレヘムの人が妻とふたりの息子を連れてモアブの野へ行き、そこに滞在することにした。

こう始まります。恐らくナオミが15歳〜20歳の間にエリメレクという男性と結婚したんだろうと思います。
ふたりの息子が生まれて幸せの絶頂期にある最中、ききんが深刻になります。
そして家族4人がこのヨルダンの川を渡って、モアブの地に逃れて行きます。
どんなに旅が困難であったとしても、異国での生活が厳しかったとしても、家族4人一つとなって乗り切って行きました。

「大草原の小さな家」というま、小説、ドラマ、映画、がありますが、西部の開拓の頃のアメリカの家族を題材にしたドラマですね。
新しい天地を求めて、一家をあげて、幌馬車に乗って西部へ移動するというセッティングなのですが、もう映画でもドラマでも幌馬車は見なくなってしまいました。
その中で「川を渡る」という感動的なシーンがあるんです。

父親が馬車の御者台に乗り、そして母親と子どもたちは幌を堅く縛った馬車の中で、身を寄せ合って川を渡るんですね。
ところが川は思いのほか深くて、馬の脚が立たなくなってしまいます。
その時お父さんはお母さんに「御者台を代われ」と言いまして、自分は川に飛び込み泳いでいる馬の鼻面を取って誘導します。
お母さんもすかさず、子どもたちに静かにするように言って御者台に乗ります。
馬が流されるか、幌馬車が倒されるか、そういう場面で、とうとう馬の脚が川底に届くほどになり、渡り切ることができる。
その間、小さな子どもたちは怖がる気持ちをずっと押さえて、そして赤ちゃんを抱きしめているというこのシーンは、この物語にとっても象徴的ですね。

私たちは、家族一つになって川を渡ります。
川を渡るというのは、現代にしてみれば、引っ越しをするとか、あるいは家族の者が病気になるとか、父親が交通事故に遭うとか、所謂一大事です。
そのとき、家族は力を合わせてそれと戦いながら、新しい西へ西へと渡って行くというのが、私たちの人生だと。

エリメレクとナオミというこの夫婦も、子どもたちと共にヨルダン川を渡った、一つになったことには間違いありません。
ところがそこから急展開していきます。3節を見てください。

3ナオミの夫エリメレクは死に、彼女とふたりの息子があとに残された。

異国での出来事です。病でしょう。異国の地でやもめになってしまった。
そしてふたりの息子を抱えて頼る所がない。

高津教会のY・H姉のお母さんは、F姉は、高津教会創設以来の信仰者ですけれども、F姉は戦争中秋田に疎開していたときに、ご主人の戦死の報を受けます。
私たちの教会は1947年、戦後2年で出来上がりますが、当時この教会に集まって来られた方々というのは、皆そのようにして家族を失い、そして戦争の悲惨な体験の中、命からがら家族が集まって来るわけです。

ナオミはご主人のエリメレクが亡くなってから、ふたりの息子が一人前になるまで、細腕一つで必死に働いたに違いありません。
ところが4節を見てください。

4ふたりの息子はモアブの女を妻に迎えた。ひとりの名はオルパで、もうひとりの名はルツであった。こうして、彼らは約十年の間、そこに住んでいた。
5しかし、マフロンとキルヨンのふたりもまた死んだ。こうしてナオミはふたりの子どもと夫に先立たれてしまった。

ふたりの息子の結婚式の日に母親はどれほど涙を流したことでしょう。
回りの人たちは皆彼女の労苦を知っています。
そこで十年、暮らしました。まだ孫には恵まれていませんでした。
でもこのマフロンとキルヨンのふたりの息子も死んで、ナオミとふたりの嫁が残されるというセッティングで物語が始まって行きます。

仮にナオミが20歳で結婚し、子どもを連れて異国の地へ旅立ち、そこで夫を失い、異国で女手一つで子どもを育て、子どもが一人前となって結婚し、しかしふたりの息子もまた失い、ナオミは一人になる決意をしました。
そして嫁のひとり、ルツだけは彼女のもとを離れようとはせず、16節――

16ルツは言った。「あなたを捨て、あなたから別れて帰るように、私にしむけないでください。あなたの行かれる所へ私も行き、あなたの住まれる所に私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。

と言って、故郷のベツレヘムに、ナオミはルツと一緒に帰って来ます。
故郷の人々はこのナオミのことをまだよく覚えていました。
19節見てください。

19それから、ふたりは旅をして、ベツレヘムに着いた。彼女たちがベツレヘムに着くと、町中がふたりのことで騒ぎ出し、女たちは、「まあ。ナオミではありませんか」と言った。

歓迎されるんですが、とてもではありません。その歓迎を受ける気持ちにはなれないですね。20節に――

20ナオミは彼女たちに言った。「私をナオミと呼ばないで(ナオミとはヘブル語で「甘い」という意味ですと説明)、マラと呼んでください(マラというのは、「厳しい」とか「苦い」という意味ですと説明)。全能者(神さまと言い換えて)が私をひどい苦しみに会わせたのですから。

辛い目に遭って帰って来た。21節に――

21私は満ち足りて出て行きましたが、【主】は私を素手で帰されました。……

というのは、「無一文になって、モアブからベツレヘムに帰って来た」という、実に重たいトーンでこのルツ記は始まります。
ナオミにしましたら、ききんでも苦しくても家族が一つとなって川を渡った頃が懐かしい。今は嫁のルツとふたりで無一文で帰って来た。
でも1章の最後で、ナオミとルツが帰って来たのは、大麦の刈り入れの時期であった。
22節の2行目――

22……モアブの野から帰って来て、大麦の刈り入れの始まったころ、ベツレヘムに着いた。

というのは、金色の穂が風にたなびいて揺れている平原、そこには何とも言えない期待感、希望というものが感じられて2章に入って行きます。

2章に入りますと、生活の必要に迫られた嫁のルツが、刈り入れの人に混じって落ち穂ひろいをします。
2章の3節を見てください。

3ルツは出かけて行って、刈る人たちのあとについて、畑で落ち穂を拾い集めたが、それは、はからずもエリメレクの一族に属するボアズの畑のうちであった。

ボアズというのは亡き夫の親戚にあたります。
「はからずも」というのは、神さまの摂理と導きがそこに働いていたということです。

このボアズがルツに親切でした。彼はルツに言います。
2章の11節からちょっと読んでいきます。

2:11ボアズは答えて言った。「あなたの夫がなくなってから、あなたがしゅうとめにしたこと、それにあなたの父母や生れた国を離れて、これまで知らなかった民のところに来たことについて、私はすっかり話を聞いています。
2:12【主】があなたのしたことに報いてくださるように。また、あなたがその翼の下に避け所を求めて来たイスラエルの神、【主】から、豊かな報いがあるように。」

神さまはこのボアズを用意して、無力なふたりを支えてくださいました。
さて、ここから非常に短く3つお話します。非常に短く3つです。

1)神さまは苦境に立つ二人のために、ボアズを用意してくださいました。

ボアズが用意されていた。ボアズは憐れみ深い親切な人でした。
ちょっと(2章の)8節を見てください。ルツが落ち穂拾いに行った一日目ですね。
この異国人ルツにボアズが言います。

2:8……「娘さん。よく聞きなさい。他の畑に落ち穂を拾いに行ったり、ここから出て行ったりしてはいけません。私のところの若い女たちのそばを離れないで、ここにいなさい。
2:9刈り取っている畑を見つけて、あとについて行きなさい。私は若者たちに、あなたのじゃまをしてはならないと、きつく命じておきました。のどが渇いたら、水がめのところへ行って、若者たちの汲んだのを飲みなさい。」

若者が汲んでくれるから、あなたはその水を飲みなさい。
午前中働いて、お昼ご飯の時に、14節見てください、こう言いますね。

2:14食事の時、ボアズは彼女に言った。「ここに来て、このパンを食べ、あなたのパン切れを酢に浸しなさい。」彼女が刈る者たちのそばにすわったので、彼は炒り麦を彼女に取ってやった。彼女はそれを食べ、十分食べて、余りを残しておいた。

初対面ですよ。初対面。様々に町のうわさで聞いているナオミとルツの不遇な状況を聴きながら、精一杯の親切を施すんですね。
午後の仕事に入りますと、ボアズは若い者たちに命じます。
15節見てください。

2:15彼女が落ち穂を拾い集めようとして立ち上がると、ボアズは若者たちに命じて言った。「あの女には束の間でも穂を拾い集めさせなさい。あの女に恥ずかしい思いをさせてはならない。
2:16それだけでなく、あの女のために、束からわざと穂を抜き落としておいて、拾い集めさせなさい。あの女をしかってはいけない。」

これね、下心があって優しくしているのか?(笑)ま、男性はそうかもしれない(笑)。
でもそうではないですね。そうではないです。
12節もう一度見てくださいます?この言葉――

2:12【主】があなたのしたことに報いてくださるように。また、あなたがその翼の下に避け所を求めて来たイスラエルの神、【主】から、豊かな報いがあるように。」

こう書いてありますでしょう?神さまのところに避け所を求めて来た二人に、神さまが報いてくださるように、とボアズは言っているのです。
そして、ボアズは何とかその報いてくださる神さまの助けになるように、このルツに好意を示している、配慮をしているんです。

さて、メッセージは非常に単純です。
私(藤本牧師)は、「教会はボアズの畑だと思わなければいけない」(と言いたい)。
教会はボアズの畑です。
申し上げましたように、高津教会ができたのは、1947年ごろ。
その頃の貧しい中で、どれほどの人たちが互いを支え合い、助け合ったことか。
先ほどのF姉が、H姉を連れて高津に来られたのは、神さまの導きでしょう。
あるいは、私たちはよく証しを聞きますね。
Y・k兄がお母さんに連れられ、ご家族みんなで高津にお出でになったのも、神さまの導きです。

そのとき既に高津におられた沢山のボアズたちが、その行き所を失くした者たちを何とか助けようとする。
やがてそういう方々が、今度は新しいボアズになって、次に教会の畑に入って来られる方々を、温かく親切に迎え、皆それなりの苦悩を、労苦を抱えてこの畑に導かれている。
すると、この畑には沢山のボアズがいる、という教会にならなければ、神さまの翼の下に避け所を求めてやって来た人のケアはできないです。

初めて教会にいらっしゃった方々を歓迎することができないような畑はボアズの畑ではない。
神さまの翼の下に何らかの祝福と恵みを求めてやってきた人を、この教会の沢山のボアズは声をかけて、そして何かの時に助けるんです。

皆さんね、私(藤本牧師)がいっつもそれを実感するのが、教会の葬儀です。
教会の葬儀の時に、忙しいにもかかわらず、この方のために教会員の方々が沢山いらっしゃっる。
そして私(藤本牧師)個人はなぜいらっしゃったかわからないんですけれども、お尋ねしますと、若い頃こういう形で世話になったとか、実は結婚式の時の仲人だったとか、それ以来様々な点でお世話になったとか、以前経済的に困った時に職を探してくれたとか、いろんな関係、あ、この人は実に高津教会のボアズだったのだと(わかるわけです)。

そうすると、やがて私たちがこの教会から天国に行くときに、いったいどれほどの方があなたに感謝したいという思いで、あなたの葬儀に集われるのかなぁというくらいです。
私たちはボアズとしてこの教会に席を占めている、という意識をほんの少しでも持つことは大切なのではないかなと思いますね。

2)今度はナオミの信仰を見ていただきたいと思いますが――

苦労して育てたふたりの息子を天に送り、自分の主人はもっと前に天に送り、20節にナオミはこう言いますね。ナオミは嫁に(ルツに)言った。

2:20ナオミは嫁に言った。「生きている者にも、死んだ者にも、御恵みを惜しまれない【主】が、その方(ボアズですね。まだ誰か知らないんですけれどもと説明)を祝福されますように。」

「生きている者にも、死んでいる者にも、御恵みを惜しまれない神が」――生きている者というのは、夫と二人の息子を失って故郷に帰って来たナオミと、苦労して落ち穂を拾っているルツです。
神さまは生きている者に恵みを施してくださる。しかしそこに留まらないです。
死んだ者にも恵みを施していただけるというのは、今は亡きエリメレクとマフロンとキルヨンのことも覚えて、(神さまは)恵みを施してくださる。
私(藤本牧師)はこれが一番大切ではないかと思っています。

母の日を迎えますが、例えば皆さんの中には、愛する伴侶者を失った方がおられますよね。
私たちは時に親を先に失い、時に子どもを先に失いますね。
ナオミは夫と子どもふたり、すべてを失いました。
しかしここで、ナオミという女性の内側に一つの信仰が芽生えて来る。
神さまは一文無しで故郷に私を戻された。しかし、神さまは死んでいる者にも憐れみを惜しまず――生きている者だけではない、すでに天に帰った者にも憐れみを惜しまず――その天に帰った者のことを覚えて、いま生きているあなたにもその倍、憐れみを施してくださる。

このベツレヘムという町で、ナオミとルツは俄然有名になりました。
何で有名になったのか?――それは本当に辛い中を通って来た女性二人として有名になったのです。
しかし神さまは、二人の知らない所で、二人に恵みを与えようと計画しておられた。
それは二人のためだけではない。すでに亡くなった三人のためにも、この二人を祝福しようと計画されていた。

母親であっても父親であっても、沢山の苦難を背負います、長い人生の中において。
愛する者を失うという苦難を背負います。
でも悲しんでおられる方々に、神さまは祝福を与えてくださる。
なぜなら亡くなった方をも、主は覚えて祝福してくださる。

3)最終的にボアズとルツは結婚します。

そのときボアズが、自分の結婚のために、町の人々に話した言葉を見ていただきたいと思います。
4章の10節です。ちょっと一緒に読んでみようではありませんか。
ボアズがルツとの結婚を公表している場面ですね。

4:10さらに、死んだ者の名をその相続地に起こすために、私はマフロンの妻であったモアブの女ルツを買って、私の妻としました。死んだ者の名を、その身内の者たちの間から、また、その町の門から絶えさせないためです。きょう、あなたがたはその証人です。」

目を留めていただきたいのは、2回出て来る、「死んだ者の名」ということばです。

「死んだ者の名をその相続地に起こすために」、もう一回、「死んだ者の名を、その身内の者たちの間から、また、その町の門から絶えさせないために」。

「死んだ者の名前が、存在が、記憶が忘れ去られないために、身内の間から、町の門から、決して忘れ去られないために、私は沢山の労苦を背負って来た母ナオミのために、ルツと結婚します」ということを言っている。

裏を返せば――
神さまは必ずナオミとルツの労苦に報いてくださる。
私がその神の報いの一助となることができたならば、私にとってこんな幸いなことはない。
愛する者が地上から去った後でも、神さまはその名を地上から忘れ去られるようなことは決してなさらない。

この言葉を聞いて一番喜んだのはナオミだろうと思います。
それは単純に、これから自分の生活は、ある意味保障されている、何とかなる、ということではない。
このボアズという人物は、私の夫エリメレクも私の息子マフロンもキルヨンも、その名前をこの世界から忘れ去られることがないように、全力を尽くしてくださるということを、母のナオミは分かったんですね。

私たちの教会家族というときに、実はいま元気で礼拝に集っている私たちだけではない。
この70年の高津教会の歴史の中で、私たちは多くの母を父を天に送りました。そしてこれから先も送り続けます。
それらの方々の名前は決して忘れ去られることはない。
なぜなら、それらの方々の信仰によって、それらの方々に施された神の恵みによって、あなたの、私の人生は何倍にも祝福される。
「神さまは生きている者だけではない。死んだ者にも憐れみを惜しまない」ということを覚えてください。

そして加えて言うならば、どうか「この教会のボアズに」なっていただきたい。
これから先にどれほどの方が、主のもとに、主の翼に避け所を求めてやって来るかわからない。
そんな時に自分の出番が来たとばかりに、ま、あまりにもおせっかいを焼き過ぎるのは(大笑)迷惑になるかもしれません(笑)。
でも、神さま、私をボアズとして生かしてください。
何か、私にできることがあれば、彼らを助けることができますように。
それは一言の声かけでも、有り難い励ましになることもあるんです。
その方のことを祈り覚えるだけでも大きな励ましになることを覚えていただきたいと思います。

4章の15節を見ていただきますと、やがて、このナオミに孫ができる場面があるのですが、15節で人々はこういう風にナオミに言います。

4:15その子は、あなたを元気づけ、あなたの老後をみとるでしょう。あなたを愛し、七人の息子にもまさるあなたの嫁が、その子を産んだのですから。」

苦労ばかり背負って来たナオミの人生は、周りの者たちが言うんですね。
「お孫さんを抱いた時に、それは報われるよ。それ程の喜びをあなたの上にもらたすんだよ」

ひとりの女性の生涯、ひとりの母親の生涯。
家族一つになって川を渡っていた時もある。
みんなで協力して故郷を離れ、異国で生活を始めた、そういう時代もあった。
でもあるとき夫に先立たれ、息子に先立たれ、そしてルツという一人の嫁を連れて、やがてその嫁がボアズと出会い、今は孫を抱いているという所に至るまで、いったいどれほどの年月がかかり、どれほどの祈りと苦労があったのかということを考えます。

そう思いますと、ルツ記に見るのは、ナオミの強さ、母の強さです。
そして彼女を支えているのは、神さまと多くのボアズたちだ、そういう教会でありたいと願います。

☆お祈り

恵み深い天の父なる神さま、長生きすればするほど労苦は増すのかもしれません。しかしその労苦の中にも、私たちを元気づけ、七人の息子にもまさる人物と出会い、また、温かな、親切なボアズと出会うことによって、自分の人生に慰めを得、励ましを得るような体験をしてきたルツに、ナオミに倣うことができるように、私たちの教会の母を祝福してください。
同時に、私たちの教会に多くのボアズを与えてくださり、主の翼の下に身を避けて来た者たちを励ます教会でありますように、私たちを励ましてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。


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