名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索

::: 説  教 :::


770 165 統計カウンターの表示   管理者で接続
Name   T・Y
Subject   4/26 ゼカリヤ(7)【主】の声に確かに聞き従う ゼカリヤ6:15〜7:14
☆聖書箇所   ゼカリヤ書6:15〜7:14
<ゼカリヤ6:15>
15また、遠く離れていた者たちも来て、【主】の神殿を建てる。このときあなたがたは、万軍の【主】が私をあなたがたに遣わしたことを知る。もしあなたがたが自分たちの神、【主】の声に確かに聞き従うなら、そのようになる。」
<ゼカリヤ7:1〜14>
1ダレイオス王の第四年、第九の月、すなわち、キスレウの月の四日に、ゼカリヤに【主】のことばがあった。
2そのとき、ベテルは【主】の御顔を求めるために、サル・エツェルとレゲム・メレクおよびその従者たちを遣わして、
3万軍の【主】の宮に仕える祭司たちと、預言者たちに尋ねた。「私が長年やってきたように、第五の月にも、断食をして泣かなければならないでしょうか。」
 4すると、私に次のような万軍の【主】のことばがあった。
5「この国のすべての民と祭司たちにこう言え。
  この七十年の間、あなたがたが、
  第五の月と第七の月に断食して嘆いたとき、
  本当にこのわたしのために断食したのか。
6 あなたがたが食べたり飲んだりするとき、
  食べるのも飲むのも、
    自分たちのためではなかったか。
7エルサレムとその周りの町々に人が住み、平和であったとき、またネゲブやシェフェラに人が住んでいたとき、【主】が先の預言者たちを通して告げたことばは、これらのことではなかったのか。」
 8それから、ゼカリヤに次のような【主】のことばがあった。
9万軍の【主】はこう言われる。
   「真実のさばきを行い、
  誠意とあわれみを互いに示せ。
10 やもめ、みなしご、
    寄留者、貧しい者を虐げるな。
    互いに対して、心の中で
    悪を企むな。」
11ところが、彼らは拒んでこれを聞こうともせず、肩を怒らせ、その耳を鈍くして聞き入れなかった。
12彼らは心を金剛石のようにし、万軍の【主】がその御霊によって先の預言者たちを通して送られた、みおしえとみことばを聞き入れなかった。そのため、万軍の【主】から大きな御怒りが下った。
13「彼らは呼ばれても聞かなかった。そのように、彼らが呼んでも、わたしは聞かない――万軍の【主】は言われる――。
14わたしは、彼らを知らないすべての国々に彼らを吹き散らした。この地は、彼らが去った後荒れすたれ、行き来する者もいなくなった。こうして彼らはこの慕わしい国を荒れすたらせた。」

☆説教   ゼカリヤ(7)【主】の声に確かに聞き従う

ほんとに高津教会以外、よそからの方々、良く来てくださいました(※と右側のカメラ目線で語る藤本牧師)。どんな形でも、私たちはそもそも一つの教会でありますので、一つの教会の分かれた枝としてここで繋がっていることを心から感謝いたします。
今ちょうど11時です。インターネットの礼拝は多分1時間が限度だろうなぁと思いまして、一つ讃美歌を抜きました。
歌っていた「主の祈り」を、ことばで唱える「主の祈り」にいたしました。
そのようにして少し時間が短くなっていますが、もしかしたら私の今日の礼拝は、メッセージは長いかも知れませんので、お付き合いいただきたいと思います。
聖書を開いていてください。

ゼカリヤ書の6章を学んでから2週間空いてしまいました。
大変申し訳ないと思います。また復習する所から始めたいと思うんです。
それは、ゼカリヤ書から一つ二つの聖句を拾いながら学んでいるのではないです。
ゼカリヤ書全体を学んでいます。それはそれ以前のハガイ書も含みますけれども、
二つの書物から一貫して響いて来る神さまのメッセージ、そのメッセージの論理はどうなっているんだということ、
それから神さまの声全体はどうなっているんだ、ということを注意深く聞いていきたいので、ほんの少しだけ、前回と同じく復習の時を持ちたいと思います。

ハガイもゼカリヤも同じ時代の預言者でありました。
それはバビロン捕囚から帰還して、神殿建設に取り掛かりますけれども、土台を据えた所で17年中断してしまいました。
神殿のこと以上に自分の生活のことに追い回され、他からの妨害も入り、
ひと言で、私たちもそうですけれども、「神さまを第一にする」ということが非常に難しい時代でありました。

しかし、神さまはここで行政の長ゼルバベルを立て、信仰の指導者ヨシュアを立て、そして民全員の霊を奮い立たせ(***ハガイ1:14)、
そのために、ヨシュアは焼け焦げた服を脱がせていただき、礼服を着せてもらい(***ゼカリヤ3:4)、
ゼルバベルは【主】のことばをいただきました。
『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって』(***ゼカリヤ4:6)
そして、神さまは民全員の罪を取り除いてくださり、罪はエパ升に入れられ、そして(鉛の)蓋をされて、エパ升ごと待ち上げて、神の使いがバビロンに持って行ってしまいました(***同5章)。

歴史的には神殿再建の物語であります。しかし、私たちにとっては霊的な再建ですね。
信仰生活の土台は据えた。ま、確かにそうなんですけれども、
本格的に建て上げていくために、神さまは再び私たちの霊を奮い立たせてくださる。
罪赦され、キリストの義の衣を着せていただき、自分の能力によってではなく、才能でもなく、主の霊によって
そして罪を取り除いていただき、神の宮である私という神殿を再建していく中で、
ゼカリヤ書はどういうメッセージを発しているのか、ということを学んでいるわけですね。

「神の宮」「神殿」というテーマの意味するところは聖書では一貫しています。
それは天におられる神が、地上におられる必要はないんです。
でも天におられる神が私たちと共にいてくださる、その象徴が「神殿」です。
問題は建物ではない。問題は「神の臨在」ですね。
神の平安に包まれ、神に愛され、神を愛し、神さまの前に、神さまの後ろに、この世の人生を歩んで行く。そしてやがて天の御国にたどり着くまで。
そのようにして生きていく人生には、神の恵みの油がしたたっています。
荒野も泉の湧くところとしてくださいます。涙の谷も喜びで満たされます。
(***イザヤ35:6、詩篇84:6)
なぜなら、神殿が、つまり神の臨在が共にあるからですね。

前回2週間前、その神の臨在、神殿を作り上げる「若枝」に注目いたしました。
6章の12節を見ていただきます?

<ゼカリヤ6:12〜13>
12彼にこう言え。
      『万軍の【主】はこう言われる。見よ、一人の人を。その名は若枝。
    彼は自分のいるところから芽を出し、【主】の神殿を建てる。

この一人の人、「若枝」――これがイザヤ書が呼んでいる所のイエスさまのことですね。
主の神殿を建てる一人の人、それはイエス・キリストのことで、この方は、6章の13節の最初ですね――

13彼が【主】の神殿を建て、彼が威光を帯び、王座に就いて支配する。……

さて、こうして6章を学びましたが、6章全体として実は大切な聖句を落としています、前回は。
それが、6章の最後の節で、今日はそこから始めていきます。
お読みいたします。

<ゼカリヤ6:15>
15また、遠く離れていた者たちも来て、【主】の神殿を建てる。このときあなたがたは、万軍の【主】が私をあなたがたに遣わしたことを知る。もしあなたがたが自分たちの神、【主】の声に確かに聞き従うなら、そのようになる。」

よろしいでしょうか。神殿建設とは建物のことではない、と申し上げてまいりました。
神殿とは神さまの臨在の象徴で、それは教会であり、私たちの人生であり、私たち自身も聖霊を宿す神の神殿です。
ところがそれがおろそかにされてきたと。
(イスラエルの人々のように基礎部分だけを作り上げて)17年間も工事を中断していたような部分が、私たちにないわけではないわけです。
自分の日々の必要のために追い回されているところがあります。

しかし私たちが、キリストが建てられる神殿建設の仕事に参加できるとしたならば、もう一度参加しようとするならば、15節の冒頭と同じですね。
それは――「また、遠く離れていた者たちも来て、【主】の神殿を建てる。」
これは時代的に言うならば、バビロンに未だ留まっている人たちもやって来て神殿建設に加わるという意味なんです。
しかし主の祝福から遠く離れていた者たち、神の国の建て上げから遠く離れていた者たちというのは、エペソ人への手紙を読むと私たちのことです。
ちょっとエペソ人への手紙の2章、新約聖書を見ていただきたいと思うんですね。
聴いていただくだけでもわかりますので、
エペソの2章で、パウロはエペソの教会の人々、つまりユダヤ人ではないギリシャ人に対して、こういうわけですね。12節――

<エペソ2:12>
12そのころは、キリストから遠く離れ(***ここに遠く離れってありますでしょう、と説明)、イスラエルの民から除外され、約束の契約については他国人で、この世にあって望みもなく神もない者たちでした(***私たちのことですね、と説明)。
13しかし、かつては遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスにあって、キリストの血によって近い者となりました。

そして神殿建設の働きに共に加わっているという、こういう話の流れがお分かりいただけると思います。
私たちこそが遠く離れていた者たちなのに、イエスさまにお招きをいただき、神殿建設の仕事に携わるようになった。
そして、この世界にやがて神の神殿が建て上げられるまで、私たちは召されているわけですね。

簡単に3つのポイントで学んでみたいと思います。

1)【主】の声に確かに聞き従うなら

(ゼカリヤ6章)15節の最後に出て来ますよね。
「もしあなたがたが自分たちの神、【主】の声に確かに聞き従うなら、そのようになる。」
つまり、これらすべての祝福にあずかるために、一つの文章で終わっているわけですよね。
「あなたは【主】の声に確かに聞き従わなければいけない。」

よろしいでしょうか。所詮私たちは聞き従えないような、罪深い、愚かな弱い者たちです。
ですから、聞き従えない私たちのために、主イエスは十字架にかかってくださいました。
でも、だからと言って、この最後の言葉を無視するわけにはいきません。
弱い私たちであるからこそ、そのようになるために、つまり神さまの臨在の中に留まるために、神の声に確かに聞き従おう、神の声に聞くようにしようと、私たちは信仰を新しくすることが求められているわけですよね?

そもそもイスラエルの人々がバビロンに捕囚に捕られた出来事が記されています。
これは強烈ですね。11節を見てください。
(ゼカリヤ)7章の11節、12節にバビロンによってエルサレムが滅ぼされた出来事がこういう風に書かれています。

<ゼカリヤ7:11〜12>
11ところが、彼らは拒んでこれを聞こうともせず、肩を怒らせ、その耳を鈍くして聞き入れなかった。
12彼らは心を金剛石のようにし、万軍の【主】がその御霊によって先の預言者たちを通して送られた、みおしえとみことばを聞き入れなかった。そのため、万軍の【主】から大きな御怒りが下った。

という風にバビロン捕囚の出来事が記されています。
11節で、彼らは神の声を「拒んだ」と書いてありますね。これは意図的な否定です。背を向けたと。
それから11節に、彼らは「肩を怒らせ」と。誰に対して肩を怒らせるのか?神さまに対してです。意地でも聴くまいと、頑固なまでに頑な、頑なに神さまを拒んだと。
それでも神さまは語りかけてくださいます。ですから、「耳を鈍くして聞き入れなかった」と。耳を塞いでしまったということですね。

イエスさまは仰ったじゃありませんか。(***マタイ13:9〜13、イザヤ6:10)
「あなたがたは、耳があっても聞こえないのですか。どうして、心を閉ざしているのですか?」
そして、私たちには解っているわけですよね。人は、私は、神の声に心を閉ざす傾向があるということが解っています。

時に、私たちは「心を金剛石のようにし」(12節)ます。
金剛石というのは、聖書で一番堅くて、頑固な石の典型です。つまり全く砕かれることを知らない石です。
「あなたがたは時に心を金剛石のようにし、わたしのことばを声を拒んできた」と。
13節を見てください。

13「彼らは呼ばれても聞かなかった。そのように、彼らが呼んでも、わたしは聞かない。――万軍の【主】は言われる――。

わたしが語っても彼らが聞かないんだったならば、彼らが語っても呼んでも、わたしは聞かないと、神さまは沈黙されてしまいました。

そうして70年が経過して、人々は再びエルサレムに帰って来るわけです。神さまのあわれみでありました。
そして再び神さまの声が語られるようになります。
語られるようになった時に、果たして彼らは聞くんだろうか?――これが今日の説教の面白いところです。
ここからはよく聞いてくださいね。

ポイントの二番目として、人々は聞いているようで聞いてない。
2)人々は悔い改めた気になっているけれども、実は悔い改めてない。

(ゼカリヤ)7章の5節と6節を読んでいきますね。

<ゼカリヤ7:5〜6>
5「この国のすべての民と祭司たちにこう言え。
    この七十年の間、あなたがたが、
    第五の月と第七の月に断食して嘆いたとき、
    本当にこのわたしのために断食したのか。
6 あなたがたが食べたり飲んだりするとき、
    食べるのも飲むのも、自分たちのためではなかったか。

これはとても考えさせられます。
つまりイスラエルの人々は、バビロンに捕囚に捕られ、そこで泣きながら自分たちのしてきたことを悔い改め、断食もし、そして嘆きもしました。
ところが神さまは、問いかけられるんですね。「それは、ほんとうにわたしのためだったのか?と。自分のためではなかったのか?」と。

とても興味深いですね。
これまでイスラエルの人々は、ネブカデネザルによって神殿を焼き払われ、
その出来事を思い出して、自分たちが偶像に走っていたことを思い出して、
そして今の現状を思い出して断食をした。

私たちに当てはめますとこういう感じですね。
順調に日常生活を営んでいた。教会を離れずに何とか信仰生活を果たしてきた。
しかしある時、病気になった。それは、自分の不摂生ときちんとしていない、土台を据えていただけの信仰生活のゆえであったと痛感した。
そこで毎日歩くことにした。毎日聖書を読むことにした。少しお祈りもするようになった。

それはすばらしい。それは立派な悔い改めだと思いますけれども、
しかし、神さまはここで改めて問いかけられるんです。一歩踏み込んで問いかけられるんです。
「病気になってあなたは自分の人生を変えたと言うけれども、それは本当にわたしのためなのか?それとも自分のためなのか?」と。

ここから先は予想もしない展開ですね。ポイントの三番目ですけれども――

3)では、神さまが「わたしのためにする断食というものが、いったいどういうものなのか?――こういうことを考えよ」と、

神さまが仰っている箇所がありますので、それを見ていただいて、最後のポイントとしたいと思いますが、
7章の8節から読んでいきますね。

<ゼカリヤ7:8〜10>
   8それから、ゼカリヤに次のような【主】のことばがあった。
9 万軍の【主】はこう言われる。「真実のさばきを行い、誠意とあわれみを互いに示せ。
10 やもめ、みなしご、寄留者、貧しい者を虐げるな。互いに対して、心の中で 悪を企むな。」

ミカ書(***6:8)にもありますが、(意外なことに、)これが神さまが意図していた「断食だった」ということです。
これが主が求められる、主が喜ばれる断食。
神の民はみな、誠意と憐れみの民、そして弱者を顧みる民だと。

一つ先週の話を閉じて、終わりにしたいと思いますが、今日が10回目であると申し上げましたが、この10回の間に、何とも言えず感動した出来事があります。
教会の活動として感動した出来事ですね。
▼一つは「天の窓」でありました。
いい加減にこの礼拝は無理だなぁと思った時に、T兄が「天の窓」を発行してくださいまして、そこに出てきたあの青年二人の第一面の文章を読みまして、私は教会ってすばらしいなぁと思いました。
インターネットの礼拝配信だけではない。こういうものがあると教会広場として交わりが成り立っているんだなぁっていうことを、非常に強く実感しました。

▼二番目がOさんの奉仕でありました。
毎週土曜日にいらっしゃって、ま、今は日曜日早くいらっしゃるんですけれども、全部用意して来た物を、動画と同時に映るように入れ込んでくださいます。
Oさんは車で30分以上かかるんじゃないかなと思います。決して近くないんですね。そういう犠牲を厭わず、色んなことを考えてくださる。こういう方がどの教会にも一人いればいいなぁ(笑)という風に思う方なんですけれども。

▼三番目に皆さんが互いに牧会しておられることを知り、とても嬉しく思いました。
互いに電話をしたり、葉書を書いたり、何も教会の場だけでなく、皆さん日頃からなさっておられることですけれども、礼拝の後一緒に食事をするということもできなくなりましたよね。
でもそういう中にあって、何か一声かけるとみんな集まって来る。それは竹内神学生の卒業式のあの礼拝にお招きした時、賛美のチームの方々、それからユースの方々が集まって、竹内さんのために歓送会をして、そして彼は姫路教会の牧師に就任しました。
良かったなぁと思いました。

▼そして今日、四番目、私(藤本牧師)が感動しましたことをちょっとお話をして終わりにします。
最近世界、いや日本でも、医療従事者の方々に感謝の拍手を送る、という町があります。自治体の取り組みもニュースでやっていました。
麗しいなぁと思いますよね。
あの感染力の強いウィルス患者を受け入れ――というのは、新しい感染者を見ますと、かなりの方々がお医者さんであり、看護婦さんですから――どれほど感染力が強いかということがよく解ります。
そうすると、自分の背後には自分の家族もいる。その家族に感染させないために、自分は車の中で寝泊まりしている、というような話を聞いたりもします。
医療に関わる方々のために、その家族のために、特別に私たちは祈らなければいけない、という意識を皆さんに持っていただく週にしていただきたいと思うのですが、高津教会にもそういう方々が沢山おられます。

さて、そういう中で、火曜日にUさんからご連絡をいただきました。
こういうものを作ってくださいませんでしょうかと、ある写真が送られてきたんですね。
見せてもらったものは人工呼吸器を取り付ける際に、患者さんを覆いながら操作できる穴が開いているアクリル板の透明のボックスなんです。
台湾のお医者さんがコロナとの闘いの中で、自分が考案したものをインターネットで公開しているから、「これならできる人教会にいませんか?」という連絡をいただいたわけです。

で、夫婦で相談して、「あ、これだったら、Wさんに頼んだら作れるんじゃないか」と。
で、実際に頼みましたらすぐにOKでありました。
ところが材料がない。アクリル板がない。所謂窓口業務のパーテーション作成のために全部押さえられてしまって、
あったとしてもお医者さんが手を入れる穴を開ける道具が今直ぐにないわけですよ。
一旦は諦めたんですよ。諦めてUさんに「無理だと思います」と連絡したんですよね。
そして次の朝に、圭子(夫人)が「どうしても諦められない」と言いまして、そしてWさんの奥さまも同じようでありましたけれども。

アクリル板を探して来ました。すぐに制作をし、制作に一番適してるのが二階のバルコニーの部分ですから、でき上がったのが、(※下の方からそれを取り出して見せて)これですね。これですよ。
単純に見えて結構苦労しました。
道具が十分に揃ってない。それがゆえに、近くに住んでおられるOSさんを呼び出して、
OSさんは物置から道具を取り出して来て、そして一緒に手伝ってくださいました。
作ったのはわずか二個ですけれども、後でOさんに話しましたら、「一緒に手伝いたかったな」とこう仰って(笑)おられました。
まだ作るんだろうと思います。

それがない今、Uさんは麻酔科医として、ビニール袋をかぶせて、人工呼吸器を装着しているんですね。ものすごく危険ですね。

WさんもOSさんもモノづくりのプロですから、ま、楽しまれたとは思います。
しかし心の中心にあるのは、この(ゼカリヤ7章)9節の「誠意とあわれみを示せ」という神さまの心からの願いです。
神さまは仰るんですね。
「わたしが求めているのは、形だけの断食ではない。
むしろ弱い者を助け、必要を満たし、互いに助け合うことだ」と。

そう思いますとね、時にキリスト者よりも、世の中の人の方が御心に適うことをしているんじゃないかと思います。
災害の時にボランティアをしている方々。
私たちは自分の培ってきた技量を、時間を、賜物を、真実と憐れみを、互いに示せと。
それぞれの場で、それぞれできる範囲で、できることをやっていきなさいというのが、神さまが本当に求めておられるみこころであり、
断食をするなら、神殿再建に携わるなら、まず一番初めに「真実と誠意と憐れみを互いに示し、そして弱者をいたわる」ということを絶対に忘れてはならない。

このウィルス大流行で世界が危機的な状況にある中で、麗しい出来事を幾つも私たちは報道で見てまいりました。
その度に、みこころはこの地に為されているんだなぁということを、私たちは確信する者であります。

☆お祈りをいたします――藤本牧師

恵み深い天の父なる神さま、今日も病院で労しておられる方々を助けてあげてください。その背後にいる家族を守ってください。あなたの御翼によってかくまってくださり、まだ主イエスさまを知らない方々であったとしても、自分のいのちを犠牲にしてまで、他の人々を助けようとしておられる方々は、あなたのみこころを地において実行しておられる方々でありますから、どうか彼らの上にも変わらずに私たちと同じ恵みをもって臨んでくださいますように。
また一週間、格別に医療に携わる方々のために祈ることができるように、その家族の方々のために祈る一週間となさせてください。愛するイエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。

掲示物をメールで送信。 プリントプレビュー
DATE: 2020.04.26 - 21:41

113.150.176.120 - Mozilla/5.0 (Windows NT 6.3; Win64; x64; Trident/7.0; MALNJS; rv:11.0) like Gecko

Name   E-Mail   Password

 次文 4/14 サムエル(8)なぜサウルが王に選ばれたの...
文章投稿 *^^*削除修正返答を書くリスト

チェックされた全文書を見る
770Simple view *^^*4/21 戸塚伝道師:ペテロのいる風景Q 説教篇W... T・Y 2024.04.21 10
769Simple view *^^*4/14 サムエル(8)なぜサウルが王に選ばれたの... T・Y 2024.04.14 21
768Simple view *^^*4/7 サムエル(7)カリスマか制度か Tサムエ... T・Y 2024.04.07 30
767Simple view *^^*3/31 イースター・聖餐式:「愛しているか?」ヨ... T・Y 2024.03.31 42
76620240324戸塚涛ケ師・棕櫚の聖日:「あなたは救われています!」<泣J23:3243$煖ウ用.pdf [308 KB] ダウンロードSimple view *^^*3/24 戸塚伝道師・棕櫚の聖日:「あなたは救われ... T・Y 2024.03.24 30
7652024年受難週の祈り.pdf [282 KB] ダウンロードSimple view *^^*2024年受難週の祈り 藤本牧師 T・Y 2024.03.23 71
764Simple view *^^*受難週の祈りとコロナ 藤本牧師 2024.03.23 35
763Simple view *^^*3/17 戸塚伝道師:ペテロのいる風景P 説教篇V... T・Y 2024.03.17 30
762Simple view *^^*3/10 サムエル(6)ここまで主が私を助けてくだ... T・Y 2024.03.10 50
761Simple view *^^*3/3 サムエル(5)心のすべてをもって主に立ち... T・Y 2024.03.03 58
760Simple view *^^*2/25 伊藤大輔 CS 教師:キリストの言葉を聞く信... T・Y 2024.02.25 32
759Simple view *^^*2/18 献児式・戸塚伝道師:ペテロのいる風景O・... T・Y 2024.02.18 40
チェック項目を全て削除。 チェック項目を全て削除。

前の頁はありません 次頁
前へ戻る 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10 次へ進む本頁が最終ページです
文章投稿 *^^* 再読込
投稿者氏名を検索項目欄に追加/除去タイトルを検索項目欄に追加/除去内容を検索項目欄に追加/除去 メイン画面に戻る。... *^^*